2021年02月14日

《笹本宣教師 殉教40周年》「信仰者は笑って死ぬんだよ」 夫婦でお父様と記念写真 



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アフリカ、タンザニアで笹本正樹宣教師が
殉教してから、昨年12月で
40年が経ったとのこと。

「世界家庭」に掲載された
奥さんの千恵子さんの証しの紹介です。


  2020年12月18日、青葉台家庭教会(東神奈川教区)で
  「笹本正樹宣教師 聖和40周年追慕礼拝」が行われました。

  笹本正樹宣教師(1800双)は、1980年に
  東アフリカのタンザニアに入国し、
  その年の12月に銃で撃たれて殉教しました(享年30)。

  2月号では、妻の知恵子さんが追慕礼拝で
  語った内容に加筆した証しを紹介しています。
  以下は、その中からの抜粋です。


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(1994年に)タンザニアの宣教師となり、
2年半、活動しました。

以前から、本心では「いつかタンザニアの宣教師として
入国しなければならない」と知っていました。
しかし、勇気が出なかったのです。

そのときは日本人の女性宣教師10人と一緒に
入国することができ、彼女たちから
勇気をもらうことができました。
私は心から神様に感謝しました。

タンザニアは自然豊かな国ですが、マラリアなどの
恐ろしい感染症と隣り合わせの国でもあります。
霊界を近くに感じられ、霊的な現象もよく起こります。

私は祈り求める中で、神様の願いや
心情を感じ取り、活動に励みました。……


帰国後、真のお父様が国家メシヤたちを南米・パラグアイの
フエルテ・オリンポに集めて開催された40日修練会に参加。
そのとき、お父様から証しをするように指名されました。

私が「夫は笑って死んでいました。
そのときの責任者から、『信仰者は笑って死ぬんだよ』
と言われました」と語ると、真のお父様は、
「そうだよ。信仰者は笑って死ぬんだよ」とおっしゃいました。

全体で記念写真を撮ったときのことです。
私は真のお父様の左隣に座らせていただきました。

そのときお父様が、右隣を示しながら、
「ここはね、笹本が来ているので、誰も座らないように」
とおっしゃいました。



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パラグアイのオリンポで真のお父様が
笹本夫妻と写真を撮ってくださる(1998年12月3日)

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  「一片丹心」を貫いた正樹さんと、その遺志を受け継いで
  歩み続ける知恵子さんの貴重な証しです。
  本誌では、正樹さんが地上で最後に書いた手紙も掲載しています。

  ぜひ、ごらんください。


『世界家庭』2月号 読みどころ 
笹本正樹宣教師 殉教40周年
真の父母様から愛された30年の貴い生涯
(blessed lifeより)


御父様と笹本夫人との写真を掲載しました。
この左側に笹本宣教師が霊的におられるのですね。
笹本夫人にとっても、心から嬉しく感動的な場面です。

写真をずっと見ていると、笹本宣教師が
実体でおられるような、
そんな感覚にさせられるから不思議です。

御父様の元に来ることができる、というのは、
殉教の歩みをされ、貴い精誠を積まれたので、
この場に参加できるのだろうな、と思います。

タンザニアといえば、以前、神氏族メシヤ活動において、
海外支援の対象になった国であります。

お母様の自叙伝にも紹介されているように、
義人ウンダンガ牧師が復帰され、
多くの信徒が祝福をうけていきました。

前任の教会長も、タンザニアに行かれたのですが、
笹本宣教師のお墓参りをされた、と聞いています。

笑顔で亡くなられた笹本宣教師。。。
その精誠の歩みが多くの実りになっているのだ、と思わされます。

今日はblessed lifeで紹介されたものだけですが、
内容の詳細を皆様も知りたいかと思いますので、
追って掲載する予定です。






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