2021年04月11日

「いちばん悲しいときは笑うのよ」 私が見たお父様とお母様



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光言社刊【真のお母様感謝します】より
阿部公子先生の証し。
「狭い家の中でも捜し合われた父母様」です。


夫と私は一九八〇年に渡韓し、
真の父母様の館で生活させていただきました。

父母様は、狭い家の中でも「オンマは?」「アボヂは?」
とお互いに捜し合っていらっしゃいました。
喧嘩をしないという次元ではなく、
いつも一心一体でいらっしゃったのです。

真のお母様は、家の中でも決して大きな声は出されず、
低く落ち着いた声でゆっくりと話されます。


ある時、お母様がお出掛けの問に、
真のお父様が利川に行かれたことがありました。

戻られたお母様が私に「アボヂは?」とお聞きになったので、
「利川に行かれました」とお答えすると、
日頃静かなお母様がばたばたとスリッパの音をさせて
二階に上がられたのです。

しばらくして下りてこられたお母様は、
「イサラム(この人)」と言われて、
私のおしりをぽんと叩かれました。

私は「이천(イチョン・利川)と言ったつもりだったのですが、
お母様には「이층(イチュン・二階)」と聞こえたのです。
                                          
そのときお母様は私を、「韓国に来て何力月経ったの? 
まだ利川と二階の発音もできないの」
とお叱りになりながらも、おもしろそうに
「二階に上がってみなさい」とおっしゃいました。

不思議に思って上がってみると、
夫が大の字でいびきをかいて寝ていたのです。

当時、父母様が帰国されると、
私たち夫婦の部屋はスタッフの部屋になり、
夫は先輩の先生方と一緒に二階で休んでいました。

その先生方がお父様と一緒にお出掛けになったので、
一人になった夫は久しぶりにゆっくりと寝てしまったのです。
その姿をお母様に見られてしまったのでした。

お母様はいたずらっぽく笑いながら、
「見た?私も見たわよ」とおっしゃいました。

お母様は、権威があって近寄り難く感じる一面もお持ちですが、
ユーモアを解されるお方です。
ジョークを言って、皆を笑わせてくださることもあるのです。


一九八三年十二月、興進様がアメリカで交通事故に遭われました。
この知らせは、韓国八力都市勝共大会で
光州におられた父母様のもとにも届けられました。

光州大会の後、お父様は皆がいる前でお母様に、
[オンマ、絶対に悲しみの涙を流してはいけない。
泣くんじゃないよ。自分の部屋に入ってはいけない。
みんなとここにいるんだよ」と言われ、
お母様はそのとおりにされました。

その後、お父様は大会の報告を受けたり、
み言を語ったりされました。
お父様は大会の勝利に大満足され、
満面の笑みで勝利を祝われました。

そして初めてぽつりと、
「興進君はどうなの?」とお尋ねになったのです。
報告を聞かれると、お母様のほうをご覧になり、
「オンマ、偉いね、泣かないで」と言われました。

父母様がアメリカに戻られる日、
泣かないでお見送りしようとみんなで決めました。

お母様は玄関先で、「いちばん悲しいときは笑うのよ」と言われ、
にっこり笑って出発されました。
その後、残った私たちは抱き合って泣きました。

父母様の行かれる道がどれほど厳しく、
天情に徹する道であるかを垣間見た出来事でした。

阿部公子(七七七双)


お母様と阿部先生とのやり取り。
とても微笑ましいエピソードですね。

さらには、興進様の証しは壮絶です。
「泣いてはいけない」とお父様が
お母様に語られたことはあまりにも有名ですが、
その前後の経緯を阿部先生は見ておられました。

どこまでも公的に、
天を愛し、私たちを愛するために、
ご自身とご家庭を犠牲にされる、
真の父母様の深い真の愛の心情を
感じさせられるのです。




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