2021年07月11日

小学生から始まった霊界教育?! 《北谷先生*死んだらわかるけど、それでは遅い》



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天正宮の花


北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」
の続き、『祝詞を子守歌に育つ』 です。

さて、家が教会になり、毎日大勢の人が
相談にやってくるのですが。。。


教会では、毎日、夜八時から、
祭壇のある部屋でお勤めが始まりました。

かむづま 「高天原(たかまのはら)に神(かむ)留(づ)まり坐(ざ)す......」
で始まる祝詞を、まず、’神様’に四十分ほど上げ、
さらに続けて先祖に二十分くらい上げます。

集まった数十人の信者たちが一斉に祝詞を上げるのです。
(かね)をチャーン、チャーンと鳴らしながら、
大きな太鼓をドーン、ドーンと打ちます。

「ちゃんぽん」という言葉がありますが、
この「チャーン」という鉦の音と「ポン」という鼓(つづみ)の音を
合わせた言葉という説もあります。
それはそれは賑やか、というより、
うるさいこと、この上ありませんでした。

その頃、私は小学校に上がったばかりでした。
お勤めをする部屋の隣の四畳半が、
私と二歳上の姉の寝室になっていました。
お勤めの時間になると、母は「寝なさい」と言って、
私と姉を寝室に追いやりました。

ですから、私たち姉弟の子守歌は「高天原に神留まり坐す......」です。
私が今、どんなにうるさい環境の中でも眠ることができるのは、
この時に訓練されたおかげです。

九時過ぎにお勤めが終わると、母は信者たちの
お加持(かじ;神仏の加護、災難の除去を祈る儀式)を始めます。

病気を抱えている人、仕事がうまくいかない人、
家族や人間関係で悩んでいる人など、様々な人が集まっていました。

母は一人一人について、その原因を’神様’に尋ねます。
すると’神様’から、先祖の犯した罪や失敗などが伝えられ、
それに対して、こうしたらいい、ああしたらいいという
指導が、母の口を通して示されるのです。

お加持は、一人五分としても三十人いれば二時間半、
四十人いれば三時間以上かかります。

それが終わって信者たちが帰ると、母は一人で
またその人たちのためにお勤めをするのです。
ですからすべて終わるのが、
夜中の十二時、一時になる日もざらでした。

信者たちが’神様’の指導のとおりにすると、
病気が治ったり、商売がうまくいったり、
人間関係が改善されたりと、奇跡のようなことがたくさん起こりました。

こうして、母の教会は評判になっていったのです。


「神様はいつも見ている」

私たち姉弟は、時々、母から「お勤めが終わるまで
寝ないで待ってなさい」と言われることがありました。
それで待っていると、お勤めの後に呼ばれます。

そして母の前に座ると、母にぽっと’神様’が入るのです。
そして、その’神様’が、その日私が何をしてきたかを、
ことごとく当てるのです。

私は初め、’神様’の言葉だとは、とても信じられませんでした。
母があらかじめ私の友達に、私がしたことを
聞いておいたに違いないと思っていました。
そして私の躾のため に、
「神様はいつも見ている」と思わせているのだと思ったのです。

ところが一週間後にまた母に呼ばれたとき、
’神様’は私の行ったことを当てるだけではなく、
「その時、こう思ったやろ。あの時、ああ思ったやろ」
と心の中を言い当てるのです。
私の心の中は私しか知らないはずなのに......。

そして、「神様、いつも見てるで。 いつも共にいるで」
と言うのでした。
それは恐いという感じではなく、優しい感じでした。

そういうことが重なると、さすがの私も、
「そうか、神様っているんやな。いつも見てるんやな」
と思うようになりました。

学校に行く道すがら、ふっと後ろを振り返っては、
「来てるかな? 見てるかな?」と確認しようとしたことを思い出します。


ある時、夜中に目が覚めると、隣の部屋から、
何やら人の話し声が聞こえてきました。

「きょうは遅くまでお勤めしてるんやな」と
寝ぼけ眼でふすまを開けてみると、誰もいないのです。

あれっと思って閉めると、また声が聞こえてくるのです。
そういうことが何度か続きました。


宗教では修行をして霊的感性を開いていくということがあります。
それから、体質と言うのでしょうか、
何かのきっかけで霊通するようになったりするのです。

姉と私は、そういう体質なのか、あるいは家が教会という
環境だったためか、霊の声が聞こえるのです。
そのうちに、私にも時々、霊の姿が見えるようになりました。

姉に至っては、いわゆる’霊眼’が開けて、
はっきりと霊が見えるようになったのです。

小学生の姉と私には、霊界が見えるようになってからも、
分からないことがありました。
それは霊界の組織、仕組みです。

ですから二人でよく、「どちらかが先に死んだら、
霊界がどうなっているのか、知らせに来ようね」と話をしていました。
傍から見れば、異様な小学生だったと思います。



霊能者となったお母さんが
神からのお告げを受けるようになり、
自宅が教会だった北谷先生。。。
日々の生活も、信仰を中心とした生活でした。

それを当たり前のように信じていかれたのも、
親との関係が良かったからなのではないか、と思います。

そして、お母さんを通しての『神様』とのやり取り。
『神様はいつも見ている』
ある意味では、私たちの子供たちの教育にも
とても必要なものかもしれないと思いました。

また、北谷先生のお母さんや、
北谷家の人たちは特別かもしれませんが、
私たちには感じられなかったとしても
実際、私たちの背後では、いつも神様(善霊)が
共にあることを知らなければ、と思うのです。






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posted by ten1ko2 at 08:59 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする