2021年08月26日

「本当に神は存在するのかな?!」 文鮮明・真の父が発見した神とは 《奈田先生》



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聖和9周年を迎えた、真の父、
文鮮明師の、神様に関する珠玉のみ言の数々。。。

信仰の長い方にも、
神様って本当にいるのだろうか、そんな
疑問を持たれている方にも読んでいただきたい。

久しぶりの紹介になりますが、
奈田先生の「父母と共なる生活」から
『神を知る』です。

第三章 父母観(その二)
一 神を知る


一体私たちは、神をどうやって知ったらいいのでしょうか。
これは戸惑うことでもあります。

文先生ははじめから神が分かっておられたかというと、
先生もご自身で苦労して探究してこられているのです。

文先生が知られた神とは、一体どういう神なのでしょうか。
文先生は、論理的にいろいろの書物を通して、
また歴史や聖書を通して探求され、祈祷も相当されました。

またわざわざ苦境の中に入って、
苦悩する人々の心情を味わわれたのです。
そういう中で出会われた神を、
私たちに無償で教えてくださっているのです。

文先生ご自身、神を知るために本当に深刻、真剣であられました。
文先生の足跡を知ることによって、
私たちも神を知ることができるのです。

文先生は、神の事情や心情を知ったがゆえに、
み旨の道を行かざるをえないし、休むことができないのです。
「知ってしまったからです」とよく言われます。


文先生が神について真剣に考えられたことについて、
次のようなみ言があります。

 
「神は存在するや否や?

 ……神を考えるのに、
 まず自分というものを考える。

 自分はどこから来たのか。お母さんから。
 お母さんは、お母さんのまたお母さんからと、
 どんどんさかのぼる。
 すると人間のはじめはどうなっている?

 本当に神がつくったのかな?
 いろんな人種が生きているが、自分は
 どういう系統の中に立っているのだろう?

 神と人間とはどういう関係になっているのだろう。
 ……歴史的関係は? 時代的関係は?
 未来の関係は? 何の関係だろう?………
 
 その関係は何を中心とし、
 キーポイントにしているか。
 それが問題である。……
 
 神がいれば、神自体は何か。
 神の希望は何か。

 ……我々の生活に事情があるように、
 神にも事情があるだろう。
 神の事情は何か。

 神が喜ぶ世界の心情は何を中心とするか。
 神の目的。……
 あらゆるものが問題になってくる。

 この希望や心情、みんな総合して結論を下すと、
 それは『人間』ということになる。

 では、人と神との関係は何か?
 それには心情基準を
 通過していかなければならない。
 結局、深いところに入って祈る。
 祈って聞いてみる」
(一九六五・一〇・七)


結論は祈りになってくるのですが、
このように文先生は人間について考え始めて、
自分という存在にとても悩まれたのです。

ですから、「自分はどこから来たのだろう」などと、
自分をよく見つめてみなければならないのです。
そういうところからでも神を知ることができるのです。


次に客観的に考えて、人間とは一体何だろうか、
宇宙の根本とは何だろうか、という理論的問題があります。

 
「そうして、『宇宙の根本は何か?』
 と聞いてみると、
『親子だ!』というのである。
 父母と子供。
 神と人間が親子の関係であるという。

 天的心情、天的血統を中心とした
 親子関係が宇宙の根本である。

 ……では、いかなる論法でもってしても
 否定できない
 その親の心情圏にいかに入るか。

 その問題は心情でなければ分からない」
(一九六五・一〇・七)


「『神よ。お父様!』と叫べば、
 宇宙のすべてがそこに集まる。

 それは自分の心からいかなる心が起こっても
 神が自分の親であるということを否定できない。
 そして神自身も自分に対して「そうだ」と言う。
 そこに至って疑うことのできない
 親子関係を結んでいく」
(一九六五・一〇・七)


このような考え方の順序を通して、文先生は
ご自分が通られた道を教えてくださったのです。
ですからそのとおりに考えてみたらよいと私たちに言われるのです。

「お父様!」と呼んで、宇宙のすべてが
そこに集まってくるようになるまでには、
相当の戦いがあり、時間もかかっていると思います。

文先生は生まれた時から神と一体であったのではなく、
先生ご自身が悩んでこられた世界があったのです。
そうして神と出会ってこられたのです。

ですから、私たちもそれに倣っていけば、
必ず神に出会えるというのです。


また、文先生は歴史をひもとかれました。

 
「神の歴史を知らなければならない。
 神を理解するには、これまで
 神の歩んでこられた道を知る必要がある」
(一九六五・一・二八)


「原理講論」の中で、
神が実体的に本当に分かるのは復帰原理です。

 
「そして我々が発見しなければならないのは、
 神が幸せな神であったか、
 ずっと不幸な神であったかということである。

 また、神の真の心情と行動をも
 発見しなければならない。

 もし神が不幸な悲しい神であるなら……
 その理由を知らなくてはならない。

 神が最も不幸であった時を知らなくてはならない。
 その悲しみはずっと以前に始まったものなのか、
 それとも最近なのか。

 今、神は不幸だというなら、
 以前は幸福だったのだろうか」
(一九六五・一・二八)


このように神について考えてみると、
神の心情が身近になってきます。

 
「それでは何が神を不幸に変えさせたのか。
 このことを知ることが問題の中心である。
 これらについて皆さんが勉強しているのが、
 原理である」




文先生は旧約聖書を幾度もひもとかれたのだと思いますが、
このように歴史を通して神の心情を見られるのです。


そして実践と祈祷をされました。
ですから、

 
「一週間も寝ずして、涙を流しながら、
 神はいるかいないか、見たい神はいずこにいるや、
 というような心境でもって、
 涙の続く一週間以上の、
 そういう深刻な立場が何回もいくらでもあった」
(一九六七・七・六)


このみ言のように、私たちは、
「神に会いたい。私の求める神が本当におられるのだろうか」
と言って、泣いたことがあるでしょうか。

文先生は、一週間以上そのことだけを思って、
ずっと泣き続けて夜も寝られなかったのです。


 
「目が熟しすぎたカボチャの中身みたいに
 ぐちゃぐちゃになった。
 だから、太陽の光を見ることができなくて、
 目をつぶって過ごした」
(一九六七・七・六)


このとき、先生は本当に泣かれたのです。
そうやって知ることのできた神ですから、
本当に自信を持って言えるのです。

また、神ご自身が心情の神として、
心情圏で私たちに相対してくださるのです。

奈田壽美子
「父母と共なる生活 
信仰生活の真髄をつかむ」
 

第三章 父母観(その二)
一 神を知る


真のお父様も、また真のお母様も、
幼少の頃から、天の父母である神様とは、
一対一で通じ合う関係であったといいます。

使命を自覚された以降、
お父様は、その神様がいかなる方であるのか、
宇宙、人間、歴史について
探求していかれ、解明し発見されたということです。

さて、1980年代、可知講師が編纂された
『マルスム』という緑色の小冊子がありましたが、
当時み旨を歩んでいた者にとっては、
まさに『バイブル』でした。

今回、奈田先生が紹介されたお父様のみ言は、
まさにその中に掲載されているものです。

お父様が全身全霊をかけて、
神様をもとめていかれた、
その世界を垣間見ることができます。

お父様が真の神様と出会われたからこそ、
私たちも神様がどのようなお方なのか、
明確に知ることができます。
本当に感謝でしかありません。

今後も奈田先生のみ言から
心に残る部分を不定期に紹介したいと思います。
どうぞお楽しみに。




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posted by ten1ko2 at 09:35 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする