金元弼先生の平壌時代のみ言。
いよいよ再臨主、最大の十字架・興南が
近づいてくる予兆が見えてきました。
今日は、「牧師の反対を利用する共産党」です。
☆
韓半島では、キリスト教が伝来される時、北の方に先に伝わりました。
ですからキリスト教は北の方が盛んでした。
中でも、平壌にはすべてのキリスト教の中心がありました。
神学校も有名な復興師も、全部平壌に集まっていました。
平壌は霊能者が第二のエルサレム
と啓示を受けていたほどに、たくさんの教会がありました。
日曜日には鐘の音でうるさいくらいでした。
そういうところに先生が一人でやって来られたのです。
平壌の牧師たちは、その教会の中心幹部であり
統一教会につながっているメンバーに対して、
「私が今日、あなたの先生に会い、目の前で聖書の討論をして、
その教会がどれくらい異端であるか、お前に見せてあげよう」
と言って、先生を訪ねました。
「それを見たらお前は必ずこの教会に
帰ってくるようになるだろう」と念を押して。
訪ねてきた牧師を先生は丁重に迎えられました。
そして先生はその牧師が何を聞いてくるか御存じでしたから、
牧師が話す前に、彼が話そうとする
すべての問題についてお話ししてあげました。
聖書を通して、ずーっと説明されますので、
牧師は何も言うことができなくなりました。
彼はただ、「本当に苦労していますね」
という一言を残して去っていきました。
そしてこの牧師によって、聖書で討論しては
先生を負かすことはできないといううわさが
徐々に流れていったのでした。
☆
そしてついに彼らは共産党の官憲に投書をしたのです。
教会の重要な幹部たちが統一教会へ行っていることに対して、
異端だということだけでは説得することが
なかなか難しいと分かり始めました。
しかし、教会ではその重要な幹部たちが全部出てしまうと
教会を運営することが難しいと気が付いて、
どんなことをしても彼らを取り戻さなくては、
と考えざるを得ませんでした。
彼らが取り上げた問題は何かといいますと、
「淫乱に違いない。淫乱な集団である」ということです。
統一教会は淫乱な集団であると問題にし始めました。
「この教会は家庭を破壊する教会だ」というふうに言い始めたのです。
その次に、「教会を破壊する」と考えたのです。
つまり、「社会の秩序を乱している」というのです。
これを利用したのが共産党でした。
彼らは、「この団体は家庭を破壊し、教会を破壊する」
として、さらに「共産主義社会の秩序を破壊するものだ」
といって問題にしたのです。
☆
家庭や教会から反対されればされるほど、
メンバーたちの信仰はより強くなり、
霊界の協助は一層強くなったのでした。
霊人たちは細かいところまで教えてくれたのです。
教会の長老たちは、組を成して先生の所へやってきました。
そして先生の髪の毛を引っ張って迫害しました。
そういう中にあっても、先生は抵抗せず、
やさしい羊のごとくなすがままにしておいたのでした。
その場を見ていたメンバーたちは憤慨して、
その人たちを引き離すようにして帰したのでした。
☆
先生は、こうした教会の中心幹部で、み言が分かり、
神のみ旨がよく分かった人たちには、
「教会に再び帰って、み言を伝えるように」
とお話ししてくださいました。
けれども、そういう人たちは、一度恵みに出会いますと、
なかなか自分の教会には帰りたいとは思わなかったのでした。
先生の言うことを聞かずに、
先生の所にいつもいつも来ていたので、
迫害が非常に激しくなりました。
食口になるのに二つの場合があるといいます。
まず非常に難しい問題を抱えているとき、
もう一つは非常に喜びにあふれているときです。
この人たちは、恵みの中にあったので、
先生の言われることをなかなか聞けなかったのです。
I 平壌開拓から興南解放
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「牧師の反対を利用する共産党」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「牧師の反対を利用する共産党」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
迫害の発端は、自分の信徒が奪われていくことに対して
お父様と教会に対しての嫉妬心・・・
つまりは、批判する人自身の堕落性にありました。
真のお父様は、そのようなことは
何もしていなかったのに、
ただ、純粋にみ言を伝えただけなのに、
本当に残念なことです。
さらには、当の食口たちも
恵みの中にいると、お父様の指示を聞くこともなく、
勝手に喜んでしまう・・・
これも堕落性ですね。
イエス様を思い浮かべてしまうのは、
洗礼ヨハネが立てなかった後のイエス様と
許孝彬が受け入れなかったことで
お父様は同じような立場に立たされていたからでしょう。
イエス様の苦難の路程と重なるように、
十字架の道ともいえる興南監獄を
避けることができませんでした。
真のお母様と歩むこの天一国時代、
もう堕落性と戯(たわむ)れてばかりではなく、
私たちは、本当に良心に忠実な歩みをしなければならない、
改めて思わされるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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