日本家庭連合の初期の初期、
日本の母、松本ママの名古屋開拓伝道の証しです。
☆
初めての開拓伝道が開始されました。
名古屋に行って伝道所もできない間に、
西川先生が巡回に来られるというので困ってしまいました。
その時は金おばあちゃん(金在任《キムジェイム》さん)の家に
住んでいたのですが、そこは焼け跡に
トタンで囲いを立てて畳2枚を敷いた所なんです。
仕方なくて名古屋城とか市内を案内していたら、
西川先生は「どこに泊まっているの?」と聞くのです。
「おばあちゃんの家にいるのだけれど、
そこは焼け跡で、とても案内できる所じゃないんです」
と答えたのですが、それでも連れていくように言うのです。
案内すると西川先生は
「神の娘が泊まる所は天国だ」と言います。
金ばあちゃんもメシヤに会うような喜びようで
「今夜はごちそうだ」と言って、
スイカを切って出したりしました。
その日は深夜まで話が尽きなくて、
翌日西川先生は帰られました。」
(『ファミリー』1983年9月号より)
☆
一足きりのサンダルは、減ってスリッパのようになり、
石につまずいて足から血を流しながら
名古屋中の教会を片っ端から訪ね、
ただひたすら伝道して歩きました。…
しかし、すべての教会は…こぞって私を非難し嘲笑したのでした。
そうしたある日、路傍で一人のクリスチャンの女性に会い…
自分の家に来てほしいと言います。…
往復3時間もかかるところにありましたが…
毎日その家を訪ね、2時間ずつ講義をしていきました。…
いつものように彼女の家を訪ねていくと…
お母さんが出てこられ『娘は今朝旅に出ました。…
明日からは来なくて結構です。
これは…今まで…通って下さったお礼です』
と言って、封筒を差し出すのです。
込み上げてくる悲しみと義憤にかられて…
封筒を床に叩きつけ…あまりに悲しくて…
そのまま気を失うかと思うほどに泣いたのです。…
どんなに…殴られたり、蹴られたりしても、
そんなのはちっとも痛くないのです。
このように裏切られた時の心情というものは、
本当に耐えられないもので、岩の上に座ると、
また涙が溢れて来るのでした。
そして、二千年前の…イエス様の心情が
ひしひしと伝わってきて、
また絶叫の涙が溢れるのでした。
そして『…神様、私はもうクリスチャンを伝道しません。
こんな悲しさに耐えられません』と
神様に向かって泣いて訴えました。
☆
伝道する力はないのですが、路傍伝道の時間が迫ってくると…
黒板をさげ、山をとぼとぼと下りて…
名古屋の駅前に立って、この日は泣きながら訴えました。
…家につくと、一晩中泣いて祈って、
その夜は泣きながら眠ってしまいました。
目が覚めると…この日からはもう
クリスチャンにこだわらず…
すべての人々に伝道することにしました。
…それで40日を終わろうと思ったのです。
…そうして歩いていくうちに…講義の約束ができ…
3人の婦人が待っていました。
…細心の注意を払って…救世原理を語りました。
イエス様のゲッセマネの心情を訴え…
神様の歴史的心情を訴えました。
…ところが講義が終わりに近づいた頃、
…竹内みつゑさんという婦人が…やってきました。
この婦人はとても熱心なクリスチャンで
途中からでしたが側へ来て、
じっと話を聞いているのです。
そして…人間の罪の根、原罪は淫行にあると結論づけると、
彼女は噛み付きそうな顔をして怒り出しました。
『どこの聖書に、原罪が淫行だと書いてあるんですか。
…とんでもない話です。あなたは異端です』
と、私に食ってかかるのです。
…後から来て水を差すものですから…
「あなたは途中から入って来たのではありませんか。
初めから聞かないで…間違っていると
結論を出すことはできないでしょう」…。
そうなると、竹内さんも私に劣らず勝ち気な人ですから、
その場で激しい口論が始まりました。
そして「…初めから聞かなければわからない
というなら、初めから聞こうではありませんか」
と言い出したのです。…
☆
翌日、大野(幸子)さんの家に行くと、
8人くらいの人が集まっていました。
竹内さんは昨日の話に憤慨し、
「とんでもないことを言う人が来ました。
皆さん、話を聞いてみましょう」
と仲間のクリスチャンに呼びかけて集めていたのです。
…創造原理から始めて…復活論まで、
私は機関銃のように一気に語りました。
…夜には13人に増え、気が付いたら夜中の1時でした。
…その時には、もう貧血で倒れそうでした。
…その日はちょうど、開拓を始めて40日目でした。…
「…私はもう東京へ帰らなければなりません。
どうか最後にこの終末論だけ聞いて下さい」
と必死で頼むと、…翌日、…13人の中の一人、
松本静永さんの家で講義をすることになったのです。
…希望に満ちた終末の話を聞き、
彼女たちは泣いて喜んで
『ハレルヤ、ホザナ』と口々に叫びながら、
私の周りに集まってきました。
そして「松本先生、どうぞ行かないで
私たちを指導して下さい」と言って私を引き止め、
その中の小牧さんというお婆さんは、
まだ開業していない幼稚園を
教会として献納して下さいました。
そのうえ、金婆さんが来て…5万円という大金を
献金してくれたのです。
…名古屋に初めての統一教会ができたのでした。
(松本道子『信仰は火と燃えて』より)
歴史編纂委員会・編著(光言社・刊
『日本統一運動史〜文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代
三、草創期を築いた人々の歩み
(3)最初の主要都市開拓伝道以後の歩みと入教者の証し(1961.6〜)
1. 松本道子さんの名古屋開拓伝道
日本統一運動史 32
日本に真の御父母様を迎える準備時代O
松本道子さんの名古屋開拓伝道
(blessed lifeより)
『日本統一運動史〜文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代
三、草創期を築いた人々の歩み
(3)最初の主要都市開拓伝道以後の歩みと入教者の証し(1961.6〜)
1. 松本道子さんの名古屋開拓伝道
日本統一運動史 32
日本に真の御父母様を迎える準備時代O
松本道子さんの名古屋開拓伝道
(blessed lifeより)
☆
松本ママの証しは、
古い方なら誰もがご存じかと思います。
また、ブログにも過去、何度か掲載しました。
今回、ブレストライフに取り上げられていたので
改めて読み直して、
伝道の原点に帰らされたというか、
み旨を歩む動機をただされるので、
皆様にも紹介しようと思いました。
どんな迫害にあっても決して屈せず、
真の限りを尽くして歩まれた松本ママ。。。
先日の勝利報告大会では、
自叙伝を多数配布された家庭が式典に招待され、
表彰を受けていました。
知り合いの韓日家庭の婦人も、
毎日一人で伝道実践をして、
自叙伝を配布しているそうです。
松本ママの心情、精神を相続して、
多くの人にみ言を伝えることができるように、
み旨に邁進していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)