ここまで勝利できたのは、
結局、先生じゃないよ。
すべては神様がなされた
結局、先生じゃないよ。
すべては神様がなされた
Amazing grace!
How sweet the sound!
(驚くべき神の恵み
なんと甘美な響き!)──
How sweet the sound!
(驚くべき神の恵み
なんと甘美な響き!)──
☆
天一国9年天暦1月1日。
第54回天の父母様の日、おめでとうございます。
本日は、中村惣一郎先生の証しを紹介します。
真のお父様、お母様と出会われた証し、
懐かしい思い出の数々です。
☆
71、2年の秋、真のお父様が私たちを
韓国に呼んでくださったことがありました。
そこでは、いろいろな話をしてくださり、
私たちに責任と使命と方向を与え、
勇気づけてくださいました。
私たちが帰国する日のことです。
朝六時に真のお父様は青坡洞から水澤里の修練所においでになって、
右手にはめるようにと言われて、統一マーク入りの指輪を下さいました。
そして、バスに分乗して乗り込む私たちを、
真のお父様はバスのステップに上がられて、見送ってくださったのです。
私たちは「行って来まーす」と、意気揚々と出発したのですが、
お父様は、私たちの二台のバスをおひとりで
手を振りながら見送ってくださいました。
今、子供たちが大きな責任を与えられ、
励まされて出発していこうとしているのですが、
その子らの行く手には困難や苦難の多いことをご存じなのです。
“子供たちがそれを乗り越えていけるだろうか”と、
見守りながら送り出されるお父様のお姿でした。
☆
また、ある年の秋のことです。
地区長たちを清平に呼んでくださったことがありました。
当時は、バスが清平の修練所に入ることができず、
手前の清平ダムの入り口から「天勝号」で船着き場まで行ったものでした。
船着き場に着くと、真のご父母様が私たち一行を出迎えてくださいました。
そこで、真のお父様とともに山を歩きながら、
み言を伺うという時間を過ごしたのです。
お父様は、帽子をあみだかぶりにして、そでをまくり上げられ、
まるで牛飼いのようなスタイルでした。
そうこうして、夕暮れになりました。
ずっと向こうの山の端に日が沈もうとしています。
真のお父様が「目をつぶれー」とおっしゃいます。
私たちは目をつぶりました。
静寂の中に風の音と鳥の声だけが聞こえるのです。
しばらくたって、お父様は
「宗教的指導者は、一週間に一回は自然に触れるんだよ」
と語られるのでした。
お父様と出会ったときの一場面、一場面が懐かしく思い出されてなりません。
☆
また、私が米国にいたころのことでした。
私はそのとき、リージョナル・コーディネーターという、
韓国の先生がたのアシスタントのような立場にありました。
そのような日本人は、いつも最前列に座るように言われ、
私たちはお父様のごく近くに座っていたのです。
お父様は、「アメージング グレイス」という歌がとてもお好きでした。
これは、奴隷商人が悔い改めて作った歌だと言われています。
お父様が、イーストガーデンに責任者を集めてみ言を語っておられたとき、
「ここまで勝利できたのは、結局、先生じゃないよ。
すべては神様がなされた」と語られ、
「この歌を歌おう」とおっしゃったのです。
「先生は、神様もできないことをやったよ」と、
クリスチャンが聞くと驚くようなことも言われるお父様ですが、
それがお父様のすべてではありません。
「アメイジング グレイス ハウ スウィート ザ サウンド……」
「自分は失われていた、取り戻され、目が見えなかったものが
目が見えるようになった、何をもってあなたをたたえよう」
という歌です。
一番を歌い、二番を歌われて、「もう一回歌おう」と言われるのですが、
お父様の声が聞こえないのです。
お顔を拝見すると、目が涙でうるんでおられました。
そのとき、“お父様は神様の大きな愛を知られた、
だれよりも謙遜なかたでいらっしゃる”と思いました。
み言を聞いてから遅い歩みでしたが、
別の道を行こうと思ったことはありませんでした。
そして一つひとつ導かれて
神様の大きな広い愛を知るようになったのです。
初めから自分が望んで神様の元に帰ろうとしたのでもなく、
“教会には行くまい”とさえ思った私でした。
そんな私をここまで導いてくださったのは、
神様の愛と、真のご父母様のみ言と愛でした。
そして、私を後押ししてくれた良き先祖たちの協助があって、
このようにこのみ旨の道に来ることができたのだと思います。
神様の恨を解こうとして孝の道を歩まれる真のご父母様の前に、
少しでも孝をささげる者になりたいと思います。
☆
「アメージング グレイス」
考えることができないような
驚くべき神の恵み──
お父様は、涙で歌うことが出来なかったといいます。
神様を心から愛されているがゆえの
お父様の姿なのだな、と思いました。
以前、中村先生の、お母様から
ドーナツをいただいた証しを
紹介したことがあります。
お母様も、私たちを実の子と同じように
接してくださったという証しです。
私たちは足りなく、幼いにも関わらず、
心から愛して下さっている真の父母様。
新しく迎えた天一国9年。
これからも孝情の心情をもって、
さらに飛躍する年にしていきたいです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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