金元弼先生のみ言。
今回は、「おじさんの回心」。
金元弼先生は、北にいる青年の頃、
叔母さんから、伝道されました。
玉世賢(オクセヒョン)先生です。
これは、実の叔父さんと
叔母さんのエピソードです。
☆
事実無根のうわさが流れると、これは南に流れ、
日本に流れ、アメリカやヨーロッパ、
世界に流れていったのでした。
ですからヨーロッパの人に、
「あなたはそれをどこで聞いたのか、どこで見たのか」
と聞いたら、「いや私は見ていない。
私は聞いたのである」と答えるのです。
「誰から聞いたのか」と聞くと、
「アメリカの友達から聞いたのだ」と言います。
その人に「あなたはどこから聞いたのか、見たのか」と聞きます。
すると、「いや私は日本の友達から聞いた」と言います。
こうして、結局北の友達から聞いたということになります。
それで「見たのか」と聞きますと、「いや、私は見たのではない」。
「誰から聞いたのか?」
「私たちの教会のメンバーから聞いたのだ」と答えます。
そのメンバーは、自分のおじいさん、
おばあさんから聞いたと言うでしょう。
そのおじいさん、おばあさんに、「あなたは見たのか」と聞きます。
「見ました。私の連れ合いが私と関係しないで、
文先生と関係したんだ」と答えるのです。
統一教会のメンバーである奥さんは、
「いやそうではありません。
夫は私が夫と共にしないというので、私を疑って
そう言っているのです」と答えるでしょう。
☆
この話は、私のおばさんの家庭で起こったことです。
ですから皆さんにはっきりと言えることなので
この例をとったのです。
このおばさんの夫は、先生とおばさんとの関係を
疑って、先生を殴りつけました。
このおじさんとおばさんは、
十年も二十年も夫婦の関係をもっていません。
しかし、離婚はせず、一緒に暮らしています。
おじさんは、おばさんが先生と
本当に関係をもったものと考えました。
それを自分の父親に全部話したのでした。
キリスト教会の幹部だったそのお父さんは、牧師に話しました。
このおじさんは、韓国で大きな大学の学長をしています。
この間までは統一教会に反対し、
奥さんが統一教会へ行くことも反対し続けていました。
ところが、自分の妻が絶対にそうした不潔なことを
する人ではないということが分かってきました。
そして、大学校の学長でありながら、学生たちに
「お前たち、信仰をもつならば統一教会へ行きなさい」
と教えながら伝道するようになったのです。
教授たちにも、「信仰をもつならば、
私の妻のようにしなさい」と教えるのです。
こうしていまや統一教会の伝道者となっているのです。
そして自分の子供もみな統一教会へ行かせています。
その五人の子供は教会員となり、
そのうちの三人が祝福を受けています。
このおじさんは年を取っていますし、病気がちです。
ある時私に会うと、「統一教会では、
統一教会のメンバーだけを埋葬する共同墓地があるはずだろう。
私が死んだら必ずその共同墓地に埋めてください」
と私に希望するのです。
また子供に対しては、「私が死んだら、
この金さんを私の代わりとして、彼の話に
絶対的に従っていくように」と遺言しているそうです。
おじさんは、統一教会のメンバーでもなく、
(その後)先生にも出会っていません。
☆
間違った話をする人によってうわさされたことが、
南に流れ、日本に流れ、アメリカ、全世界に流れたのです。
これをどのようにして償いますか。
その人たちは蕩減復帰することはできません。
ある一人をつまずかせてしまったなら、
その人に対して蕩減復帰することは可能かもしれません。
しかし、世界の人々を神に導く、
その道をふさいだことの蕩減は不可能です。
本来なら、その蕩減はその人が受けなければならないでしょう。
しかし、この人がしなければならない蕩減を
先生が全部受け継いだのです。
先生は今なお、その十字架を担っておられるということを
考えてみますと、私たちはそのことから
大きな教訓を得なければいけないと思います。
☆
「悪事千里を走る」
ということわざにもあるように、
悪いこと、というのは、
それが事実でなかったとしても、
すぐさま伝わります。
もっと言えば、
尾ひれをつけて、伝わっていくのです。
人は、スキャンダルが好きですね。
テレビのワイドショーが人気なのは、
そのためだと思います。
人が持つ「堕落性」の問題とも
いえるかもしれません。
元弼先生が証しをしてくださった叔父さんは、
おそらく北にいた最初のころには、
噂を流す張本人だったと思われます。
しかし、後年、叔母さんの姿を見て、回心され、
逆に善なる協助をするようになった、と言います。
いわれない迫害を受けてきた先輩たち、
また偏見や反対を受けてきた私たちですが、
変わらない信仰と精誠を捧げつつ、
証しを立てていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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