2021年07月21日

幼い姉弟に任せられた、毎朝晩の神へのお祀り(お供え) 《北谷先生》



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北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」
今回は、『守り神を祀る役目』です。


そんな姉と私に、霊界から特別な使命が与えられました。

“神様”をお祀りする祭壇は、
教会と家にそれぞれあったのですが、
それとは別に、姉と私に
「あなたたち二人は特別に“神様”をお祀りしなさい」
という指示が与えられたのです。

神道では、一人一人に、守ってくれる
“神様”(守り神)がついているのですが、
姉と私は、その守り神をお祀りすることになりました。

神様を祀るというのは、具体的にどうするかといいますと、
毎朝、水とお酒を供えます。
食事も供えます。

また、私の守り神である金剛龍王大神(こんごうりゅうおうおおがみ)
卵が好きなので、
卵も欠かさず供えていました。

それが毎日の日課です。
朝も夜もします。
何か買い物をしたら、まず買った物をすべてお供えします。
そうしてから頂くのです。


小学五年の時、石の階段で転んですねを打ち、
傷口がパカッと割れたことがありました。
普通ならすぐに病院に行くところですが、
こんなとき、わが家ではまず、
母を通して“神様”に尋ねるのです。

その時の“神様”の答えは、
「消毒して、傷薬を塗って、
包帯を巻いておいたら大丈夫だ」というものでした。
実際、それで治ってしまいました。

もちろん、 病院に行かなければならないときには、
病院に行くよう言ってくれます。


そのように、私たち姉弟の生活のすべては、
霊界の指示どおりに動いていました。
私にとって霊界は親のようで、
「育てられた」という実感があります。

怖いとか気持ちが悪いとかという感覚は
全くありませんでした。

時には、母が人の悩みを聞いている時に、
恨みの霊が母を通して出てくることもあります。
しかし、それはほんの一部で、
総じて霊界は私たちを温かく守ってくれる存在でした。

北谷 真雄・著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」(光言社刊)


神道で言われている「神様」は、
私たちからするなら、善なる霊(霊人または、天使)
ということになると思います。

善霊が具体的にお祀りするように
言ったといいますから、
北谷家では幼い頃から、
善霊たちが、姉弟を教育してきた
といえるかもしれません。

『善霊』ですから、
私たちに善なる協助をしてくださいます。

私たちも、同様に
『善霊』に喜んでもらえるような歩み、
原理原則、本心に忠実な歩みをすることが
願われていると思います。

『善霊』へのお供えをすることがあれば、
実体的にその方がいる、
という前提で、捧げる必要があるでしょう。

神様と善霊がともにある私。。。
もっと意識して生活していきたいと思います。

北谷家の守り神(善霊)たちのお話は
次回に続きます。





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posted by ten1ko2 at 11:51 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする