2021年07月22日

「統一原理」との出会い、キリスト教会から3年の猶予をもらって… 《小山田先生自叙伝》



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小山田先生の自叙伝。
続編です。


 聖書研究を機に「統一原理」を学ぶ

人生と宇宙の根本問題は、神様への理解なくして
解決できるのかという問題がありました。

それまでに習ったのは、神様の理解に対する二つの方法です。
一つは、歴史的なユダヤ教、キリスト教を
中心とする一般啓示です。
もう一つは、イエス・ キリストを通した、
特殊啓示による理解です。

私は、大学三年から四年にかけて、専門分野とは別に、
歴史的な神との出会いを中心に研究しました。

イエスの弟子たちゃパウロ、アウグスティヌス、
ルター、カルヴァン、キルケゴールとか、
日本では内村鑑三や賀川豊彦が、
どのようにして神様に出会ったのかを調べました。

そして、仙台東一番丁教会(日本基督教団)を訪ねました。

そこは「東一とういち教会」
と言っていました。
その東一教会から、のちに統一教会に来たわけです。


私は、YMCAの活動として聖書研究もしていました。

一九六三年に星野一夫(郭勝鎬クァクスンホ 、七七七双)さんが、
その聖書研究会に訪ねてきました。

それを機に、彼から「統一原理」を学ぶようになり、
二週間で三回聞きました。

その当時、私が最も引っ掛かっていた内容が、
「十字架の贖罪による救いの限界とメシヤの再臨」
という問題でした。

私が「そのことに悩んでいる」と言うと、
彼は「おめでとうございます」と返してきたのです。
そして、「堕落論」に強い衝撃を受けました。

私は、埼玉県の戸田修練所で行われた特別修練会の、
第10期、第11期、第12期の
三回の修練会に参加しました。

当時、講師の周藤健先生から
「何回来るのですか?」と聞かれたので、
私は「分かるまで来ます」と答えたのです。

その後、大学と教会と下宿を舞台に、
知人や友人との間で、教理を中心に大問題になりま した。
東一教会の長老でもある私の指導教官は神学の先生で、
次のように言いました。

「それでは三年間ぐらい予備的にやってきなさい。
三年間たって(『原理』が)間違いだと思ったら、
いつでも戻ってきなさい」と。

私は「分かりました。三年間、時間を下さい」
と言ったのです。


 「統一教会で本格的に歩んでみよう」

特別修練会に三回出たあと、周藤先生から、
「田舎に行って三日修をしてきなさい」と言われました。
それで私は高知県に行き、二日間、高知教会で修練会を担当したのです。

将来、私の妻となる(岸本)儀子さんがそこの出身だとは、
当時は知る由もありませんでした。

その帰りに見た吉野川に、
「この川はどこから始まって、どこに流れていくのだろう?」
と思い、「わが人生はどこから始まって、どこへ流れていくか」と、
それまでの二十数年間の人生を振り返ったのです。

「統一教会に出合う前の二十数年間よりも、
その後の三年間のほうが、はるかに中身が濃い。
よし! 統一教会で本格的に歩んでみよう」 このように考えました。

そして、私は二十三歳のときに献身的に歩むことにしたのです。


私が二十歳になったとき、東京・渋谷にある松濤本部の礼拝堂で、
早朝祈っていると、突然、どこからともなく、
「おまえの祈りは聞かれた」という声が聞こえました。

周りには誰もいません。
私の内心からの働きかけだったと思います。

それは、忘れていた、かつて私自身が捧げた祈りに対する、
天からの答えだったのです。

そのようにして導かれた私の三大課題の解答が、
第一に、永遠の真理が「統一原理」でした。
第二に、永遠の先生とは文鮮明先生です。
第三に、永遠の相対者は、のちに祝福を受ける
妻・儀子ということになるのです。

自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」
小山田秀生


小山田先生は、ご自身の疑問を解決されるために
徹底していかれたのだ、と感じました。

また、先生の通われたキリスト教会も
「三年間ぐらい予備的にやってきなさい」
なんと寛大なアドバイスだったでしょうか。。。
先生の背後で、神様が人を介して、
導いてくださったのだ、と思います。

そして、先生が悩まれていた
三つの疑問が解かれました。

『求めよさらば与えられん』
小山田先生の歩みを通して、
その聖句が浮かんできました。




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