2021年05月09日

「本当の父に会いたい」祈って越える私、理論ですべて整理する夫 《大谷夫人》



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大谷先生ご夫妻の証し、
今日は、よし子夫人のお話です。


  十二歳の時から捜し求めた
  本当の親との出会い


よし子さん:私の家は八百屋でしたが、
小さい頃、私は母親とうまくいきませんでした。
また、父親ともあまり話したことがなかったのです。

ですから、人は好きなのですが、
親子の情の世界が分かりませんでした。

そして、十二歳のとき、あまりにも寂しくて、
地上にいるのが嫌になりました。
寂しくて、寂しくて、どうしようもなくて、
このまま生きていくのは嫌だなと思いながら
線路の上を歩いていました。

すると、ちょうど斜め上の方から、
「おまえの親がいるよ。
だから、おまえは親を捜しなさい」
という声が聞こえてきたのです。


一九六三年、私が初めて修練会に出たとき、
講師は周藤健先生(四十三家庭)でした。
このとき恐ろしい霊的体験をしました。

修練会の途中から、私は(霊的に)
自分のお骨を自分の首から下げて
講義を聞いていたのです。
そして、そのお骨が日に日に
大きくなって首が痛くなってきました。

それをどうすればいいか、周藤先生に質問しても
回答は得られませんでした。

それで、「神様がいらっしゃるなら、
なぜこうなるのか教えてください?」と祈ってみました。

すると、真っ白い衣装を身に着けた
ものすごくきれいな女性が出てきて
「それを取り除いてほしいの?」と言ってくるのです。

私が、「神様なら、それができるでしょう」と言うと、
急に形相が変わり、角が出てきて鬼になりました。
私が「あなたはサタンね!」というと、全てが消えました。


実は、私の兄が十年間、霊的な現象に苦しみました。
私は初め、兄から霊的なものが離れること、
そして母の苦労が和らぐこと、
それのみを願ってこの道に来たのです。

私が七七七家庭の祝福を受ける直前に、
兄は交通事故に遭いました。
そしてそれ以降、霊的な現象が一切、収まったのです。 
    

私は、祝福のとき、祝福を受けたいというよりは、
本当の私のお父さんに出会いたいと思って出発したのです。

そして先ほどお話しした祝福前後のお父様とのやりとりを通して、
神様が本当の親に出会わせてくださったことを確信しました。
それから、真の父母様に対する
ぶれない信仰を持つようになったのです。


振り返ってみれば私の信仰生活は霊的な闘いの連続です。
周囲の人から見たら、
「なぜ、そんなに人と衝突ばかりするの?」
という感じだったようです。
夫でさえ、そう言うのですから。

しかし、私は衝突したくてしているつもりはありません。
霊的な攻撃が来るので、それを超えなければ
道が見えないので闘っていたのです。

そのようなとき、「お父様、私はこのように
歩んできましたが、お父様から見て、
これはどうなっているでしょうか? 
私が間違っているのでしょうか? 
私はどうすればいいのでしょうか?」
と昼夜、祈る中で、真のお父様のご心情に出会い、
道が開かれてきました。

「お父様、こうですね?」と、ずっと祈祷していくと、
お父様が最後にニコッと笑われるのです。
そうすると、ほっとします。

ですから、真の父母様がいらっしゃらなければ、
私は何も勝利できなかったと思います。


夫は、理論派、理性派です。
ですから、全てを、霊的な世界や情の世界までも
理論で整理してしまうのです。

しかし、私の情の世界というのは理論では整理できない、
割り切れないものがあるのです。
そこにものすごい闘いがありました。

それで、私は神様に祈り、また、
植物や動物を愛して超えてきました。



よし子夫人が語られた
「祝福前後のお父様とのやりとり」とは、
お父様から「お母様を研究しなさい」
とアドバイスを受けたり、訪韓した時、
修錬会で7回立たされて、み言を受けたこと、
さらには、「このカップルを実験する」
と語られたことなどだと思います。

大谷夫人は、祈られながら霊的に悟っていかれる方ですから、
ご主人が勝共理論をまとめたり
いろいろな功績を立てられる背後で
夫人の精誠があったことでしょう。

このような夫人に対して、
ご主人は、東大大学院卒の理詰めの方、
極と極のお二人であり、
一つになるのは、大変だったかもしれません。

しかしそういう中でも、
お互いの良いところを補い合って、
天の喜ばれる家庭になられたのだと思います。

もう少し続きます。





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