多田先生の「家庭力アップ講座」
今回は、『子供の心が「育つ」教育』です。
☆
学校では、算数や国語、理科などを「教える」ことが中心であり、
家庭では、子供が「育つ」環境を
どうやってつくるかということが中心になります。
明確に分けることは出来ませんが、「教える」責任は学校にあり、
子供が「育つ」責任は家庭にあるわけです。
親は子供に比べて、経験や知識、失敗談、成功例を
たくさんもっているので、どうしても
「教えなければいけない」と思いがちです。
子供の「育つ」環境づくりは後回しになり、
子供に「教える」ことが中心になってしまうのです。
今までは、教える教育になる、傾向性があったようです。
すると、子供は「何でも教えてもらおうとする」
癖がつきやすくなるようです。
そして、依頼心が出てきてしまうのです。
教えることで、考える力がつきにくくなるわけです。
ですから、家庭の責任は、
「子供が正しく育つ環境をつくるところにある」ことになります。
☆
親が子供に「教える」という観点に立った場合、
中心は親になります。
教えている側の親の心が満たされることが多いものです。
しかし、子供に教えようとするので、
子供がそのことが理解できないでいると、
いらいらして「分かったの? 聞いているの!」
と怒ってしまうことも多いでしょう。
それに対して、子供が「育つ」という観点に立てば
中心は子供になります。
家庭での親の生き方が子供の育つ環境を作ることになります。
子供は、親の後ろ姿を見て育つとよく言います。
実際、農家や商家などのように、
家庭で親の働く姿を見て育った子供のほうが、
そうでない子供より、よく育つ場合が多いのです。
☆
子供がよく「育つ」には、子供の心が
愛情で満たされなければなりません。
ひたむきに生きる親の姿を通して、
子供は親の愛を感じ取っていくのです。
子供の心が育つのは、家庭を理想家庭にするために
親が一生懸命努力することではないでしょうか。
そのためには「愛情の伝え方」を学ぶ必要があります。
ですから、「教える」ことももちろん必要ですが、
ややもすると、相手の行動だけを変えようとしてしまいます。
学校や塾に行かない子供を無理に行かそうとしたり、
勉強するようにさせようとしたり、
相手の行動を変えさせようとすることが多くなります。
しかしそのように、行動を変えさせようとすると、
相手はなかなか思うように行動してくれないのです。
そんな時、子供に対して悪い印象が親の中に植え付けられてしまいます。
☆
父と子の例を一つ紹介します。
「息子が中学生のときでした。たびたび勉強せずに遊んでいたので、
『テレビやゲームばかりやっていて勉強しないと、
駄目な人間になるぞ。
親の気持ちが分からないのか』と怒ったのです。
すると息子が、『お父さんは自己満足で、
怒っているだろう』と言い返しました。
『親を馬鹿にしているのか』と声を荒げると、
息子は『お父さんは怒ったから気が済んだだろう。
怒られた僕の気持ちはどうなるの』と言うのです。
そのときはすぐには、子供が言ったことが理解出来ませんでした。
あとでじっくり考えたとき、息子の言うとおり
「自己満足」だったと悟りました。
子供は、親の動機をよく感じているのだと分かりました」。
☆
親は自分の気持ちをぶつけただけであって、
子供に何のよい影響も与えなかったのです。
「教える」ことは、意外にも自己満足に陥りやすいのです。
子供は、親の動機を見抜く天才です。
どんな素晴らしいことを親が話したとしても
本当に子供を信頼していなければ、すぐに見抜いてしまうのです。
私たち親は、よく「お前のことが心配だから怒っているのだ」
とか子供に強く言いますが、親から「心配だ」と言われると
子供の多くは「自分のことを信じていない」という
親からのメッセージとしてとらえてしまいます。
親の心を鋭く子供は、見抜いてしまうことが多いのです。
家庭力アップ講座 3
第1章 序論(2)
(APTF『真の家庭』203号[9月]より)
家庭教育アドバイザー
多田 聡夫
第1章 序論(2)
(APTF『真の家庭』203号[9月]より)
家庭教育アドバイザー
多田 聡夫
☆
(抜粋編集 文責:ten1ko2)
私も子供の行動を変えさせようとして
失敗ばかりしてきました。
「子供はこうであるべき」という枠にはめて見つめると、
枠にはまらないことが多くて、
その思いが要求となり、
言葉や態度にでてしまう・・・
親の動機が重要だとのこと。
こういうときほど、
心を無心にして、
良心の声に耳を傾けて
動機を正していく必要を感じます。
証しのお父さんのように、
「自己満足で、怒る」
これは、本当にいけないな、と思います。
「教える」のではなく、子供が「育つ」環境をつくること。
何よりも愛する心情を土台として、
子供たちを見つめていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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