金元弼(ウォンピル)先生の
平壌開拓時代(1946年頃)の証し。
先回までは、腹中教についてでしたが、
その続き、「霊能者の入信と悩み」です。
☆
先生は直接街頭に出て伝道されたのではなく、
先生に出会った人が伝道をして連れて来ていました。
その伝道も、その人たちはお祈りをして、
神のただ一つの言葉を聞いただけで、
神のお告げで入信するという状態でした。
その人たちは既にそういうお祈りの準備をしていたからです。
ですから心を決めるのが非常に早いのです。
しかし、神の啓示によって入信しても、難しい問題がありました。
☆
その人たちは家族を持ち、また既成教会の中心者でした。
それゆえに、神の啓示によって
真理が分かって統一教会へ入ったけれども、家庭の反対、
その次に教会からの反対を免れることができませんでした。
家の中で、いてもいなくてもいい
という存在であればまだいいのですが、
家の中心者になっていて、また尊敬されている人たちでした。
また教会のすべての人たちがその人によって伝道され、
育てられたのであり、彼らによって教会が建てられたという人たちです。
ですからこそ迫害が最も大きかったのです。
教会に入ると決めたのですけれども、迫害が大きかったので、
どのようにこれを調和していくのか、
縁を切るのか妥協するのかという点で悩んだのです。
☆
それは私たちが最初にみ言に触れて決心したその当時を考えてみれば、
少しくらいは理解できると思います。
皆さんは、今お話ししたような人たちとは事情が違い、
家族の(中心というわけではなく)一員でありますし、
また教会の中心者でもないのですから、
その人たちとはやや事情を異にすると思います。
しかし、自分がいままで情を結んでいた
その友達と離れなければならないことや、
深く関係している学校を辞めることや、
職業を辞めなければならないということもあったりして、
その人たちとは事情を異にしているものの、
今まで情を結んでいたのにその縁を切るという点においては、
全く同じ内容をもっていると思います。
皆様がかつて学校をどうするかと悩んだことを考えれば、
その人の事情が理解できると思います。
親から離れるのか、友達から離れるのか、
それとも学校を選ぶのか、職業を選ぶのか
職を離れるのか悩んだ過去があったと思います。
☆
その人たちは霊能者たちです。
そういう人たちは、そのような悩みを
どのように解決したらいいのか分からないときに、
先生を訪ねるのです。
先生はいちいち牧会しなければなりませんでした。
その悩みは、その人にとっては非常に深刻なものです。
天の啓示は、いつもいつも自分が困難な局面にいるときに
教えられるというものではありません。
天の啓示は、そんなにいつもいつも与えられるものではありません。
もしそのように啓示をすることができるならば、
そもそも人間の堕落はありえないのです。
ですからそういう人が訪ねてきたときに、
先生がもしそれをテイク・ケア(*世話、この場合は牧会)しないならば、
彼らは悩みのために教会活動を
長く続けることができなくなってしまいます。
I 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
「霊能者の入信と悩み」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第一章 平壌開拓の日々
「霊能者の入信と悩み」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
私たちは、それぞれ、導かれ方も違いますし、
使命もその大きさも違うところがあります。
私たちなりに、み旨を最優先するために、
過去の事情を振り切って、
み旨にやってきた一人一人ではないでしょうか。
昨日も長谷川みつゑ先生の証しで書いたように、
昔の大先輩たちは、様々な事情を乗り越えて、
み旨に献身していかれました。
その困難は壮絶なものだったと思います。
また、特に霊能者の方は、
困難な時ほど、霊界からの協助がなく、
自ら決めなければならなかった、
いわゆる責任分担というものが、
一人一人に課せられているのだと思います。
最近、ハデベ預言者をはじめとして、
義人たちが立ち上がってきていますが、
自らの責任分担5%において、
この道を優先し、お母様を優先したがゆえに、
義人として立っておられるのだと思います。
この道との出会いが短かったとしても、
過去の信仰を土台としているし、
迫害を超えてきているので、
お母様との結びつきが、とても強いのでしょう。
私たちは、それぞれ天と真の父母さまから、
願いをかけられています。
5%の責任分担をかけて
その願いに生きていくことを通して、私たちも
小さな義人になっていくことができると思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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