日本を愛した文先生の足跡、
名古屋特集。
名古屋には、数々の素晴らしいみ言と
エピソードを残されています。
☆
名古屋は天宙における最も古い名高い家
1960年代から70年代にかけて、文鮮明(ムン・ソンミョン)先生は
たびたび名古屋を訪問されています。
最初に訪問されたのは1965年2月1日から2日にかけてです。
1日午後1時、特急ひかり号で東京を出発され、
午後3時30分、名古屋駅に到着されました。
数十人の歓迎陣に迎えられた文先生ご一行
(文鮮明先生、崔元福〈チェ・ウォンボク〉先生、
崔奉春〈チェ・ボンチュン〉先生、久保木修己会長、阿部トミ子さん)は
車で名古屋城、テレビ塔等を見学され、
4時半ごろ、教会に到着されました。
☆
名古屋について文先生は
「名古屋は一番古い家、つまり天宙における
最も古い名高い家。
それはアダムの家を象徴しており、
古い故郷を思い出させる」
と語られました。
その後、聖歌「新エデンの歌」を自ら力強くリードされ、
集まった教会員たちは心身ともに満たされた
楽しいひとときを過ごしました。
翌2日の朝、文先生は東山の高台に聖地を決定され、
聖別式を行われました。
教会に戻ると、正午近くからお話をされたり、質問を受けたり。
出発の予定時刻が迫ると、歌う聖歌も涙声に変わります。
「先生は名古屋に来て安心しました」と語られ、
午後2時車中の人となられました。
名古屋では「天下統一之星」
「香花盛園之都」
「嵐の風けば香り高く名高古屋の歌」
という揮毫(きごう)を下さいました。
☆
人が見ていなくても神に報告しながらやる
二度目に名古屋に来られたのは
1967年7月8日から9日にかけてです。
「我々は、下がれば下がるほど、
大きい心情が分かるんだね。
…父母の心情はかたわの息子に対して、
立派な息子に対するよりも、
心情的には近いんだね」
とみ言を語られました。
1969年2月3日には名古屋で
リトルエンジェルスの公演をご覧になっています。
☆
また1972年4月30日から2週間、
名古屋の守山修練所で世界統一十字軍の修練会が行われました。
修練会の中で文先生は
「父母と共に闘おう」(4月30日)、
「自分を信じよう」(5月)という題でみ言を語られました。
「何事をなすにも蕩減だと思って真剣にやる。
その仕事の中に自分が蕩減を越えるかも
分からないんだから、すべては真剣にやる。
人が見ようと見なくともそれは関係ない。
…人が見ても見ていなくても神と一対一によって
報告しながら、一歩一歩前進する価値を
自分なりに積み重ねていくというような
生活態度が必要ですよ。
そういうように行く者は、決して堕落とか、
あるいは絶望とか、そういう立場に絶対おちない」
5月3日には「世界献祭 統一十字軍」
「萬苦勝達」と揮毫されました。
統一十字軍結成の修練会でみ言を語られる文先生。 喫茶店で休憩される文先生ご夫妻
500人が参加したため、守山修練所の2階講義室に入りきれず、急きょベランダまで広げて急場をしのいだ(1972年5月1日)
☆
お父様は言葉遊びのように、
地名とか、名前とかに意味を含めて
語られることがたくさんありますね。
み言を尊いものとして侍られる真の父母様なので、
言葉も大事にしていかれるのだな、と思います。
そのようにして、一つ一つの地を愛し、
一人一人を愛してくださいました。
また、名古屋でみ言を語られた内容ですが、
一日一日真剣に歩んでおられるので、
そのようなみ言を語られたのでしょう。
お父様の聖和9周年まで、あと1週間となりました。
お父様に思いを馳せる貴重な
1週間にしていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)