「日本を愛した文先生の足跡」の5回目、
五日市特集です。
☆
先頭に立って登山される文先生の足跡をたどって
1967年7月1日、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は
「原理大修練会(6月17〜30日)」を終えた修練生を伴って、
東京都西多摩郡五日市町(現あきる野市五日市)へ行かれました。
午前7時半、総勢約150人は2台の大型バスで出発。
2時間ほどで、城山という小さな山のふもとに着きました。
文先生は先頭に立って一気に登られます。
続くメンバーは、狭い山道を踏みしめ、
急な岩道に足場を求めながら、
まさに文先生の歩まれた道を、文先生の足跡の上を、
こうして実体的に歩いているんだという感激に浸りました。
頂上では全員が文先生を半円形に囲んで座り、
声を張り上げて歌を歌いました。
☆
下山すると、秋川(多摩川の支流)の川原に降り、
遅くなった昼食を食べました。
それは近くの菅沼志づさん宅で作られた
150人分のカレーライスでした。
数日前、菅沼さんの家には文先生ご一行
5人が行かれるかもしれないという連絡が、
教会から入っていました。
ところが実際は5人ではなく150人を迎えることになったのです。
費用は教会と菅沼さんとで負担することになりました。
しかしその直後、菅沼さんは教会に電話をかけ、
経費はすべて自分が引き受けると伝えたのです。
☆
「最高の言葉をあげるよ」
菅沼さんは150人分のカレーライスや
スイカなどを準備するために奔走し、
手元に残ったお金は1500円でした。
この日、孝進(ヒョウヂン)様(当時4歳)が遊んで服を汚され、
着替えが必要になったとき、菅沼さんは
子供服を買いに行く婦人にその1500円を渡しました。
汚れた服と同じ物をちょうど1500円で買うことができたといいます。
☆
文先生は菅沼さんに「最高の言葉をあげるよ」と言われ、
「精誠」と「忠孝之源 誠心誠意」という言葉を
色紙に書いてくださいました。
川原ではカレーライスを食べながらスイカ割りが行われ、
その後、東京地区対その他の地区
という組み合わせで騎馬戦も行われました。
(参考/『成約週報』第5号『ファミリー』1999年8月号)
(光言社『グラフ新天地』386号[2000年9月号]
「日本を愛される文先生の足跡」より)
【文鮮明総裁聖和節記念】
日本を愛した文先生の足跡 5
〜 五日市 〜
(blessed life)
(光言社『グラフ新天地』386号[2000年9月号]
「日本を愛される文先生の足跡」より)
【文鮮明総裁聖和節記念】
日本を愛した文先生の足跡 5
〜 五日市 〜
(blessed life)
☆
五日市の菅沼家に訪問されたことは、
聞いたことがありました。
でも、すべてを捧げつくされたこと、
残った1500円も孝進様のシャツ代として、
使われたことは、初めて知りました。
残った三文で、草鞋を買ってしまった、
「趙家の過ちを繰り返すな」という、
文家の家訓を思い出しました。
すべて捧げたことに対して、
お父様は、「最高の言葉をあげるよ」
と、揮毫を残してくださいました。
私たちに対する、
生きた教訓だと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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