真のご家庭の中にあって、
現在もお母様を支えておられる文姸娥(ムン ヨナ)様。
2015年に来日された時のメッセージ。
blessed lifeに新連載で紹介されます。
☆
文姸娥(ムン・ヨナ)様(文孝進〈ムン・ヒョウヂン〉様令夫人)が
8月14日から18日、真のお母様の願いを受けて来日され、
各地を巡回して親しくメッセージを語ってくださいました。
文姸娥様は一貫して、真のお母様のご心情に寄り添いながら、
「真のお父様の願いを成し遂げようとされるお母様と共に、
天に孝行を尽くしていきましょう」と訴えられました。
ここでは、東東京教区新宿教会で8月15日に開かれた
国際祝福家庭の集いで、首都圏の国際祝福家庭630人を前に
語られたメッセージ(翻訳し、整理したもの)の一部を紹介します。
なお、タイトルは(『世界家庭』)編集部で付けました。
(文責・『世界家庭』編集部)
(文責・『世界家庭』編集部)
☆
真の父母様を通して初めて、本当の天の父母様のお姿を知った私たち
皆様、こんにちは。
お会いできてうれしいです。
先ほど、25年前に孝進様が新宿教会に初めて来られて
聖別式をされたときの写真を見せていただきました。
それで、孝進様がいつも語っておられた言葉が思い出されました。
「自分自身の限界を知らなければならない。
その限界の中で最善を尽くし、
その限界を超える欲を持ってはいけない。
自分がいくら努力してみても、
真の父母様の子女であるだけだ」
「真の父母様の前に、私はただ通り過ぎる人にすぎない。
どんな実績があったとしても、それは真の父母様によって
与えられたものだから、真の父母様にお返しするものだ。
全ては真の父母様を中心として始まったものだから、
私という存在はないのと同じだ。
全ては真の父母様に帰結されていくだろう」
☆
このような孝進様のお考え、姿勢は、
正に真の父母様から来たものです。
真の父母様こそ、どのような誇らしい実績があったとしても、
全ては天の父母様(神様)の導きであるとして、
栄光をおささげになったではありませんか。
真のお父様のご在世時、アメリカでの大きな大会を
勝利された翌日の訓読会のときだったと記憶しているのですが、
お父様はこう語られました。
「全ては神様がなさったことだろう」と。
お父様のご生涯とは、
「天の父母様に孝行をするために最善を尽くされた」、
これに尽きると思います。
ここで、真のお父様のみ言を紹介しましょう。
☆
「真の父母を知る、ということですが、
皆さんは、真の父母の家庭については、
信じるのではなく、真の父母様を知り、
真の父母様の家庭を知っているのです。
信じているのではありません。
ですから、“真の父母様を信じている”
と考えてはいけない、というのです。
“知っている”と考えなければなりません。……
真の父母と生活しなければなりません。
“知った”のですから、共に暮らさなければなりません。
そうして、真の父母のように
生きなければならないのです。……
真の父母を知ることによって、神様を知り、
この宇宙を知り、愛の世界を知り、
それらすべてのものを知るというのです。……
再臨主が来ることによって、
真の父母が来ることによって、
このようなすべてのことを知るようになった
ということは、驚くべき事実です。
皆さんは、神様の愛がどのようなものであり、
宇宙がどのようなものであるのか知っているのです。
統一教会は、すべて知っているというのです。
それ以上、教えてあげることがありません」
(1997年9月14日、米国ニューヨーク・ベルベディア)
☆
私たちは今、どうしてこの群れにいるのでしょうか?
この世の人たちには理解できなくとも、私たちには分かるからです。
真の父母様を通して初めて、本当の天の父母様のお姿、
その愛を知ることができたのだということを。
もう一つ、み言を紹介します。
私が訓読する中で、真の父母様のご心情について
深く考えさせられたみ言で、「精誠と愛」というタイトルです。
☆
「自分だけの一生ではありません。
私が死んでも、永遠の人類解放のために神様の前に
精誠をささげた度数は残される
ということを考えるとき、それを心配し、
精誠をささげて愛さなければなりません。
こうすることによって、皆さんが霊界に行けば、
神様と関係したその世界を、昔、愛して
精誠をささげたので、解放圏が広がるというのです。
それを考えるとき、み旨を知った以後の道
というものは、楽なことはないのです。
個人のために精誠をささげ、
家庭のために精誠をささげなければなりません。
もちろん、自分の家庭ですが、それは世界を代表して
精誠をささげる一つの祭物です。
生きた祭物の家庭のように、このような立場で
進んでいくべきなのが、皆さん、祝福を受けた人々の
解放的完成圏に到達することだということを、
いつも考えなければなりません。
ですから、疲れることのできない道です。
心が足らず、涙なしに行くことができない復帰の道だ
ということを考えなければなりません。
何か良いものがあれば、私が先に食べると
考えてはいけないというのです。
孝子の道、忠臣の道とはそのようなものです。
天を考え、世界人類を考え、私が持つ、
このおいしい物を、私だけ食べるのではなく、
神様を通して食べるので、その世界を心配する
神様の眷属(けんぞく)になるのです」
(1999年1月5日、ウルグアイ・プンタデルエステ)
☆
真のお父様は、どれほど熱心に天の父母様のために生き、
努力されたことでしょうか。
どのような思いで祈られ、どのような思いで食事を召し上がり、
どのような思いでお休みになったことでしょうか。
それらのことを私は、自身の足りなさゆえに
見過ごしてきたのだなあと、このみ言を読みながら思いました。
私は真の父母様のご家庭と縁を持って、おそばで生活しましたが、
おそばにいながらも、見ることも感じることもできなかったのです。
遠くにいて学んだり経験したりできない皆様に
お伝えすべき責任があったのに、
それができなかったことを本当に申し訳なく思っています。
(『世界家庭』2015年10月号「文姸娥様のメッセージ
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか」より)
私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか(1)
(blessed lifeより)
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか」より)
私たちの真の父母様
〜文姸娥様のメッセージ〜
真のお母様は今、何を見詰めていらっしゃるのか(1)
(blessed lifeより)
☆
真の父母様を「信じている」のではなく、
「知っている」私たちである。
だから「ともに暮らさなければならない」
とても重要なみ言だと思います。
また、真の父母様は、
常に神様を中心に生活されている・・・
そのことを生活の中心に置かれています。
一挙手一投足を神様とともに成す。
真の父母様は、無意識の中で歩まれています。
私たちは、もっともっと意識して生活をなし、
無意識でも歩めるようにしていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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