2021年02月20日

喜びすぎると、失敗しやすい?! また、つらく寂しい時には 《金元弼先生》



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金元弼先生のみ言、
今回は、「授受作用から見た喜びと失敗」  
前半部分を紹介します。


ここで皆様にお話ししたいことがあります。

人は失敗するときに二つのポイントがあります。
人が失敗するのは、一番喜んでいる時、
次は一番苦しく、つらく寂しい時です。

一番つらく悩んでいる時に失敗する
ということはよく理解できるでしょう。

しかし、人が喜んでいる時にどうして失敗するか
ということは、皆さんもなかなか理解できないと思います。
それを創造原理の授受作用の原理で説明します。

存在というものは必ず主体と対象があって、
それがよく授受作用することによって、
初めて安定した存在を維持することができます。

私が呼吸をして、息を吐き出し、吸い込む場合に、
フーッというかたちでそれを表してみましょう。

そうした場合に、喜ぶというのは、
フーッと息を吹き出したのと同じで、
それを飽くまでやり続けて喜んでみたら、
息苦しさと同時に必ず何だかむなしさを感じます。
そして寂しさを感ずるのです。

それと反対に、非常に寂しくて泣いたとしましょう。
そうしますと、泣いた後は何となく
晴れ晴れしたような感じがするのです。
これは喜びの反対のことと考えてください。

必ず授受作用しなければいけないと言ったのですから、
問題は授受作用をどのようにするかということです。


喜びを感じているときには、
この喜びが神から私にもたらされる前に、
神がサタンとの闘いを通じてどのように苦しまれたかを考え、
そして今、その喜びを私たちにもたらして
くださっているということを考えてほしいのです。

私たちが先生からみ言を受けたとしましょう。
そうしたらその恵みを私たちに与えるために、
先生は過去にどのような苦しみを通過してこられたのだろうか
という、その先生の苦しみを先に考えてほしいのです。

喜びを得たとしたら、その喜びを得るまでの
神の、主の、親の苦しみがあったということを
まず考えてほしいのです。

そうしますと、喜ぼうとする時に、この喜びを私に与えるために
神が、主が、親が、そして我々の先祖たちが苦しんだ後に、
このようになったのだということを考えて、
主体と対象の立場で、
まず感謝しようという心が出てくるのです。

ですから必ずこういう対象の立場を見つけて喜ぶのです。


反対に寂しい時にはどうしたらいいでしょうか。

寂しいというのを、一つの対象の立場
あるいはマイナスの立場として見てみましょう。
その時には、プラスの立場を見付けなければいけません。

人間は神の前、真の親の前では、愛する子供の立場です。
その子供を苦しめて喜ぶ神もなければ親もないのに、
なぜ愛する私たちにこういう苦しみを
与えなければならないのだろうか、こういう寂しい境地に
追い込まなければならないのだろうかと考えてみるのです。

それはそういう蕩減の道を通じて、
もっと大きな恵みを与えんとする神の愛が
あるからこそだということを考えなければいけません。

寂しさや苦しさを感じることを蕩減しなければならない
という条件が私たちに提示されたのです。

神は、子供にその蕩減を払わなければならない
条件があるのだから仕方がないのです。
しかしこれを勝利したら、神は最も大きな愛を
与えようとして待っておられるのです。

そのような神を思うと、ただ一方的に私は死にたい、
もう苦しくてたまらないという考えに走らないで、
神はもっと大きな愛を私に与えようとしているのだという
神の愛を感じて、私たちは望み、
希望をもつことができるようになるのです。
授受作用から見た喜びと失敗

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々


まず、喜ぶ時は舞い上がってしまってはいけない、
そのことを言われているのだと思います。

また、つらいときにも
自分の思いだけにとらわれて
落ち込んでしまう必要はないということでしょう。

真の父母様は、さまざまな摂理の中で、
多くの勝利を打ち立ててこられました。

その都度、祝勝会を成していかれましたが、
それは、自分だけで喜ぶのではなく、
天と共に喜び、
天に栄光をお返ししていかれました。

また、最近のお母様は、祝勝会、というより
出発式のような立場でなされておられます。
一つの節目としてとらえられ、
勝利をして一休み、ではなく、
先を見据えていかれるお母様です。

私たちも相続しなければ、と感じます。





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posted by ten1ko2 at 10:56 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする