2021年07月01日

筋金入りの左翼になるか、牧師になるか、二つの思想に揺れた大学時代 《小山田先生》



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小山田先生の自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」より
大学時代の証しです。

共産主義とキリスト教、二つの思想に関わりますが、
共産主義の限界に気づき、さらに
キリスト教の洗礼を受けるようになる
それまでのお話です。


  ヘブライズムとヘレニズムの思想問題

大学の受験勉強に取り組みながらも、
その勉強に問題を感じていました。

人生の本質的な問題とは関係がないので、
勉強は夜十二時までとし、十二時以降は、
前述の三大難問の解決に当てるようにしました。

そして東北大学に入学したのですが、がっかりしました。
大学というのは、自分が勉強する所であって、
人から習う所ではないと考えたのです。

大学時代に私は、四、五種類の本を毎日読んでいました。
それも読みっぱなしにしないで、要点を全部ノートに書いていたのです。


大学には、年配の女性心理学者がいました。
人生の問題に悩む私に、いつもこの先生が言ったものです。

「君の心を見ると、二つの相反する心が葛藤しているね。
一つは、悪は絶対許さないというもの。
それならマルクス主義の『資本論』を
原典(ドイツ語)で読んで(筋金入りの)共産党員になるか、
それとも、全てを許してキリスト教の牧師になるか、
どちらかを選びなさい」と。


思想問題について、当時、私は極左共産主義の中核派や、
日本共産党系の民青(日本民主青年同盟)にも関わっていました。

月曜と火曜、木曜と金曜は、中核派や民青の活動をし、
水曜、土曜、日曜はキリスト教会に通う
という生き方をしたのです。

正にキリスト教と共産主義、ヘブライズム(ユダヤ教・キリスト教の思想の根本)と
ヘレニ ズム(人間中心主義の古代ギリシャの文化や思想)という
二つの思想の間を行き来していたのです。

その頃は、日本全体を揺り動かす「8年安保闘争」の時代で、
全学連(全日本学生自治会総連合)を中心に反米運動が盛んでした。

私も学生デモに参加したり、社会党、共産党を中心とした
左翼の活動にも関わったりしましたが、
その背後にある、中共やソ連(当時)、北朝鮮の策動を
どのように捉えたらよいのか、 疑問の種でした。

機動隊とぶつかったり、日教組(日本教職員組合)の学習指導を受けたり、
全学連の大会や彼らのセミナーにも何度も参加したりしました。


しかし、左翼思想は、常識では絶対に理解することができません。
それは、すさまじいばかりの怨念や憎悪心が
根底にないと理解できないからです。

理論的にマルクスやエンゲルスの思想を見ても分かりません。
怨念、憎悪心といった負の情念が背景にないと
理解できないのです。

それで彼らは、権力への憎悪心を抱かせるために、
必ず新入生をデモの先頭に立てるのです。
機動隊から警棒で叩かれたり、攻撃を受けたりすることで、
怒りと悔しさが出てきます。
負の情念です。

こうして負の情念を植え付けられ、そこから
反体制や国家転覆という発想が出てくるようになるのです。


私は哲学や神学を学んでおり、論理的に考えるのですが、
マルクス主義の本を見ても、論理的には矛盾だらけです。
『国家と革命』(レーニン著)も、理論的には話になりません。

共産主義に関わる中で、私は「国家というものを裏から見る」
という論点を学び、訓練を受けたのだと思います。
体制と反体制という内容です。

大学で習ったヘブライズムとヘレニズムが、
私にとっては最も真剣な問題でした。

常識的にはヘレニズムのほうが入りやすいのです。
それは、どこまでも人間中心主義で、世俗的発想だからです。

しかし、「これでは本質的な問題解決はできない。
情念と情欲を中心とした、人間の堕落した性質を
解決するには不十分だ」と思いました。


  精神的危機からクリスチャンに

大学一年のときに、私の指導教官である
ゲーテ研究の専門家からアドバイスを受けました。
「君は偉大な作家の全集を全部読みなさい」と。

ゲーテは、ドイツが誇る自然科学者であり、
ヴァイマル公国の宰相も経験した政治家、
法律家にして、ドイツの文豪です。
私は、ゲーテの全集、『若きウェルテルの悩み』から
最後の『ファウスト』まで全部読み ました。

そのとき指導教官は、「ゲーテの全集を読む前に、
ゲーテの限界を理解してから読みなさい」と言ったのです。
それで、アルベルト・シュバイツァーの本を薦められたのです。
私に、ゲーテのヘレニズムに限界があることを理解させるためです。

シュバイツァーは、 ヘブライズムを前提にした立場でした。
ヒューマニズムの限界にいくと、ニヒリズム(虚無主義)へと陥ります。
落ちるところまで落ちるとヘブライズムに入っていくのです。
絶望し、その峠を越えて、ヘブライズムに入るようになっているのです。

このようにして私の思考はさらに深まり、高められていったように思います。
そこから、ユダヤ教、キリスト教へと導かれ、
思想や聖書の研究、諸宗教の比較研究、
諸宗教との対話の必要性というものを学んでいったのです。


また男女問題は、私にとって、とても深刻な問題でした。
思春期でしたから。

左翼活動家の中にも恋愛問題があり、
あげくには自殺に追い込まれるといった問題があったのです。

私も「プラトニック・ラブ」(精神的恋愛)を一度経験しました。
私にとって、母の愛、姉、妹の愛という部分では感じられなかった世界を、
私が家庭教師を担当した家庭の、お母さんと姉妹の関係を見ながら感じたのです。
しかし、突然、その家族との関係が切られてしまい、私は精神的危機に陥りました。

それを霊的次元で解決したのです。
その関係をもう一度取り戻すことにより、私は回心し、
洗礼を受けてクリスチャンになったのです。

そのきっかけとなったのが、次の聖句です。

「神はそのひとり子を世につかわし、
 彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。
 それによって、わたしたちに対する
 神の愛が明らかにされたのである。

 わたしたちが神を愛したのではなく、
 神がわたしたちを愛して下さって、
 わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、
 御子をおつかわしになった。
 ここに愛がある」

(ヨハネ の第一の手紙四章9-0節)

自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」
小山田秀生


共産主義とキリスト教との思想における葛藤。。。
小山田先生は、憎悪の思想に染まることなく、
良心にしたがって、神への道を選択しました。

そして、クリスチャンとなった小山田先生が
どのようにして統一教会(現:家庭連合)に出会ったか。
とても興味深いところです。
次回をお楽しみに。。。




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