自分の心の中にいる神様(自己牧会プログラム)
今回は、「生きていて良かった、祝福を守ってきて良かった」です。
☆
(女性 50代)
自己牧会プログラムに取り組み始めて1年になります。
祝福を受けて、2人の男の子(現在、大学生と中学生)を
授かりましたが、日々悩みの中にありました。
夫は職場の人間関係が悪く、思いどおりにならない
ストレスを家族にぶつけてきました。
特に長男に対しては、「お前の態度は、
私とそりが合わない職場の人に似ている」などと
理不尽なことを言って、長男を傷つけるのです。
そのため、長男と夫の関係は悪くなり、
長男は夫を無視するようになりました。
夫はまたその態度が気に入らず、ますますイライラするのです。
そして時に、教会を批判するような暴言も口にするようになりました。
当然、夫婦仲もギクシャクします。
そんな私たちを見る子供たちが、教会や神様に対して
批判的になるのは無理からぬことだと思います。
神様から頂いた子女なので幸せにしてあげたい、
祝福を受けてもらいたいという一心で、
私は子供たちに接していましたが、
子供たちからは反発を受けるだけでした。
私は家庭の中で孤立し、毎日が地獄のようでした。
仕事から家に帰る時は、戦場に行くような気持ちで、
「きょうは何事もありませんように」と決意しなければなりませんでした。
☆
そういう中で出合った自己牧会プログラムは、
私に一筋の希望の光を与えてくれました。
「固定観念に気付く」ワークや、
「自己中心的な囚われを脱ぐ」ワークに取り組む中で、
「苦しみは自分で作り出しているもの」であり、
「全てを下ろせば、今ここが天国」であることを
少しずつ実感できるようになったのです。
それまで、夫に対しては「変わってほしい」、
子供たちに対しては「私のしていることを理解してほしい」
という要求の思いが強かったのですが、
それを全て下ろすように努めました。
そして毎日、「思いどおりでなくても大丈夫」を
口癖のように唱えながら、
夫と子供たちの幸せを祈って光を送り続けました。
☆
すると不思議なことに、昔の優しい
夫の姿が思い起こされてきたのです。
夫はもともと愛情深く、よく尽くしてくれる人でした。
また、正直で曲がったことが嫌いという一面も持っていました。
こういう夫の本性に気付いた時、
「正義感が強く不器用だから、
思いどおりにならないとストレスになるんだ」と、
夫の苦しみがわがことのように感じられたのです。
こう思えたことで、夫に対する恐れや不安、
裁きの思いは少しずつ消えていき、心が楽になりました。
☆
私の心の中に平安が戻ったからでしょうか、
子供たちにも変化が見られるようになりました。
時々ですが、家の手伝いをしてくれたり、
優しい言葉を掛けたりしてくれるようになったのです。
以前のことを思うと、夢のようです。
最近は、生きていて良かった、
祝福を守ってきて良かったと思える日々が増えてきました。
道半ばですが、諦めることなく頑張っていきたいと思います。
自分の心の中にいる神様
生きていて良かった、祝福を守ってきて良かった
生きていて良かった、祝福を守ってきて良かった
☆
素晴らしい証しですね。。。
地獄のような日々から心が解放され、
大きく変わっていった・・・
その要因が、自己牧会プログラムのおかげでした。
自分自身の心の囚われがなくなると、
ご主人、子供たちの態度が変わっていくというのです。
問題のない家庭はないと思います。
私自身も、過去を振り返って
「あの時、もっと信仰があれば・・・
このようにしていたら良かったのに・・」
そう思うことも少なくありません。
しかし、今ここ、この瞬間、
私の心が解放されたならば、
驚くほどに環境が変化していくに違いないでしょう。
自らも、この証しの婦人やそのご主人と
同じような状況がありますので、
囚われを捨てて、
もっともっと解放されたいなと思いました。
そして、神様と共にある私となること、
私の心の中に平安を取り戻すこと、
そのことが何よりも重要である、と感じるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)