8月24日はお父様が聖和されて
9周年になります。
そのことを記念して、Blessed Lifeでは、
「日本を愛した文先生の足跡」と題して、
15回にわたるシリーズを企画してくださいました。
今日は、仙台特集です。
☆
1965年2月10日午前0時56分
1965年2月10日午前0時56分、仙台の地に歴史的な
1ページが記されることになりました。
9日早朝札幌を出発された文鮮明(ムン・ソンミョン)先生ご一行が、
仙台に到着されたのです。
文先生は午前1時40分から
「神と逢う所」と題してみ言を語られました。
午前4時からは西川勝(韓国名・崔奉春〈チェ・ボンチュン〉)先生を中心に
交流の場が持たれ、気がついた時には朝日が部屋を照らしていました。
午前10時45分、マイクロバスとハイヤーに分乗して、
青葉城に向かいました。
聖地を決定するためです。
文先生が決められた聖地からは、
仙台の街を一望のもとに見下ろすことができます。
また文先生は仙台のために「天國花仙台」という
揮毫を下さり、午後1時発の飛行機で羽田に向かわれました。
☆
深々と頭を下げて祈られる後ろ姿
次に文先生が仙台を訪問されたのは、
1967年7月18〜19日のことでした。
当時、仙台教会にいた中村武子さんは語ります。
「お話しの後、先生がお休みになったのは
午前2時ごろではないかと思います。
寝室に入られた後、着替えをお持ちでなかったことが分かり、
急いで汗で濡れたワイシャツを洗濯し、
朝早くアイロンをおかけして
先生のお部屋の前までお持ちしました。
まだ5時前でした。
何気なく洗濯物を戸の前に置こうとして、びっくりしました。
ふすまの隙間から先生のお姿が見えたのです。
布団の上に正座され、両手をついて
深々と頭を下げて祈っておられる先生の後ろ姿でした。
先生はいつもわずかな時間しか眠られないと
伺っておりましたが、そのお姿を目のあたりにし、
私は一瞬そこに立ちすくんでしまいました。
先生は多分1時間か2時間くらいしか
眠られなかったのではないかと思います」
(「ファミリー」1983年5月号より)
☆
「イエス様のことをお聞かせ下さい」。
これが仙台教会の一室で
文先生に最初にお会いしたときの私の質問でした。
先生は「かわいそうな男だよ」と、
たった一言、振り向かれて答えられました。
その時の先生の悲しそうな、その言葉と表情は
今も忘れることができません。
(山岡建雄氏、「ファミリー」1981年8月号より)
☆
◎聖地を決定された意義
韓国で勝利した基準を、
世界まで因縁づけてあげなければならない。
すなわち、韓国の子女によって、
全人類をアダム、エバの堕落直前の立場にまで
昇格させてあげたいので、
ここに土地が必要なのである。
これが、世界に聖地を定めた理由である。
(「御旨の道」より)
☆
お父様は早稲田の学生時代、日本の地で
多くの精誠を尽くされましたが、
公式的な立場で最初に日本に来られた1965年、
この時に8大聖地を決定されたのでした。
それ以降、草創期には何度も日本を訪ねて
愛してくださいました。
今回は、仙台の地に残された足跡を振り返りました。
誰よりも日本を愛された真の父母様。
その心情の一端を感じることができました。。。
ありがとうございました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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