2021年07月12日

「夫が銃で殺すと言っています!」信徒の報告に、26歳の再臨主は・・ 《金元弼先生》



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金元弼(キン ウォンピル)先生の貴重な平壌時代証し
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」より、
『迫害の中での牧会』です。


迫害の中での牧会

教会の建物があったところのすぐ隣には
門のある家がありました。

その家には、有名な牧師の娘で統一教会に入教した婦人がおりました。
その主人は、大変熱心な幹部共産党員でした。
彼は猟銃が好きな人でした。

それで、奥さんが夜遅く帰ってくる状態だったので、彼女に対し、
「お前、教会に行き続けるならば、
私はこれであなたの教会の中心者を殺す」と脅しました。

彼女が入教したのは、大きな恵みを受けたからです。
彼女は長い間病気でした。
いろいろな所を訪ねても、誰ひとりとして
その病気を治してくれませんでした。

ところが先生に出会った瞬間に、
この理由の分からない病気はきれいに治ったのでした。
彼女はみ言に感動していたのですが、
もっと彼女を引き付けたのは、病気が治ったということです。

彼女もやはり主人をなかなか相手にしませんでした。
主人が強いて関係を結んだ時には、
不思議にも彼女に異常なことが起こりました。
血液がどんどん出るのでした。

そして心配になって先生を訪ねました。
しかし、関係をもたなければ、そういうことがいつあったのか
と思うほどに治ってしまうのでした。


一例を挙げましたが、先生のところには常々、
「夫が先生を銃で殺すと言っている」とか、
「先生を殴ろうとしている」と言ってくるのでした。

あるいは「牧師が先生を何とかして追い出そうとしていますが、
どうしたらいいですか」とアドバイスを求める人が来るようになりました。
それで先生は、そのような話を聞かれるようになったのでした。

子供をもっている人が、神の啓示で
「これからお前は伝道に行きなさい」と言われることがあります。

「伝道に行ったら家族は全員反対します。
こういう神の啓示がありましたけれども、
私はどうしたら良いでしょうか」と先生に尋ねるのです。

毎日そういうことの連続でしたが、先生は決まって、
常に朝から夜遅くまでみ言を語られました。
その時、先生は二十六歳でした。

I 平壌開拓から興南解放
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「迫害の中での牧会」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


草創期のころの迫害は、
本当に凄まじいものでした。
一歩踏み間違えれば、
お父さまの命も危なかったかもしれません。

しかし、そういう時ほど、
お父さまは『精誠』を捧げてこられたのでしょう。

朝から晩までみ言を語られた、
当時、26歳のお父様。。
その精誠によって、お父様ご自身、
また食口たちが守られていったのでした。

まさに、生きた教訓ですね。。。





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posted by ten1ko2 at 08:15 | Comment(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする