北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」
の続き、『祝詞を子守歌に育つ』 です。
さて、家が教会になり、毎日大勢の人が
相談にやってくるのですが。。。
☆
教会では、毎日、夜八時から、
祭壇のある部屋でお勤めが始まりました。
かむづま 「高天原(たかまのはら)に神(かむ)留(づ)まり坐(ざ)す......」
で始まる祝詞を、まず、’神様’に四十分ほど上げ、
さらに続けて先祖に二十分くらい上げます。
集まった数十人の信者たちが一斉に祝詞を上げるのです。
鉦(かね)をチャーン、チャーンと鳴らしながら、
大きな太鼓をドーン、ドーンと打ちます。
「ちゃんぽん」という言葉がありますが、
この「チャーン」という鉦の音と「ポン」という鼓(つづみ)の音を
合わせた言葉という説もあります。
それはそれは賑やか、というより、
うるさいこと、この上ありませんでした。
その頃、私は小学校に上がったばかりでした。
お勤めをする部屋の隣の四畳半が、
私と二歳上の姉の寝室になっていました。
お勤めの時間になると、母は「寝なさい」と言って、
私と姉を寝室に追いやりました。
ですから、私たち姉弟の子守歌は「高天原に神留まり坐す......」です。
私が今、どんなにうるさい環境の中でも眠ることができるのは、
この時に訓練されたおかげです。
九時過ぎにお勤めが終わると、母は信者たちの
お加持(かじ;神仏の加護、災難の除去を祈る儀式)を始めます。
病気を抱えている人、仕事がうまくいかない人、
家族や人間関係で悩んでいる人など、様々な人が集まっていました。
母は一人一人について、その原因を’神様’に尋ねます。
すると’神様’から、先祖の犯した罪や失敗などが伝えられ、
それに対して、こうしたらいい、ああしたらいいという
指導が、母の口を通して示されるのです。
お加持は、一人五分としても三十人いれば二時間半、
四十人いれば三時間以上かかります。
それが終わって信者たちが帰ると、母は一人で
またその人たちのためにお勤めをするのです。
ですからすべて終わるのが、
夜中の十二時、一時になる日もざらでした。
信者たちが’神様’の指導のとおりにすると、
病気が治ったり、商売がうまくいったり、
人間関係が改善されたりと、奇跡のようなことがたくさん起こりました。
こうして、母の教会は評判になっていったのです。
☆
「神様はいつも見ている」
私たち姉弟は、時々、母から「お勤めが終わるまで
寝ないで待ってなさい」と言われることがありました。
それで待っていると、お勤めの後に呼ばれます。
そして母の前に座ると、母にぽっと’神様’が入るのです。
そして、その’神様’が、その日私が何をしてきたかを、
ことごとく当てるのです。
私は初め、’神様’の言葉だとは、とても信じられませんでした。
母があらかじめ私の友達に、私がしたことを
聞いておいたに違いないと思っていました。
そして私の躾のため に、
「神様はいつも見ている」と思わせているのだと思ったのです。
ところが一週間後にまた母に呼ばれたとき、
’神様’は私の行ったことを当てるだけではなく、
「その時、こう思ったやろ。あの時、ああ思ったやろ」
と心の中を言い当てるのです。
私の心の中は私しか知らないはずなのに......。
そして、「神様、いつも見てるで。 いつも共にいるで」
と言うのでした。
それは恐いという感じではなく、優しい感じでした。
そういうことが重なると、さすがの私も、
「そうか、神様っているんやな。いつも見てるんやな」
と思うようになりました。
学校に行く道すがら、ふっと後ろを振り返っては、
「来てるかな? 見てるかな?」と確認しようとしたことを思い出します。
☆
ある時、夜中に目が覚めると、隣の部屋から、
何やら人の話し声が聞こえてきました。
「きょうは遅くまでお勤めしてるんやな」と
寝ぼけ眼でふすまを開けてみると、誰もいないのです。
あれっと思って閉めると、また声が聞こえてくるのです。
そういうことが何度か続きました。
☆
宗教では修行をして霊的感性を開いていくということがあります。
それから、体質と言うのでしょうか、
何かのきっかけで霊通するようになったりするのです。
姉と私は、そういう体質なのか、あるいは家が教会という
環境だったためか、霊の声が聞こえるのです。
そのうちに、私にも時々、霊の姿が見えるようになりました。
姉に至っては、いわゆる’霊眼’が開けて、
はっきりと霊が見えるようになったのです。
小学生の姉と私には、霊界が見えるようになってからも、
分からないことがありました。
それは霊界の組織、仕組みです。
ですから二人でよく、「どちらかが先に死んだら、
霊界がどうなっているのか、知らせに来ようね」と話をしていました。
傍から見れば、異様な小学生だったと思います。
☆
霊能者となったお母さんが
神からのお告げを受けるようになり、
自宅が教会だった北谷先生。。。
日々の生活も、信仰を中心とした生活でした。
それを当たり前のように信じていかれたのも、
親との関係が良かったからなのではないか、と思います。
そして、お母さんを通しての『神様』とのやり取り。
『神様はいつも見ている』
ある意味では、私たちの子供たちの教育にも
とても必要なものかもしれないと思いました。
また、北谷先生のお母さんや、
北谷家の人たちは特別かもしれませんが、
私たちには感じられなかったとしても
実際、私たちの背後では、いつも神様(善霊)が
共にあることを知らなければ、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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