2021年02月11日

'泣く教会'の礼拝が熱かった理由 み言の共鳴体になる人 《平壌開拓 金元弼先生》



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平壌時代の熱い礼拝。
お父様が「3倍準備しなさい」と言われましたが、
受ける側の準備も必要でした。

金元弼先生の証し
「礼拝参加者の心得」です。


食口がほとんど準備していない、
そういう中で先生がみ言を語ろうとするとなかなか大変なのです。

そういう時には、たくさんの中で誰か一人でも、
よく準備していて基準のある人を見付けますと、
その人を中心としてみ言を語り始められます。

その人と授受作用がなされると
必ずその授受作用は繁殖の現象を起こしますので、
それによってもう一人が繁殖されます。
そして一人また一人と繁殖されて
全体が燃え上がるというものでした。

礼拝をされる時、全然心が通じない、
そういう環境の中ではのどが渇いて
なかなか言葉がうまく出てこないというのです。

これは非常に原理的で、対象を求めて授受作用すると
それによって繁殖していくという原理が適用されるのです。


皆さんが競技を見ている時、自分は感動しているけれども
声を出せなかったとします。

しかし、一人が非常に感動して声を出すと、
その声に合わせて授受して、その人が拍手すればこっちも拍手します。
こうなりますと全体が拍手するようになるのと同じことがいえます。

私たちも心情が通じないのにみ言を語ろうとする時、
全体を見ていては授受できる相対者を
なかなか見付けることができません。

その先生の様子から、授受できる人を見つけて
語り始めることが大事であるということを学びました。

皆さんも、水を飲みたい人がいるとすると、
その中でも水を本当に飲みたい人に先にあげるのと同じように、
恵みを求める心がほかの人よりももっと強いとするならば、
神はそういう人を通じて行われるのだということを覚えてほしいのです。

朝早くから誰よりも先に来て、
先生のみ言の恵みを求めて受け入れる準備をしている者がいるとすれば、
その人はみ言の恵みを先に受けるようになるでしょう。


私がニューヨークにいた時に、
先生は朝早く聖日礼拝のみ言を語ってくださいました。

そのみ言の中で、一番前の座席を取ろうと思って
前日から来て待っていた
十代の若者たちがいるということをおっしゃいました。

先に来ないとほかの人に前の席を譲らざるを得ないわけです。
ですからその席を譲るまいと思って、いつも誰よりも先に来るのです。
寒い時でも、とにかく朝早くから祈る人がいる
ということを非常に喜んで話してくださいました。


(平壌開拓時代)探し求めていた真理を聞くことによって、
生涯にない感激を受けたメンバーたちは、
自分の家に帰ることを忘れていつもいつも
教会から離れようとしませんでした。

最初のメンバーたちは、真理を大変求めていた人たちであり、
また神の啓示を受けて、
約束されたメシヤを待っていた人たちでした。

それだけに先生のみ言を受けるとすぐ変わりました。
ちょうどのどが渇いていた羊のような立場であったからです。


前にもお話ししたように、非常に感動した人は
教会を離れ難くなりました。
そうしますと、家庭からも教会からも
たくさんの迫害を受けるようになりました。

心の喜びを知った人は、自分の家や今まで通っていた
教会にいることがなかなかできませんでした。
そういう心情は皆さんもよく体験していると思います。

心から真理を求めていた人が真理を知るようになり、
神のお告げを受けていても分からなかったのに、
そこに神の啓示を知ったメシヤを迎えることができたのです。

その喜びは、何ものにも替えることのできない、
そういう貴いものであったがゆえに、
一方でたくさんの迫害を受けたのです。


先生はある期間を経過して、そういう食口たちに
これからは家に帰り、そして教会に帰って、
その中でこのみ言を伝えるようにと指導されました。

ところが食口の心はそうではありませんでした。
それはちょうど墓地に行くようにつらいことでした。

昔の教会に行ったら、前は非常に良かったのですけれど、
今はそこにいることができないのです。
それで先生の言うことを聞かずに、
再び先生のところへどんどん来てみ言を聞こうとしました。

そのように真理を慕って恵みを慕ってきた人に
「お前帰れ」ということができませんから、
先生はまたみ言をたくさん語ってあげました。

ある人は、「帰れ」と言われても帰らないのです。
そういう体験をしたことがある人は、
そういう心情によく共鳴するものがあると思います。

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
礼拝参加者の心得


授受作用の原理原則ですね。

最も精誠を尽くされる人を中心に
繁殖、発展していき、
礼拝の復興がなされていく。。。

草創期、特に教会創立以前の平壌では、
復興の度合いが半端なく
「いつまでもみ言を聞いていたい」
離れがたい心情をもっていたのでしょう。

実際に、お父様がみ言を語られる空間以外では、
み言を得ることができなかった時代です。

そのような状況で『帰れ』と言われるのは、
言われた食口たちも辛かっただろうし、
言わざるを得ないお父様ご自身も、
何より辛かっただろうと思います。

今、真のお父様に直接会えなかったとしても
ふんだんにみ言を学ぶことができることに、
心から感謝しつつ、その貴さをかみしめて、
もっともっと復興する者になっていきたいし、
また多くの人たちに広めていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 10:03 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする