2021年04月07日

メシヤの実験カップル、教会内からも多くの反対を越えて お父様曰く《大谷夫妻2》



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777双の大谷明史(あきふみ)・
よし子夫妻のお話の続きです。


明史さん:祝福のときに、真のお父様は、
「対照的な者同士を組み合わせた。
 先生は実験材料としていつも注目しているよ。
 大谷は本ばかり読んできたのだろう。
 一人でほうっておくと生活していくたくましさがないが、
 この女性は一人でどんな所でも生きていけるのだよ。
 女の中の女になるだろう。
 大谷は、この女を研究しなさい」
 とも、おっしゃったのです。

 真のお父様に注目していただき、
 このようなみ言を与えられたのは、
 思いがけないことであり、恵みでした。

 しかしその反面、真の父母様から
 注目されていることを身をもって感じさせられ、
 緊張感を覚えずにはいられませんでした。

よし子さん:マッチングのとき、私たちは初対面で、
 大谷がどんな人なのか全く知りませんでしたが、
 その後、周囲からの反対が始まりました。

 後に韓国の先生から聞いた話によれば、
 多くのリーダーが真の父母様のお部屋で、
 私たち夫婦の組み合わせに反対したというのです。

 真のお父様は、リーダーたちの言い分を全て聞かれた後、
「分かった。それでは、二人を分けて別々に祝福しよう。
 しかし、その二家庭に、
 永遠に責任を持たなければならない。
 おまえたちが責任を持てるのか?」
 とおっしゃったというのです。
 
 すると全員、黙ってしまいました。
 それで、お父様が決められた元のさやに納まったというのです。

 この話を聞いて、祝福は容易ではないなと思いました。
 私にサタンからの総攻撃が始まったのです。
 霊的に首を絞められるようなこともありました。

 あるときは、家で真のお父様のことを考えているとき、
 ある兄弟から電話が来ました。
 そして、「あんたみたいな人が、
 なぜ大谷さんと一緒になるのか?
 大谷さんがだめになってしまう」と言うのです。

 そのような中で、涙がかれるほどに泣き、
 悩み、もだえ苦んでいると、
 夢の中に真のお父様が出てこられました。

 そして、「苦労をかけたね」とおっしゃるのです。
 私が、「どうすればいいのか分かりません」
 と申し上げると、お父様は
「苦労を先に歩んだ者がいるよ」と言われたのです。

 私が「それはお母様ですね?」と言うと、
 お父様は「そうだ、お母様を研究しなさい」
 と教えてくださったのです。

 それからは、「私たちは一つの蕩減を
 勝利するように願われた家庭である」
 と受け止めていくようにしました。

 そうすると、全ては時が解決し、
 苦労をしただけ信仰も大きくなっていくように思われました。
 
 その後、韓国留学生の父母の一人として訪韓したとき、
 真のお父様から、「表情が柔らかくなったね」
 と言われました。

 私がけげんな顔をすると、お父様は、
「あんたの夫は物事を深く縦的に捉えていくが、
 あんたは右手にはたきを三本、
 左手にほうきを三本持って、
 村中を一周してこなければ何も手に付かないんだよ。
 だからふたりは合うところがないんだよ」
 とおっしゃったのです。

 このみ言でそれまでのわだかまりがとけて、
 ほっとしました。

明史さん:真のお父様は、私には
「男は女に手を上げてはいけない。
 だけど、おまえだけは殴ってもいい」
 とおっしゃいました(笑い)
 でも、そういわれると殴れないんですけどね。(笑い)

よし子さん:「ほかの人たちが相手を殴れば、引っかかる。
 でも、おまえたちは引っかからないよ」
 とおっしゃいましたね。



証しを読みながら、二つのことを感じました。

一つ目は、祝福結婚は、
あくまでも神様の「祝福」だけれども、
そこにいたるまでに道のり、
特に先輩家庭の方たちにおいては、
歴史的な蕩減のかかった祝福結婚である、ということ。

そして、もう一つは、未来の道を切り開くための、
希望の道しるべとしての祝福結婚だということです。

大谷家庭が勝利することが、
結婚の価値は、真の愛によって、
外的なものを克服することができる、ということを
世に知らせたかった、真のお父様である、
そのことを感じました。

そして何よりも
真のお母様が、女性として、
勝利の道を開かれたことが、
一番重要なことであったのだ、
改めて感じるのです。






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