クリスチャンから一転、
統一教会に入った小山田先生。
そして、真のお父様の初来日の時を迎えます。
☆
1963年、クリスチャンだった私は、
星野一夫(郭勝鎬クァクスンホ 、777双)さんから伝道され、
初めてみ言(統一原理)を聞いたのですが、
メシヤの再臨の内容を知ってショックを受けました。
当時、既成教会でメシヤの再臨の話をすれば、
すぐに「異端」と非難されたものです。
それはカトリックでもプロテスタントでも同じでした。
しかし、この内容がもし本当のことであるなら大変なことで、
嘘だとすればもっと大変です。
いずれにしても、「これはしっかりと
確かめなければならない」と思ったのです。
☆
1965年、私が千葉で開拓伝道に投入している最中に、
真のお父様の御来日が発表されました。
真のお父様をお迎えするために条件を立てようと、
皆で7日間断食をしました。
その期間に私は、真の父母様に関する、
さまざまな夢を見させていただきました。
なかでも、今でも忘れることができないのが、
私が日本から船に乗って外国に行くという夢です。
夢の中で、先頭に立たれた方のあとについて、
険しい山を登っていくのです。
初めて訪れる場所なのに、なぜか
「懐かしい」思いがふつふつと湧いてくるのでした。
☆
1965年1月28日、真のお父様は、世界40ヵ国、
120ヵ所に聖地を決定なさるために、
韓国の土と石を持参され、第一次世界巡回路程の
最初の訪問国として日本を訪ねてくださいました。
当時、統一教会の本部は、東京都渋谷区南平台にありました。
私は、最初に本部教会で真のお父様のみ言を拝聴したのですが、
2月7日に語られた「中心を求めて一つになろう」
というみ言が強く印象に残っています。
私は、学生時代に哲学と神学を専攻したので、
人の批判を聞いたり、話を批判的に聞くことに訓練されていました。
その私が、日本語で語られる文鮮明先生のみ言を聞き、
「こんなに深い日本語があるのか」と、大変驚いたのです。
☆
同年9月29日には、第一次世界巡回路程の最後に、
再び日本を訪ねてくださいました。
本部は同年8月23日に渋谷の南平台から
松濤町に移転していました。
10月3日、「天宙に立つイエス様」の題目で、
お父様が語ってくださったみ言がとても印象的でした。
「この方についていけば、間違いなく
イエス様に出会うことができる」と思いました。
み言を聞くなかで、「この方こそ、
再臨されたイエス様だ」となり、
さらに「この方はイエス様を超えた方である」
との確信をもつようになったのです。
自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」
小山田秀生
第二章 真の父母様の御来日と『原理講論』
第一次世界巡回路程の最初に日本をご訪問
小山田秀生
第二章 真の父母様の御来日と『原理講論』
第一次世界巡回路程の最初に日本をご訪問
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真のお父様は、世界巡回路程で
最初に日本を訪問してくださいました。
それが、真の父母としては、初めての
来日となりました。
留学時代に日本を愛された土台があるので、
日本への愛着は人一倍だったのだと思います。
同じ年の秋に2度目の来日をされた際、
「この方についていけば、間違いなく
イエス様に出会うことができる」
小山田先生は、確信を持たれました。
そのお方に、私たちも出会うことができました。
さらには、平和の母、宇宙の母、
真のお母様ともお会いすることができたのです。
その感謝の思いを忘れずに、
貴重な一日一日を
天の前に精誠を捧げて歩んでいきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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