2021年04月14日

祈りの中で与えられた聖歌、「私は祭物、この身はどうなったとしても感謝」



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世界家庭4月号、「続・聖歌のめぐみ」より
聖歌15番『我は供え物」です。


  この身はどうなったとしても感謝≠ニいう思いが聖歌になる
  このコーナーでは、私たちがふだん讃美している聖歌が誕生した背景について、
  聖歌編纂委員の天野照枝さん(777双)が解説しています。

  今回は聖歌15番「我は供物」です。
  劉孝元(ユ・ヒョウウォン)統一教会初代協会長のいとこに当たる、
  劉孝敏(ユ・ヒョウミン)さんによって作詞作曲されました。

  以下は、本誌からの抜粋です。

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   お父様の切実な説教

1956年から57年頃、真のお父様が涙とともに語られた説教に、
劉孝敏さんは深く感動しました。
復帰摂理を導いてこられた神様のお心を、「祭壇と祭物」という内容で話され、
私と共に死の場を超えてくれないかと訴えられた説教でした。
祭壇とは、時代性や環境をも意味します。
お父様は次のようにおっしゃったそうです。

「神様がどれだけ長い歴史を耐えて、心を尽くし、
犠牲をいとわず、祭壇を準備なさったかを考えてみなさい。

そのように祭壇を準備されても、祭壇に供えられる清い供え物が悪に侵害されて、
全てが崩れる瞬間の神様の悲しみと、苦しみを思ってみなさい。

アブラハムに、愛するイサクを捧げよと言われるとき、
無慈悲に命令した神様だと思うのですか?

十字架上のイエス様の祈りを、神様はどう聞かれたと思うのですか?

死んでくれと言うとき、神様も泣いておられるのです。
ご自分の心も言えずに泣かれるのです。
私たちは、その心情を知って、神様を慰労する祭物となって祭壇に上り、
今こそ勝利の峠を越えていかなければなりません」

そして、アブラハムのイサク献祭の話をされ、
「そのとき、イサクは、生きているけれども死んだ立場でした。
祭物とはそのようなものなのです」と言われました。
イサクは、自分を祭物として捧げようとする父アブラハムの姿に、
一瞬は驚きながらも、「あんなに自分を愛していた父のすることだ」と、
条件なしに父を信じ、父の信じる神を信じたのです。

イサクがもし逃げ回ったらどうなっていたでしょうか。
アブラハムの忠誠と、それに劣らないイサクの忠誠とが合致して、
共に死んだ立場からよみがえることができたのです。


   祈りのうちに与えられた詞と曲

劉孝敏さんは、真のお父様のその説教に心を深く動かされ、
涙と共に数日を過ごしました。
神の摂理の途方もない忍耐が何のためだったのかを思い、
またそれを語ることもできず、言葉なく泣かれる神の涙を知ったのです。

そのとき、「神よ、あなたの切実なる思いを、私は今、知りました!」
という思いがほとばしったのです。

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▲作者の思いが込められた原譜(草創期の韓国語の聖歌集『성가』から)

そのように、心の深い所で天と交流しながら、祈りのうちに、
一つ一つの言葉と曲が与えられていったので、
この聖歌は「霊歌に近い」と劉孝敏さんは言われました。

祈りは徐々に決意に変わっていきました。
私は祭物だ、この身はどうなったとしても感謝である
という思いが、聖歌「我は供物」として結実したのです。




「祭壇と祭物」
お父様はどんな心情で語られたことでしょうか。

義人たちが通過してきた思い、
それを見つめる神様の心情を誰よりもご存知であり、
お父様ご自身も神様を慰めるために、
喜んで祭物の道を歩まれたのだと思います。

劉孝元先生のいとこの先生が
この曲を作られたことを初めて知りましたが、
曲が作られた背景を知ることによって、
一層深い思いで、歌うことができます。

ありがとうございます。






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posted by ten1ko2 at 10:10 | Comment(0) | 聖歌・UCソング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする