「自叙伝書写のすゝめ」より、
自叙伝書写の意義と手順をお伝えし、
体験談も一つ紹介します。
自叙伝書写が初めての方、
久しぶりにやってみたい方、
さらに、毎日やっている方も
参考にしてみてください。
☆
自叙伝書写の意義
・み言(ことば)に自分の心を合わせる。
・神仏の心に似るため。
・心にみ言の種をまく、み言の苗を植える、み言を刻み込む。
・毎日書写する。
・邪心はみ言を妨げ、本心は受け入れる。
・継続しなければ、流れ去っていく。
・目、口、耳、手でみ言をまく。
☆
自叙伝書写の手順
1. 静かな心落ち着く時間(なるべく早朝)に行ってください。
2. 口をすすぎ、手を洗い、静かな場所で書写の準備をします。
3. 姿勢を正し、心を落ち着け、願い事が成就するように祈念し、真心の報謝をささげます。
4. その日書き写すみ言を訓読します。(声を出して三度、読んでください)
5. 一文字、一文字、真心を込めて書き写します。(用紙に写すと同時に心に書き写します)
6. 書き終わったら、願い事がかなったことをイメージしながら瞑想(めいそう)します。
7. 書写したみ言を生活の中で、意識しながら実践します。(一日の終わりに気付きを確認してください)
(参照:冊子『自叙伝「平和の母」に学ぶ心の書写』〈非売品〉)
※用紙は、半紙または書写用紙を使用しましょう。
※詳細は最寄りの家庭連合にお問い合わせください。
※詳細は最寄りの家庭連合にお問い合わせください。
自叙伝書写のすゝめ 2
☆
書写を通して統一原理を学び、祝福を受け家庭を出発
(東京都、55歳男性)
(東京都、55歳男性)
私は文鮮明先生のみ言(教え)を読んだり、
書写をしたりしています。
一文字一文字に心を込めることによって、
自分の心の在り方が変わっていったことを感じます。
それをきっかけに、書写の貴い言葉の
原点と言っても良い、「統一原理」を学ぶようになりました。
そこで、私の人生観は本当に変わりました。
元来私は、「結婚したくない」人間でした。
どうしてかと言いますと、世の中の結婚の在り方、
家庭の姿を見てきてあまりいい話を聞いてきませんでした。
嫌な思いまでして、どうして結婚しなければならないのか。
「結婚は人生の墓場」という言葉があるように、
結婚や家庭に対して希望を持てませんでした。
20代の頃は憧れもありましたが、
人生は一生一人でいたほうがずっと幸福だと思ってきました。
☆
しかし、「統一原理」を学び、考え方が完全に変わりました。
統一原理を通して、人間の価値や人生の目的を学び、
結婚が人生の中でいかに大切なことかを知りました。
男性は自分のためでなく女性のために生まれ、
女性は男性のためにこの世に生をうけ、互いにために生きること、
それが結婚であることを知りました。
そして、純潔の大切さと貴さを学びました。
また、最も大切な愛についても学びました。
愛には四つの愛があることを明確に知りました。
それは、「夫婦の愛」「父母の愛」「兄弟姉妹の愛」「子女の愛」です。
その中で最も大切な愛が「夫婦の愛」であること、
そして愛は二人で完成させるものであり、
この世で一番大切なものが「真の愛」であると教えられました。
人を愛することの大切さも実感させていただきました。
今年(2014年)、神様が私に素晴らしい縁を持たせてくださいました。
そのかたは、自分にとって今まで想像もつかない、
とても素晴らしい女性です。
人間は幸せになりたいというのが究極的な目的であると思います。
私は「統一原理」を学ぶことで、新しい人生を出発できました。
結婚に希望を持てなかった私が、
結婚して素晴らしい家庭を築きたいと
望んでいることは、まさに「奇跡」です。
私は声を大にして言いたいです。
「もし、まだ『統一原理』を知らない人がいたとしたら、
ぜひ、『統一原理』を学んでみてください」と。
そして、人生の目的、結婚や家庭の価値、
真の愛の家庭を築くためにどう生きたら良いかを知ってほしいです。
皆さんも、新しい人生を出発してみませんか。
心からお勧めします。
自叙伝書写 感動体験集 19
書写を通して統一原理を学び、祝福を受け家庭を出発
書写を通して統一原理を学び、祝福を受け家庭を出発
☆
書写の証しというよりも、
統一原理や祝福の証しに発展していましたね。
とても素晴らしいです。
自叙伝書写には、たくさんの証しがありますが、
やはり、重要なのが、毎日継続して行う、
いわゆる精誠を捧げる、ということだと思います。
精誠を捧げることにより、
悟り、気づきを得ることができます。
やはり、継続は力なり、ですね。
先回の掲載から日にちが経ってしまいましたが
「手順を教えてほしい」という方がおられたので、
掲載させていただきました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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