金元弼先生の平壌開拓時代の証し。
今回は、「家庭と教会からの迫害」です。
☆
先生を訪ねてくる人々は、
教会でも家庭においても、また周りの人々からも
大変尊敬されていた人たちでした。
ある人は直接神の啓示を受けて
先生のことが分かった人もあれば、
先生のみ言を聞くことによって
先生のことを本当に分かった人もいました。
こうした人たちは、先生と生活をしているうちに
先生に対する信仰が、日を増すにつれて
どんどん深く強くなりました。
いくら啓示を受けるといっても、毎日受けるのではありません。
また疑いがないというのでもありませんでした。
疑いがあるときには、他の人の啓示を通して刺激されます。
ですから疑いがあれば、その人の行動の一つ一つが
ふさがれてしまうのを感じるのでした。
また聖書を読むと、疑いをもっているその自分の状態を
見付けることもありました。
疑いをもつと再び啓示があります。
こうしたことの連続の中で、信仰は篤く深くなり始めました。
み言を聞いて、真理を通して先生のことをよく分かった人でも、
時には人と話をした後に
自分の受けているみ言に対する疑いをもつことがあります。
そういう時は気落ちすることもありましたが、
み言を聞けば復活し、先生に対する信仰は一層深く強くなるのです。
☆
真理によって霊的価値をよく悟った人であっても、
外部からいろいろな迫害を受けると、
上がり下がりがあったのです。
そういう連続の中でも、神が直接守られるがゆえに、
私たちの信仰は非常に燃え上がっていきました。
恵みの中にいるときは良かったのですけれども、
恵みを人に与える段階になりますと、
人々は素直に受け入れてくれません。
そういうときは、先生に尋ねて
アドバイスを受けなければなりませんでした。
☆
反対された理由の一つは、
神の啓示の意味はよく知っているのですが、
霊能者たちは聖書を通して説明が十分できなかったからです。
もう一つは、初期の人たちの伝道は
結果をまず先に立てて、特に「再臨主が来ています」
というようなかたちで行ったのでした。
それで大変な迫害に遭ったのです。
こうして伝道していた人たちは、
非常に信仰が篤かったので、家庭においても
教会においても、他の人の模範となっていた人たちでした。
この人たちがみ言の恵みにあずかると、
元の教会にも家にも帰らず、
教会にとどまってみ言を聞き、
信仰の交わりをもつ時間が多くなっていきました。
☆
一つの例を示しますと、結婚して間もない家庭がありました。
夫に対してよく世話をする、仲の良い夫婦でした。
また熱心なキリスト教の家庭でもありました。
奥さんがみ言に接すると、夫の夕食の時間になっても
以前のようには準備ができませんでした。
既成教会にいるときには本当によくやってくれたのに、
うわさによれば若い青年の先生が牧会する
という教会へ行くようになってからは、
以前のようにはよくしてくれなくなったと気が付きました。
そしてなぜだろうという疑いをもたざるを得ませんでした。
また教会へ行くという理由で、夫と共にする時間を
どんどん断っていきます。
このことよりももっと理解できない一つの問題がありました。
皆様は原理を聞いてよく理解していますから、
その理由は何かということはよく御存じでしょうけれども、
彼女がみ言を受け入れて、先生がどれほどの方かを知り、
そしてこの恵みの生活の中にあって、
彼女自身に一つの大きな異変が起こっていました。
今までは夫との関係はこの上ない幸せなものでありました。
けれども、夜になって夫と一緒に寝ていても、
夫が近寄ってくると、蛇が近寄ってくるように
嫌な感じがするというのです。
誰が彼女に教えたのでもないのに、
そのように感じられて仕方がないというのです。
しかし夫にはそれが理解できなかったのです。
彼女もなぜそんなに嫌になってくるのか
理由が分かりませんでした。
☆
皆さんはそのことが理解できますか?
