2021年07月25日

若き再臨主が、現代の十字架に向かっていった経緯 1947-48平壌 《金元弼先生》



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金元弼先生の平壌時代のみ言。

いよいよ再臨主、最大の十字架・興南が
近づいてくる予兆が見えてきました。

今日は、「牧師の反対を利用する共産党」です。


韓半島では、キリスト教が伝来される時、北の方に先に伝わりました。
ですからキリスト教は北の方が盛んでした。
中でも、平壌にはすべてのキリスト教の中心がありました。

神学校も有名な復興師も、全部平壌に集まっていました。
平壌は霊能者が第二のエルサレム
と啓示を受けていたほどに、たくさんの教会がありました。
日曜日には鐘の音でうるさいくらいでした。

そういうところに先生が一人でやって来られたのです。

平壌の牧師たちは、その教会の中心幹部であり
統一教会につながっているメンバーに対して、
「私が今日、あなたの先生に会い、目の前で聖書の討論をして、
その教会がどれくらい異端であるか、お前に見せてあげよう」
と言って、先生を訪ねました。

「それを見たらお前は必ずこの教会に
帰ってくるようになるだろう」と念を押して。

訪ねてきた牧師を先生は丁重に迎えられました。
そして先生はその牧師が何を聞いてくるか御存じでしたから、
牧師が話す前に、彼が話そうとする
すべての問題についてお話ししてあげました。

聖書を通して、ずーっと説明されますので、
牧師は何も言うことができなくなりました。
彼はただ、「本当に苦労していますね」
という一言を残して去っていきました。

そしてこの牧師によって、聖書で討論しては
先生を負かすことはできないといううわさが
徐々に流れていったのでした。


そしてついに彼らは共産党の官憲に投書をしたのです。

教会の重要な幹部たちが統一教会へ行っていることに対して、
異端だということだけでは説得することが
なかなか難しいと分かり始めました。

しかし、教会ではその重要な幹部たちが全部出てしまうと
教会を運営することが難しいと気が付いて、
どんなことをしても彼らを取り戻さなくては、
と考えざるを得ませんでした。

彼らが取り上げた問題は何かといいますと、
「淫乱に違いない。淫乱な集団である」ということです。

統一教会は淫乱な集団であると問題にし始めました。
「この教会は家庭を破壊する教会だ」というふうに言い始めたのです。

その次に、「教会を破壊する」と考えたのです。
つまり、「社会の秩序を乱している」というのです。

これを利用したのが共産党でした。
彼らは、「この団体は家庭を破壊し、教会を破壊する」
として、さらに「共産主義社会の秩序を破壊するものだ」
といって問題にしたのです。


家庭や教会から反対されればされるほど、
メンバーたちの信仰はより強くなり、
霊界の協助は一層強くなったのでした。
霊人たちは細かいところまで教えてくれたのです。

教会の長老たちは、組を成して先生の所へやってきました。
そして先生の髪の毛を引っ張って迫害しました。
そういう中にあっても、先生は抵抗せず、
やさしい羊のごとくなすがままにしておいたのでした。

その場を見ていたメンバーたちは憤慨して、
その人たちを引き離すようにして帰したのでした。


先生は、こうした教会の中心幹部で、み言が分かり、
神のみ旨がよく分かった人たちには、
「教会に再び帰って、み言を伝えるように」
とお話ししてくださいました。

けれども、そういう人たちは、一度恵みに出会いますと、
なかなか自分の教会には帰りたいとは思わなかったのでした。
先生の言うことを聞かずに、
先生の所にいつもいつも来ていたので、
迫害が非常に激しくなりました。

食口になるのに二つの場合があるといいます。
まず非常に難しい問題を抱えているとき、
もう一つは非常に喜びにあふれているときです。

この人たちは、恵みの中にあったので、
先生の言われることをなかなか聞けなかったのです。

I 平壌開拓から興南解放
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「牧師の反対を利用する共産党」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


