先日もお伝えしましたように、今回全国的な人事がありました。
真のお母様が、若い牧会者が少ないことを残念がっておられる、
そのことを知った方相逸(バン サンイル)大陸会長が、
啓示のごとく、二世牧会者(9名)を立てられたのです。
そのような経緯の中、私たち松戸家庭教会においては、
祝福二世の新教会長をお迎えすることになりました。
一昨日、就任礼拝がありました。
御自身の紹介などのあと、
み言を語って下さいました。
説教題は、「神の国と神の義とを求めよ」です。
私は、霊界にある「生命の書」に記されている人々の名前を知る機会を得ました。それらの人々は、歴史の中で迫害された哀れな、時には殺されて犠牲になった人々でした。一方、百万長者、偉大な政治家、地上での偉大な人々の名前は、そこには出てきませんでした。
怨讐を愛するという原則にかなう個人と家庭から、氏族、民族、国家を形成して、無条件に怨讐の国家、怨讐の国民を愛する国になったとすれば、その国が神様の願う理想の国となることができ、今日の成すべきすべての神の摂理を、神の理想を、実現することができるのです。神の祖国をあなた方の手で取り戻すには、怨讐を愛さなければなりません。怨讐を愛するとは、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家、世界の怨讐を愛するということです。このような原則を通さずしては、そのような理想の国は現れないことを知らければなりません。『 祝福家庭と理想天国 』
(旧・み旨と世界)より
「神の祖国」
それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。
あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。
また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。
しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。
だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。新約聖書
マタイによる福音書6章25節〜34節
☆
私が一番好きな聖句を紹介します。
イエス様のみ言、山上の垂訓です。
私は明日のことを煩いすぎるんですね。
何を食べようかと思い煩うことはないですが、
何か現実的なことで不安になったり、
家庭のことにおいても、食口との関係においても、
不安や心配がないわけではありません。
やはり不安や心配事、というのは、
多くの場合、現実的なことが多いです。
しかし、この聖句を思い起こすと、
「明日のことは明日がおもいわずらうであろう」
「野の花を見よ。野の花はつむぎもしない」
栄華をきわめた時のソロモンでさえ、
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
ソロモン、ご存知ですよね。
神殿を建てたソロモン王です。
イスラエルの栄華の象徴と言えば、
ソロモン王の時代ですよね。
しかし、そのソロモンが築いた栄華よりも
野の花の方が美しいでないか、というのです。
神が創造したものは、美しいものなんです。
今の自分自身におもいわずらうな、
私たちが考えるべきことは何か、
それは神の国と神の義である、
そのことに思い煩わなければなりません。
☆
週報に紹介したお父様のみ言、
これは1980年アメリカで語られたみ言ですが、
「神の祖国」というタイトルです。
世界には様々な国があります。
その国の起源はどこから来ているかというと、
民族の違いなど、一緒に暮らすことができないと、
境界線を引いたところから国が起こりました。
このような国々に、「神様の起源」があるかというと、
おそらく一つもないでしょう。
神様は歴史上、国をもつことができませんでした。
それでは、神様の国はどのようにして起こるのか、
歴史を通して、いがみ合い、敵を殺し、
恩讐を愛するところから国が始まりました。
復帰は反対の経路から始まるので、
恩讐を憎むところからではなく、
恩讐を愛する、そこからしか始まらないのです。
愛する人のために死んだ人はいても、
恩讐のために死んだ人はイエス様が初めてでした。
イエス様から真の愛の歴史が始まり、
歴史の中でイエス様が最も偉大な方である、ということを
「神の祖国」の中で、お父様が語られています。
☆
お母様は「天一国の安着」を宣布されました。
具体的なことは、これから作っていくわけですが、
一番根底にある文化、それが
「恩讐を愛する」ものでなければならない、と思います。
今回、松戸教会に人事になりましたが、
(教会長になるのは初めてですが)
やることは同じだと思うのです。
今までもやってきたことは、愛することだった、と。
天一国とは、天宙平和統一国ですね。
天は二人の国ともいいますが、一人ではできません。
私たちが、愛を分かち合った国が天一国です。
私自身が一番信仰の根底で持っている
願い、希望としての神の祖国を実現するために、
私たち自身が本当の意味で真の父母様のように、
愛を持っていくこと、それを実践するものと
なっていかなければならない、と思います。
渡邊一喜(かずき)教会長
就任礼拝2021.2.14
就任礼拝2021.2.14
☆
文責:ten1ko2
とてもシンプルであり、
なおかつ素晴らしい説教でした。
教会長は、鮮文大神学科卒、
千葉中央修錬所の講師を10年間勤められ、
東京の教会の青年部長を3年間経験されました。
その青年部に大切な使命を感じておられ、
彼らを愛し育てたい思いがあったので、
人事の話が来ても断るつもりだったそうです。
しかし、兄(ヒョン)と慕う竹内大陸副会長が
直接青年部に訪ねてこられ、
天の願いを伝えられる中で、引き受けられたとのこと。
一つの青年部がどうのこうの、ではなく、
日本に対して、今の時に願われている内容が
とても大きいことを感じられたそうです。
大陸会長が、7年後にお孫様を中心とした
体制となるときに、今から準備しなければ
支える基台を作れないということもあり、
英断して下さり、今回の人事になったといいます。
新旧が入れ替わり、新しい教会長が36名立ちましたが、
2世教会長は9名、うち7名が第1地区ということで
先週の希望前進礼拝で踊りを披露されました。
2世牧会者をはじめとして、
若い牧会者が多く誕生した今回の新体制。
未来の希望がやってきてくださったことを
直接感じ、とても感謝ですが、
ただ恵みを受け、癒されて満足しているわけにはいきません。
真のお母様、そして、教会長と一つになって、
神の国を立てるためにまい進していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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