日本家庭連合の草分けの時代、
松本ママに名古屋で伝道された
長谷川みつゑさんの証しです。
☆
竹内(現 長谷川)みつゑさん、入教(1961.9)
◇竹内みつゑさんの手記
春の神様ってどんな神様かしら、
昔幼い頃よく考えたものでした。…
しかし成長する過程にあって…
無情で冷たい神様に思えてしまったり、…
神様と自分は遠く離れた存在になってしまった。…
そんなさびしい私が再び幼児に蘇生したのは
一昨年の9月でした。
神様と共に自然一切が私の教材として戻ってきたのです。…
神様は草木一つにも道端の石ころ一つにも、
それを通じて私たちに語り続けていて下さったことを
知ることができたのです。…
一日も早くすべての人に父の御旨を、
万物のうめきを知らさねばと、
せかされる毎日です。…
名古屋→大阪→東京→京阪神→九州福岡を回り、
そして再び振り出しに戻ったのは(名古屋)
昨年11月4日でした。
一昨年9月三つ子として誕生した二人のお姉様
(大野幸子さんと松本静永さん)と涙の再会をなし、
新たな決意と誓いのもとに天の父の導きを得て、
日も遠くなく次の三つ子の誕生を見ることができました…。
…私たちは声をあげ涙の賛美を天に贈りました。
(『成約新聞』第35号、1963.4.15付より)
☆
◇竹内さんを伝道した松本道子さんの証し
竹内みつゑさんが、実地訓練のために大阪にやってきました。
ところが彼女が来て40日ほどたった頃、
息子が熱を出して死にそうだからすぐ帰って来い
という電報が来たというのです。
彼女は困って「どうしたらいいでしょうか」
と相談に来ました。
「私は行くなとも、行きなさいとも言うことはできません。
…神様に祈って、あなたの知恵と責任で考えてごらんなさい」。
私にこう言われて、彼女は必死に祈って考えたようです。
…ところが翌朝「ママ、私やっぱり行かないわ」
と、こう言うのです。
その訳を尋ねると、「夕べ、夢を見たの」ということでした。
…「私は、神様の多くの子供を救わなければいけないんです。
たった一人の自分の子供のために退くことはできないわ。
だから、私は行きません」と、真剣な顔で言うのでした。
そして、家には行かず、福岡の開拓へと出発しました。
するとその3日後、再び家から連絡が来て、
子供は3日間熱を出したが、
3日後に熱が下がって良くなったということでした。
…こうして彼女は福岡の開拓者となり、
地区長までやるようになりました。
(松本道子『信仰は火と燃えて』より)
歴史編纂委員会・編著(光言社・刊
『日本統一運動史〜文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代
三、草創期を築いた人々の歩み
(3)最初の主要都市開拓伝道以後の歩みと入教者の証し(1961.6〜)
2. 竹内(現 長谷川)みつゑさん、入教(1961.9)
日本統一運動史 33
日本に真の御父母様を迎える準備時代P
(blessed lifeより)
『日本統一運動史〜文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代
三、草創期を築いた人々の歩み
(3)最初の主要都市開拓伝道以後の歩みと入教者の証し(1961.6〜)
2. 竹内(現 長谷川)みつゑさん、入教(1961.9)
日本統一運動史 33
日本に真の御父母様を迎える準備時代P
(blessed lifeより)
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前回の記事でもお伝えしたように、長谷川夫人は、
松本ママが名古屋で最初に伝道された方です。
その後、福岡で責任者をされていた時、
お父様が来日され、劇的な出会いを
もっていかれるようになります。
証しを読ませていただく中で、
アブラハムのイサク献祭の話を思い出しました。
愛する子供が熱を出したのに
み旨を優先して開拓伝道にまい進された・・・
これは家族や周囲から見れば
非常識にしか見えないと思います。
しかし、神様に祈った上での選択でしたから、
きっと天に守られたのでしょう。
長谷川夫人は、日本の草分け、
本当に何もない中を、基準を立ててくださいました。
草創期の先輩たちは、家庭を犠牲にされ
み旨に投入していかれましたが、
韓国における1970年からの3年間の開拓伝道は
その最たるものの一つでしょう。
このとき、摂理的に見れば、どうしても
天側の精誠の条件が必要な時でした。
南北韓の緊張の中で、
真冬に漢江(ハンガン)が凍れば
北が攻めてくる計画があったといいます。
その当時、開拓伝道に出た婦人たちは、
そのような深刻な摂理的な事情は知りませんでしたが、
天の願いを優先し、歩まれました。
そういう先輩たちの歩みがあって、
今の私たちがいるのだ、ということを
決して忘れてはならない、と改めて思いました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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