2021年08月07日

本当に再臨主なのか?! 1965、生のメシヤに会って感じたこと 《小山田先生・自叙伝》



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クリスチャンから一転、
統一教会に入った小山田先生。
そして、真のお父様の初来日の時を迎えます。


1963年、クリスチャンだった私は、
星野一夫(郭勝鎬クァクスンホ 、777双)さんから伝道され、
初めてみ言(統一原理)を聞いたのですが、
メシヤの再臨の内容を知ってショックを受けました。

当時、既成教会でメシヤの再臨の話をすれば、
すぐに「異端」と非難されたものです。
それはカトリックでもプロテスタントでも同じでした。

しかし、この内容がもし本当のことであるなら大変なことで、
嘘だとすればもっと大変です。
いずれにしても、「これはしっかりと
確かめなければならない」と思ったのです。


1965年、私が千葉で開拓伝道に投入している最中に、
真のお父様の御来日が発表されました。

真のお父様をお迎えするために条件を立てようと、
皆で7日間断食をしました。
その期間に私は、真の父母様に関する、
さまざまな夢を見させていただきました。

なかでも、今でも忘れることができないのが、
私が日本から船に乗って外国に行くという夢です。

夢の中で、先頭に立たれた方のあとについて、
険しい山を登っていくのです。
初めて訪れる場所なのに、なぜか
「懐かしい」思いがふつふつと湧いてくるのでした。


1965年1月28日、真のお父様は、世界40ヵ国、
120ヵ所に聖地を決定なさるために、
韓国の土と石を持参され、第一次世界巡回路程の
最初の訪問国として日本を訪ねてくださいました。

当時、統一教会の本部は、東京都渋谷区南平台にありました。
私は、最初に本部教会で真のお父様のみ言を拝聴したのですが、
2月7日に語られた「中心を求めて一つになろう」
というみ言が強く印象に残っています。

私は、学生時代に哲学と神学を専攻したので、
人の批判を聞いたり、話を批判的に聞くことに訓練されていました。

その私が、日本語で語られる文鮮明先生のみ言を聞き、
「こんなに深い日本語があるのか」と、大変驚いたのです。


同年9月29日には、第一次世界巡回路程の最後に、
再び日本を訪ねてくださいました。
本部は同年8月23日に渋谷の南平台から
松濤町に移転していました。

10月3日、「天宙に立つイエス様」の題目で、
お父様が語ってくださったみ言がとても印象的でした。

「この方についていけば、間違いなく
イエス様に出会うことができる」と思いました。

み言を聞くなかで、「この方こそ、
再臨されたイエス様だ」となり、
さらに「この方はイエス様を超えた方である」
との確信をもつようになったのです。

自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」
小山田秀生


第二章 真の父母様の御来日と『原理講論』
第一次世界巡回路程の最初に日本をご訪問


真のお父様は、世界巡回路程で
最初に日本を訪問してくださいました。
それが、真の父母としては、初めての
来日となりました。

留学時代に日本を愛された土台があるので、
日本への愛着は人一倍だったのだと思います。

同じ年の秋に2度目の来日をされた際、
「この方についていけば、間違いなく
イエス様に出会うことができる」
小山田先生は、確信を持たれました。

そのお方に、私たちも出会うことができました。
さらには、平和の母、宇宙の母、
真のお母様ともお会いすることができたのです。

その感謝の思いを忘れずに、
貴重な一日一日を
天の前に精誠を捧げて歩んでいきたいと思うのです。




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