大谷先生ご夫妻の証し、
今日は、よし子夫人のお話です。
☆
十二歳の時から捜し求めた
本当の親との出会い
よし子さん:私の家は八百屋でしたが、
小さい頃、私は母親とうまくいきませんでした。
また、父親ともあまり話したことがなかったのです。
ですから、人は好きなのですが、
親子の情の世界が分かりませんでした。
そして、十二歳のとき、あまりにも寂しくて、
地上にいるのが嫌になりました。
寂しくて、寂しくて、どうしようもなくて、
このまま生きていくのは嫌だなと思いながら
線路の上を歩いていました。
すると、ちょうど斜め上の方から、
「おまえの親がいるよ。
だから、おまえは親を捜しなさい」
という声が聞こえてきたのです。
☆
一九六三年、私が初めて修練会に出たとき、
講師は周藤健先生(四十三家庭)でした。
このとき恐ろしい霊的体験をしました。
修練会の途中から、私は(霊的に)
自分のお骨を自分の首から下げて
講義を聞いていたのです。
そして、そのお骨が日に日に
大きくなって首が痛くなってきました。
それをどうすればいいか、周藤先生に質問しても
回答は得られませんでした。
それで、「神様がいらっしゃるなら、
なぜこうなるのか教えてください?」と祈ってみました。
すると、真っ白い衣装を身に着けた
ものすごくきれいな女性が出てきて
「それを取り除いてほしいの?」と言ってくるのです。
私が、「神様なら、それができるでしょう」と言うと、
急に形相が変わり、角が出てきて鬼になりました。
私が「あなたはサタンね!」というと、全てが消えました。
☆
実は、私の兄が十年間、霊的な現象に苦しみました。
私は初め、兄から霊的なものが離れること、
そして母の苦労が和らぐこと、
それのみを願ってこの道に来たのです。
私が七七七家庭の祝福を受ける直前に、
兄は交通事故に遭いました。
そしてそれ以降、霊的な現象が一切、収まったのです。
☆
私は、祝福のとき、祝福を受けたいというよりは、
本当の私のお父さんに出会いたいと思って出発したのです。
そして先ほどお話しした祝福前後のお父様とのやりとりを通して、
神様が本当の親に出会わせてくださったことを確信しました。
それから、真の父母様に対する
ぶれない信仰を持つようになったのです。
☆
振り返ってみれば私の信仰生活は霊的な闘いの連続です。
周囲の人から見たら、
「なぜ、そんなに人と衝突ばかりするの?」
という感じだったようです。
夫でさえ、そう言うのですから。
しかし、私は衝突したくてしているつもりはありません。
霊的な攻撃が来るので、それを超えなければ
道が見えないので闘っていたのです。
そのようなとき、「お父様、私はこのように
歩んできましたが、お父様から見て、
これはどうなっているでしょうか?
私が間違っているのでしょうか?
私はどうすればいいのでしょうか?」
と昼夜、祈る中で、真のお父様のご心情に出会い、
道が開かれてきました。
「お父様、こうですね?」と、ずっと祈祷していくと、
お父様が最後にニコッと笑われるのです。
そうすると、ほっとします。
ですから、真の父母様がいらっしゃらなければ、
私は何も勝利できなかったと思います。
☆
夫は、理論派、理性派です。
ですから、全てを、霊的な世界や情の世界までも
理論で整理してしまうのです。
しかし、私の情の世界というのは理論では整理できない、
割り切れないものがあるのです。
そこにものすごい闘いがありました。
それで、私は神様に祈り、また、
植物や動物を愛して超えてきました。
☆
よし子夫人が語られた
「祝福前後のお父様とのやりとり」とは、
お父様から「お母様を研究しなさい」
とアドバイスを受けたり、訪韓した時、
修錬会で7回立たされて、み言を受けたこと、
さらには、「このカップルを実験する」
と語られたことなどだと思います。
大谷夫人は、祈られながら霊的に悟っていかれる方ですから、
ご主人が勝共理論をまとめたり
いろいろな功績を立てられる背後で
夫人の精誠があったことでしょう。
このような夫人に対して、
ご主人は、東大大学院卒の理詰めの方、
極と極のお二人であり、
一つになるのは、大変だったかもしれません。
しかしそういう中でも、
お互いの良いところを補い合って、
天の喜ばれる家庭になられたのだと思います。
もう少し続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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