2021年08月15日

(証し)お父様の前で訓読することになったら?! 命懸けのみ言 《竹内先生》





統一思想研究院に長年おられた
竹内清治先生の、貴重な証しを
ネット勉強会を通じて聞く機会がありました。

済州島で、お父様の前で、訓読をされた証しです。


1990年代、済州島で開催されていた修練会で、
私は統一思想の講師として、呼ばれていたことがあります。

1998年2月のことですが、
その修練会の時、真のお父様がお見えになられました。
その時、お父様の前でみ言を訓読したことがあるのです。
その時の体験談を話したいと思います。

お父様と一緒に食事を取っていた時、
お父様が言われました。

「周藤は疲れているな。
訓読をするのは、大変だ。
明日は誰か代わりにやるように、
声のいい者がやれ」

ということで、私が指名を仰せつかったのです。
皆さん、お父様の前で、
訓読するということを考えてみてください。
その日の夜は、眠れませんでした。

次の日、そしてさらに次の日と、
2日間で3時間、訓読をしたのです。

訓読する中で、イエス様の路程のところで、
40日を40年と間違えて訓読していました。
お父様は、「40日!」
と指摘してくださいました。

2日間の訓読会が終わり、
「3日目はやらないだろう」と思いました。
なぜかと言うと、その日は、3月1日でした。
すなわち、3.1独立運動の日です。

案の定、お父様は、韓国人の婦人を指名され、
訓読会が始まりました。

ところが、参加していた修錬生たちは、
みんな寝てしまっていたのです。
毎朝、早い時間に訓読会があり、
みんな疲れていたのでしょう。
ほとんど寝ていたんですね。

お父様は、最初は何も言われなかったのですが、
さすがに眠り続けている状況をご覧になって、
「訓読、代わりなさい。
この者やるように」
そして、私が指名されたのです。

お父様の前で、(日本人たちが)寝ているのも
申し訳ないけれど、こんな日に、
日本語で訓読するのも申し訳ない、と思いました。

それでも、お父様から言われたので、
やらないわけにはいきません。
1時間、2時間経って、まだ続きました。
とうとう、3時間が過ぎました。

訓読していると、高級霊、善霊がくるのです。
このままいったら、霊的になる寸前になりました。
涙を流し、鼻水もよだれも出てきました。

その時、お父様が
「訓読は、終わり。祈祷しなさい」

皆さん、お父様の前でお祈りしろ、と言われたらどうしますか、
本当に、心臓が破裂しそうでした。

祈祷を終えた後、お父様がこう語られたのです。
「あんた真剣だね。
霊界は深刻だよ」

私の生涯で、本当に恩恵を受けました。
この経験が私の信仰の中心軸になっていると思います。

それで、お父様のみ言を
精誠を尽くして研究したい、と思うようになったのです。
み言を研究する、ということは 命懸けでないといけない、
という思いが強いのかもしれません。

でも、今現在、毎日その基準までいっていないのは
本当に申し訳ない、と思っています。

(文責:ten1ko2)


証しを聴きながら、竹内先生が、
お父様の前で、訓読をされている場面が、
浮かんでくるような、素晴らしい証しでした。

まさにお父様の歩みが真剣なので、
その思いから発せられるお父様が語られるみ言であり、
真剣にみ旨を歩むことを通して、
お父様の心情圏に到達することができる、
ということなのだ、と思いました。

まだまだ条件的にみ言を訓読しているようでは、
恥ずかしいですね。
悔い改めていきたいと思います。


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