李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の「信仰と生活のみ言より
「公的基準」です。
☆
伝道師がいなくても自分一人で育っていく方法は、祈りです。
だから、祈りの方法を教えてあげるのです。
祈りは絶対に自分のため、自分の家族のためにしないで、
民族のために祈り、世界のために祈らなければなりません。
私たち一人一人は、国家と有機的な関係にあります。
国家は世界に含まれているので、世界がなくては国家はなく、
国家がなくては私たちはない、この関係をよく教えてあげるのです。
私的なものよりも公的なものを心配するようになれば、
神はいつもその人を所有し、干渉してくれます。
そういう心のもち方を教えたならば、いつまでもサタンは侵入できません。
☆
しかし、それは信仰の前段階なのです。
だから信仰観念の全くない人には、「神はいる」とかの話はしにくいので、
生活の基準を公的なものにもたせるようにしてやるのです。
言葉を話す前に、そういう心の基盤をつくってやるのが伝道師の役目です。
☆
私たちが祈る場合でも、その祈りの基準を教会にばかり置いていてはいけないのです。
そうなると、信仰の発展が、ある程度までで止まってしまうのです。
だから、自分のやっている仕事と全体との関係をよくつかんでいくことが、
自分を成長させるには正しい態度だというのです。
☆
霊界も、公に対する愛着心をもっていたなら、いつも啓示してくれるのです。
何か困ったことがある場合でも、神は直接個人に対して啓示できなくても、
その人のために祈っている人には啓示してくれるのです。
だから、三人が同じ事情で祈ったなら、
必ず行く道を示してくれるのが、霊界の法則です。
責任者という立場も、自分の思うままに兄弟を導こうとするのではありません。
天の使命をもった私たちのことを、
天はだれよりも責任をもって心配しているに違いないから、
それを悟っていけば、いつも自分たちの行く道は天によって示されるのです。
☆
韓国では、教会長になると、先生が現れていろいろ教えてくださったり、
説教でも、先生がソウルで説教される時、
地方でもその題名を霊的に教えられたりするのです。
重要な行事が本部である時も、
地方の教会長はとても本部に来たくてたまらないけれど、
教会を守るため来られない場合は、
本部でやっている行事の内容を全部教えられるのです。
大概韓国の教会長以上の指導者たちは、
聖日のたびに先生が新しい話をされる時、
どういう方針を話されたかということを、必ず地方でも霊通して分かっているのです。
自分の体験からしても、一カ月一回、会議のためにソウルに来てみると、
自分が一カ月間地方で兄弟たちに主張してきたことと
同じ内容のことを先生も主張しておられるのです。
だから、いつもびっくりしたのですが、全国に分かれている兄弟たちに、
ある基準さえあれば、霊的に全部教えられるのです。
ある祭日に、自分たちはソウルに行けないので、
一緒に山へ登って礼拝をしたことがあるのですが、
その日には、本部の礼拝の説教がそのまま通じて、
一人だけというのではなく、そこに集まった人全員が
本部の礼拝の言葉を聞くということもあったのです。
1.牧会
「公的基準」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
「公的基準」
信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)
☆
霊的な感性が高まると、真の父母様の心情に通じ、
説教の内容が似通ったものになる・・・
本当にそうなのだな、と思います。
真のお母様に直接侍られている方が、
『お母様の雰囲気が突然変わられることがある。
厳しく、強く語られることがある。
こういう時はお父様が語られている』
と話されていたそうです。
私たちに『お父様が入る』
ということはあり得ないことですが、
心情を近くに感じる、ということは、
とても大事なことではないか、と思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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