神明(しんみょう)先生ご夫妻の証しより、
今日は、奥様のお父様との2つの証し、
そしてお子さんたちのお話の部分を紹介します。
☆
忠昭さん:私たち夫婦は七七七家庭ですが、祝福のとき、妻が、
真のお父様から「あなたは活発な顔をしているね」
と言われました。
澄江さん:そんなことは、誰からも言われたことが
ありませんでしたから、びっくりしました。
忠昭さん:本当に妻は活発です。私が負けるくらいです。
普通(普段)は静かにしているようなのですがね。
澄江さん:それから、真のお父様に「大学は卒業したか」
と聞かれ、「していません」と申し上げると、
「いや、いいや。女性なんだから」とおっしゃいました。
そして、「国際的な感覚もあるし、幅広い心を持っているから、
世界に通じる」というみ言を頂きました。
忠昭さん:本当に妻は国際的な感覚を持っているのですよ。
アメリカの人、ヨーロッパの人、アフリカの人、
スパニッシュの人たちの心にすーっと入っていけるのですね。
祝福のとき、妻はこのように真のお父様から大層、褒められました。
☆
澄江さん:一九八三年一月末に、ニューヨーカーホテルに
在米日本食口五百人くらいが集まりました。
くじを引いて、米国五十州に十人ずつ配属され、
三年間伝道をするということでした。
そのとき、真のお父様は夫に、「奥さんはどこにいる?」と言われ、
「奥さん、立ちなさい」とおっしゃったのです。
それで、私が立ち上がると、真のお父様は、
「あなたは忍耐心が強いね」と言われました。
その後、「家庭がうまくまとまる」とか、「いい子供が生まれる」
というみ言を下さいました。
そのとき、すでに三人の子供がいたのですが。
☆
忠昭さん:その後、もう一人生まれ、おかげさまで四人の子女に恵まれました。
子供たちは高校二年くらいまでは皆、非常に素直に育ちましたが、
高校三年くらいになると親子の軋轢が生じ始めました。
いくら真のお父様から注目されるような内容を持っていたとしても、
子供との関係においては、まだ欠陥があったということですね。
それで、私たちは、祝福に対してさえ反発心を示すような
子供を見ながら、自らを省みました。
振り返ってみると、「お父さんとお母さんは『神様』ばかり言ってる」
と子供たちは言っていました。
私は神学者ですから、余計な説明もしていたのです。
しかも、み旨中心ということで、子供たちとは全然遊んでやらず、
楽しい所にも、どこにも連れていってやらず、
子供たちに尽くしたという条件もないのに、
「原理」の観点から命令をするような親であったように思います。
これは献身的に歩んできた私たち一世の、
親としての共通した課題かもしれません。
私は、子供たちに対して、上から目線で「原理」を
語ってはならないということに気づきました。
そして、それに気づいた日から約六年間、
夫婦で毎日聖地祈祷に行って、悔い改めました。
「子供の下に入って、子供に仕えて、真心込めて子供に尽くそう」
と決意し、「子供に語るとき、接するとき、一言一言、
神様の愛の波動が伝わるような接し方ができるようにしてください」
と祈祷しました。
涙ながらに毎晩、祈ったのです。
そうすると、やがて子供が変わってきて、
「あれ、最近、うちのパパとママから愛を感じる」などと言うのです。
おかげさまで、その後、子供たち全員が自分で
「祝福に行きたい」と言い出すようになりました。
澄江さん:私たちもそのように変わりましたし、先祖のさまざまな
問題もあると思うので、先祖解怨・祝福を一生懸命に行い、
祈願書を熱心に書きました。
忠昭さん:結局、清平が非常に大きな助けになったと思います。
澄江さん:霊界で、先祖が解怨・祝福され、
いつも協助してくださっていることを感じています。
慕わしきわが主、わが父母 真の父母様との思い出
第16回ベルべディア家庭教会(ニューヨーク州)
神明(しんみょう)忠昭・澄江(777家庭)
(「世界家庭」2017.2/P.72〜81)
「深い神様の心情圏に没入し、一刻一刻を過ごされるかた」
第16回ベルべディア家庭教会(ニューヨーク州)
神明(しんみょう)忠昭・澄江(777家庭)
(「世界家庭」2017.2/P.72〜81)
「深い神様の心情圏に没入し、一刻一刻を過ごされるかた」
☆
お子さんの貴重な証しありがとうございます。
子供は自動的に育つわけではありませんね。
親の教育が問題になるのかもしれませんが、
やはり、究極的には、精誠と愛が必要であると感じます。
また、海外での生活も大変だろうと思います。
それぞれの国の文化、風習も違うでしょうし。。。
神様に願いを託し、精誠を尽くし、
親として、子供に対する姿勢を変えていった。
私たちもとても学ばさせられます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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