皆さんでしたら、なぜそうなるのか、
その夫人や主人に説明ができるでしょうか。
一九四六年ころのことですので、先生以外は
誰もそれに対して説明してあげる者はいませんでした。
しかし、啓示を受ける人は、
原理的な説明はつかないけれども、
なぜそういうことが起こるのかという簡単な説明はできました。
若い婦人やだんなさんだけに起こるのではなく、
壮婦においても、たとえ六十以上の
おじいさんおばあさんであっても、
こういうことは共通して起こりました。
家でのこうしたお話は、夫婦間のことですから、
誰かに言うこともできない難しい問題でした。
韓国の四六年ころの社会では、
そうしたことは言い出し難い問題でした。
そこで、そうした婦人のだんなさんは、
他のことで少し時間が遅れるとか、
よくやってくれないということに対しては、
まだ理解しようとするのです。
しかし、このことについては理解し難かったのでした。
☆
彼らから見れば先生は若く非常にハンサムですから、
自分の奥さんが教会へ行くことによって、
先生の方をより愛しているから
こういう態度をとるのではないかと
疑いを強くし始めたのです。
そして、家庭での迫害が始まりました。
「教会にはこれから出ないようにしなさい」
ということになったわけです。
しかし、いつもいつも主人と一緒にいるわけでもないのですから、
そう言われても時間の合間を利用して先生の所を訪ねました。
苦しい中でどのように信仰をもち続けていったらいいのか、
アドバイスを受けざるを得ませんでした。
また食口に会うことで大変力づけられ、
慰められるので、迫害されればされるほど
教会を訪ねて行くのでした。
☆
彼女たちの夫は、仕方なく自分の親を訪ねて、
自分の奥さんに関するすべての話を報告するのでした。
韓国では、自分の娘が他家へ嫁に行ってそこから追い出されると、
再婚することは許されませんでした。
そこで、その嫁入り先のだんなさんに
たとえ難しいことがあっても、
我慢して幸せをつかむようにと教育していました。
大変仲の良かった夫婦なのに、自分の娘が
教会へ行くことによって、二人の仲が悪くなり、
家庭が破壊状態になっているのを聞くと、
お父さんはそのだんなさんに加勢するのです。
そして娘には教会へ行くのを
やめさせようとしたのでした。
今まで娘に手を出したこともない親でしたけれども、
自分の娘に手を出したりするようになりました。
しかしながらその娘を引き止めることはできませんでした。
なぜならば、その娘は統一教会と出会うことで
この上もない神の恵みを得ていたからです。
また真理が分かったという確信をもっていたからでした。
お父さんは教会の中心者である牧師を訪ねて、
自分の娘のことを話さざるを得ませんでした。
そうしたらその牧師が若い先生を訪ねて、
どれほど異端なのか、間違っているのかを目の前で証明して、
娘さんを教会から離してくれるだろうと思い、
相談することを心に決めたのでした。
ところが、牧師は一人では先生に会って議論する
自信がないと思ったのです。
それで平壌中のいろいろな重要な教会の牧師と
力を合わせて、先生を訪ねると決めたのでした。
皆様、万人の婦人の例を取り上げましたけれども、
教会に来ている他の食口たちが属している
既成教会の牧師たちも、全く同じような立場に立っていました。
☆
おじいさんが統一教会へ来ました。
ところが、おばあさんとの間に
さっきお話ししたようなことが起こったのでした。
おばあさんは同じように疑ったのです。
おじいさんのことをどうしてそんなに疑うのか
理由が分からないと考えると思います。
先生は男であるから。
そのおばあさんは、自分のおじいさんが
教会に行くことによって変わったというのです。
教会にはおばあさんも通っているし、
若い中年の婦人もいます。
おじいさんと同じような年のおばあさんもいるから、
そうしたおばあさんと仲が良くなって、
自分に近寄らないと疑ったのでした。
この家庭内で起きた、疑いの話を聞いて、
牧師はこの教会は大変間違った教会であると決めつけたのでした。
こうした人たちは、反対する夫や妻の話を
裏付けるかのように夜遅く帰ったり、
時には泊まりがけで通っていました。
礼拝は男と女が一緒になって行い、
時には踊る人もいます。
こういう姿を見ると、これは間違いであると考え始めたのです。
I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「家庭と教会からの迫害」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第一章 平壌開拓の日々
「家庭と教会からの迫害」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
「夫が蛇のように見える」
このような霊的現象は、
堕落論を知らない人には、
全く理解できないことでしょう。
既成キリスト教会が
当時の統一教会を反対した理由は、
こういうところから来ていたのですね。
ただの異端ではなく、
夫婦生活にも支障をきたす、
恐ろしい団体である、という
レッテルを貼られたのでした。
ご主人や、おばあさんに、
「あなたも一緒に行きましょう」と
誘って一緒に行けば問題なかったでしょうが、
あまりに夢中になりすぎたのでしょう。
ご主人や奥さんたちも憶測だけで
「そこはどういうところだろうか」と、
教会を訪ねるということはしなかったのですね。
今の教会の婦人たちも、
同じようなことで夫との関係がこじれている場合が多いようです。
特にかつてみ旨が激しい折には、なおさらでした。
今では、教会ではそういう指導はしないのですが、
夫に誠心誠意尽くしたうえで、教会にくるというよりは、
家庭そっちのけになってしまう。。。
これは、今も共通の課題ではないでしょうか。
どんなに反対されても、
お父様を求めて、教会に通い続けた当時の信徒たち。
これを止めることは誰にもできませんでした。
お父様が、彼らのために、祈り、愛を投入し
熱い火のようなみ言を語っておられましたから、
当然だったのかもしれません。
次元や動機が違いますが、
お父様ご自身も、どんなに迫害を受けつつも、
止めることができないみ旨の道でした。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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