小山田先生の自叙伝、
「わが人生は真の父母様と出会うためにあった」
より紹介します。
☆
1965年に真のお父様が、留学以来、初めて来日されたとき、
南平台(東京・渋谷)の本部教会でお目にかかる機会がありました。
ちょうどそのとき学生部長をしていて、
朝食会に呼んでいただいたのです。
お父様が「何か質問ないか」とおっしゃるので、
私は「お父様、聖霊について教えてください」と申し上げました。
すると即座に、「早すぎる」とおっしゃったのです。
ところが次の瞬間、「こいつ、クリスチャンか」と、
私の背景を見抜かれたようでした。
それで思い直して、次のように説明してくださったのです。
「本来、イエス様が十字架で亡くならなかったら、
イエス様の相対となるべき女性に入る神の霊が聖霊である」
具体的に言うと、聖霊とは、実体のない母の霊として、
春霞のようにクリスチャンに働きかけて、
イエス様をキリストと証しするということです。
クリスチャンは歴史的に、「不思議な喜びに満たされる」とか、
「いつの間にか悔い改めに導かれていた」
「我ならぬ我の力に押し出された」
などの体験をした人がたくさんいます。
私もクリスチャンとして、何度もそういう
体験をしましたから、実感できるのです。
キリスト教の歴史を見ると、独り子であるイエス様は、
地上には33年間しかいらっしゃいません。
2000年のキリスト教歴史の中では、
そのほぼ全てを聖霊が導いてきました。
ですからキリスト教において聖霊を無視すれば、
キリスト教自体が存在できないということになるわけです。
私はお父様の説明で、聖霊について深く納得することができました。
キリスト教が聖霊によって導かれたように、
お父様の聖和後の家庭連合は、実体の聖霊である真のお母様によって
導かれているのは紛れもない事実です。
☆
ここで、お母様との印象深い出会いを紹介します。
1968年6月、CARPの会長兼学生会長として訪韓し、
1か月かけて韓国全土を巡回しました。
それが終わって、青坡洞の本部教会にいらっしゃった
真の父母様をお訪ねしました。
私としては、「いよいよ、真の父母様の愛の中で転げ回る時が来た」
と、意気揚々とお訪ねしたのです。
ところが着くや否や、お父様が、「おまえ、帰りのチケットは
どうなっているんだ?」とおっしゃるのです。
私は、意地悪だなあと内心ふてくされながらも、
「大丈夫です。チケットは取っています」とお答えしました。
すると、そばで聞いておられたお母様が通訳を通して、
「おまえ、今来たばかりなのに、帰るなどと言って、
どうして私を悲しませるのですか」とおっしゃったのです。
私はこの瞬間、田舎の母親を思い出しました。
学生時代に、夏休みなどで帰省して3、4日滞在した後、
帰ろうとすると、「今来たばかりなのに、
帰るなどと言って……」と言うのが常でした。
畏れ多いことではありますが、このことを通して、
私はお母様を、「おふくろだ」と実感したのです。
☆
それから十数年後の1983年6月のことです。
アメリカにいらっしゃった真の父母様から呼ばれて、
数人で渡米しました。
お訪ねしたら、韓国の36家庭の先輩方も何人かおられたので、
私はいちばん端に座っていました。
するとお母様が少し機嫌を損ねられたようすで、
「おまえたち、先輩ばかり前に座って、
どうして弟の小山田を私のそばに座らせないのですか」
と言われ、「小山田、何か話をせよ」とおっしゃったのです。
そこで私は、1968年に訪韓した際の、
「お母様は私の真の母だ」と実感したエピソードをお話ししたのです。
するとお母様は、「そのことは、私もよく覚えていますよ」
と言われ、「Tlove your couple」(あなたたち夫婦を愛してますよ)
と英語で言ってくださいました。
以来、日本に来られるたびに随行させていただくなど、
お母様から多くの恵みを頂きました。
小山田秀生(43双)
自叙伝『真の父母様の御跡を慕って』
(最終回)「わが人生は真の父母様と
出会うためにあった」
聖霊が導いた2000年のキリスト教歴史
(「祝福家庭」99号 2020年冬季号)
自叙伝『真の父母様の御跡を慕って』
(最終回)「わが人生は真の父母様と
出会うためにあった」
聖霊が導いた2000年のキリスト教歴史
(「祝福家庭」99号 2020年冬季号)
☆
抜粋して掲載
編集・文責:ten1ko2
編集・文責:ten1ko2
「イエス様の相対となるべき女性に入る神の霊が聖霊である」
これは、とても重要なみ言だと思います。
小山田先生の語られる通り、
この聖霊の働きが、2000年間、
キリスト教を導いてきた要因だと思います。
イエス様を慕うこと自体が、
霊的真の父母の愛を受けることになるわけです。
そして、いまこの時、
その神の霊が真のお母様にも受け継がれています。
ですから、「聖霊の実体」なのです。
小山田先生が、お母様を通じて、
「おふくろ」だと感じられた内容も、
真の母の愛を受けられたからにほかなりません。
さらにいうならば、真の父を慕うだけでは、
聖霊の愛を受けることができないのではないか、と思わされます。
地上に聖霊の実体がおられるならば、
直接、慕い、侍ることを通して、
恩恵を受けることができるのだ、
そのように思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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