迫害の発端は、自分の信徒が奪われていくことに対して
お父様と教会に対しての嫉妬心・・・
つまりは、批判する人自身の堕落性にありました。

真のお父様は、そのようなことは
何もしていなかったのに、
ただ、純粋にみ言を伝えただけなのに、
本当に残念なことです。

さらには、当の食口たちも
恵みの中にいると、お父様の指示を聞くこともなく、
勝手に喜んでしまう・・・
これも堕落性ですね。

イエス様を思い浮かべてしまうのは、
洗礼ヨハネが立てなかった後のイエス様と
許孝彬が受け入れなかったことで
お父様は同じような立場に立たされていたからでしょう。

イエス様の苦難の路程と重なるように、
十字架の道ともいえる興南監獄を
避けることができませんでした。

真のお母様と歩むこの天一国時代、
もう堕落性と戯(たわむ)れてばかりではなく、
私たちは、本当に良心に忠実な歩みをしなければならない、
改めて思わされるのです。





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posted by ten1ko2 at 09:49 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月24日

国のため、世界のために祈る人が成長する?! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の「信仰と生活のみ言より
「公的基準」です。


伝道師がいなくても自分一人で育っていく方法は、祈りです。
だから、祈りの方法を教えてあげるのです。
祈りは絶対に自分のため、自分の家族のためにしないで、
民族のために祈り、世界のために祈らなければなりません。

私たち一人一人は、国家と有機的な関係にあります。
国家は世界に含まれているので、世界がなくては国家はなく、
国家がなくては私たちはない、この関係をよく教えてあげるのです。
私的なものよりも公的なものを心配するようになれば、
神はいつもその人を所有し、干渉してくれます。
そういう心のもち方を教えたならば、いつまでもサタンは侵入できません。

 
しかし、それは信仰の前段階なのです。
だから信仰観念の全くない人には、「神はいる」とかの話はしにくいので、
生活の基準を公的なものにもたせるようにしてやるのです。
言葉を話す前に、そういう心の基盤をつくってやるのが伝道師の役目です。

 
私たちが祈る場合でも、その祈りの基準を教会にばかり置いていてはいけないのです。
そうなると、信仰の発展が、ある程度までで止まってしまうのです。
だから、自分のやっている仕事と全体との関係をよくつかんでいくことが、
自分を成長させるには正しい態度だというのです。

 
霊界も、公に対する愛着心をもっていたなら、いつも啓示してくれるのです。
何か困ったことがある場合でも、神は直接個人に対して啓示できなくても、
その人のために祈っている人には啓示してくれるのです。
だから、三人が同じ事情で祈ったなら、
必ず行く道を示してくれるのが、霊界の法則です。
責任者という立場も、自分の思うままに兄弟を導こうとするのではありません。
天の使命をもった私たちのことを、
天はだれよりも責任をもって心配しているに違いないから、
それを悟っていけば、いつも自分たちの行く道は天によって示されるのです。

 
韓国では、教会長になると、先生が現れていろいろ教えてくださったり、
説教でも、先生がソウルで説教される時、
地方でもその題名を霊的に教えられたりするのです。
重要な行事が本部である時も、
地方の教会長はとても本部に来たくてたまらないけれど、
教会を守るため来られない場合は、
本部でやっている行事の内容を全部教えられるのです。
大概韓国の教会長以上の指導者たちは、
聖日のたびに先生が新しい話をされる時、
どういう方針を話されたかということを、必ず地方でも霊通して分かっているのです。

自分の体験からしても、一カ月一回、会議のためにソウルに来てみると、
自分が一カ月間地方で兄弟たちに主張してきたことと
同じ内容のことを先生も主張しておられるのです。
だから、いつもびっくりしたのですが、全国に分かれている兄弟たちに、
ある基準さえあれば、霊的に全部教えられるのです。

ある祭日に、自分たちはソウルに行けないので、
一緒に山へ登って礼拝をしたことがあるのですが、
その日には、本部の礼拝の説教がそのまま通じて、
一人だけというのではなく、そこに集まった人全員が
本部の礼拝の言葉を聞くということもあったのです。

1.牧会
「公的基準」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


霊的な感性が高まると、真の父母様の心情に通じ、
説教の内容が似通ったものになる・・・
本当にそうなのだな、と思います。

真のお母様に直接侍られている方が、
『お母様の雰囲気が突然変わられることがある。
厳しく、強く語られることがある。
こういう時はお父様が語られている』
と話されていたそうです。

私たちに『お父様が入る』
ということはあり得ないことですが、
心情を近くに感じる、ということは、
とても大事なことではないか、と思います。




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2021年07月23日

離婚の危機、夫と私を取り持ってくれた「良心」 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラムの証し。
今回は、「夫を牧会してくれた良心」です。

(女性 50代)

私は36万双マッチング家庭で、4人の二世を授かりました。

自己牧会プログラムには昨年1月に出合いました。

それまでは自分の堕落性を客観的に見ることができず、
神様、真の父母様を証ししていく立場なのに、
何の証しにもならない自堕落な自分だと、
自分を責め続けてきました。

夫婦仲もあまり良くなく、そのせいで
子供たちも教会につながらないんだ、
勉強もできないんだと責め続けてきました。

でも、自己牧会プログラムの内容を学ぶうちに、
自分を責めなくてもよいと思えるようになり、楽になりました。

他の二世と自分の子供を比べては苦しんでいたのが、
今では前向きに捉えることができるようになったのです。
これは私にとって大きな救いでした。

最近、夫といざこざがあり、
離婚する、しないのやり取りまでしてしまいました。

夫の気持ちが落ち着くまで私からは何も言わないでおこうと決め、
その間は「光を投げ放つ」ワークをしながら、
夫の気持ちに寄り添うよう努めました。

次の日、夫から来たLINEでの言葉は、
マイナス的な内容ではありましたが、
ところどころに私のことを思う文面もありました。
私はその文面の中に、夫の良心を感じました。

私は、こんな内容のLINEを返しました。
「人間には良心があり、あなたにも同じように良心があります。
良心は私たちが一つになり、幸せになるように導いてくれます。
私もあなたと一つになりたいし、幸せになりたい」

すると、すぐに夫の心に変化が起こり、
けんかしたのがうそのように、穏やかな雰囲気に戻ったのです。

夫の良心が夫を牧会してくれたのだと思いました。
すごい神体験です。

まだまだ、夫の全てを愛すること、許すことが
できているわけではないし、夫に要求してしまうこともあります。
でも、いつか夫と一つになって、天寳家庭、
神氏族メシヤを勝利したいと前向きに思えるようになりました。

私は今、毎日、この言葉をおまじないのように唱えています。

「全ての環境、人を、心の目で見させてください」
「思いどおりにならなくても大丈夫」
「ごめんなさい、許してください、ありがとう、愛しています」

良心の声を感じること、聞くことができているわけではありませんが、
嫌なことがあっても、「良心だったら、笑いながら
『大丈夫だよ』と言ってくれるんじゃないかな」と
想像するようにしています。

すると、笑いがこみ上げてきて、
嫌なことも吹き飛んでしまいます。

これからも、自己牧会プログラムのワークを続けながら、
良心の願うままに生きることができるように頑張りたいと思います。

私の心の中にいる神様78
夫を牧会してくれた良心
(blessed lifeより)


人と比較せず、良心に従って生きる・・・
本当に重要なことだと思います。

またどんな人にも良心があるので、
その良心をいかに引き出すか、
それもとても大事なことです。

やはり、私自身が良心に基づいた歩みをする、
どんな状況、環境にあっても
感謝と愛を中心に歩んでいく。
そのことを改めて学ばせていただきました。





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