小山田先生の自叙伝。
今回は、「『原理講論』の翻訳チームの一員に 」です。
☆
(1965年の2回のご来日から)2年後の1967年6月12日、
真の父母様は、 ご家族を伴って初めて御来日、
約2カ月間、滞在されました。
このとき、前年(1966年)5月1日に韓国で発刊された
『原理講論』に基づいて、東京・渋谷の松濤本部で、
「原理大修練会」が2回にわたって開催されたのです。
私は、「(当時の)『原理解説』(『原理講論』の前身) だけでは満足できず、
これ以上、統一教会にはいられないな」と思っていたので、
この原理大修練会に懸けてみようと思いました。
当時の本部は、せいぜい150人ぐらいしか収容できませんでした。
そのため、原理大修練会は2回に分けて行われ、
合わせて約300人の全国のリーダーたちが受講したのです。
私は、 第1回(6月17~30日)に参加しました。
原理大修練会では、劉孝元(ユヒョウォン)先生
(韓国初代協会長)が原理講義をされました。
カリエスで 不自由な体を押しての講義でした。
そこで祈れば祈るほど、修練会における劉孝元先生の祈りが
切々と伝わってきたのです。
「父母ならざる者を父母となし、兄弟ならざる者を兄弟とする」、
それは、いつも劉孝元先生ご自身が体験されてきた内容だと思いました。
講義中、「原理」の重要な部分になると、
真のお父様がお立ちになり、解説してくださいました。
☆
「原理大修練会」が終わった直後、私は
『原理講論』の日本語翻訳チームの一員に選ばれました。
ほかに、野村健二先生、小河原(櫻井)節子さん、佐藤(大山)方美さん、
滝川栄子(のちに奈田寿美子)さんがいました。
劉孝元先生は真のお父様の所に私を連れて行き、
紹介してくださいました。
そのときお父様は、
「クリスチャンが統一教会に来るというのは大変なんだよ。
よく来たね」 と歓迎してくださったのです。
劉孝元先生は、私にアドバイスをしてくださいました。
「真のお父様との出会い方にもいろいろあると思う。
能力や霊力、総合的能力など。
しかし、お父様を見詰めるための焦点が合わないと、
お父様は見ても見えない。
君は、原理のみ言を焦点にして、お父様を見なさい」
その後、お父様は、「劉孝元と小山田が連絡の核となり、
『原理講論』の構成や翻訳などに 関わるように」とおっしゃいました。
そして私は、『原理講論』の言葉の翻訳や名称の記述を整えるために、
ずっと劉孝元先生と共に携わってきたのです。
その工程の中で感じたことを紹介したいと思います。
自叙伝「真の父母様の御跡を慕って」
小山田秀生
第二章 真の父母様の御来日と『原理講論』
『原理講論』の翻訳チームの一員に
小山田秀生
第二章 真の父母様の御来日と『原理講論』
『原理講論』の翻訳チームの一員に
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劉孝元先生の原理講義は、日本食口たちにとって、
革命的な出来事だったのではないでしょうか。
み言自体にも人を生かす力があると思いますが、
語る人の熱情、動機と心情も、人の心を動かす、
重要なポイントであることを改めて思わされます。
また、小山田先生が、原理講論日本語訳の中心メンバーでした。
「これ以上、統一教会にはいられない」と思って、
原理大修練会にかけようと思って参加されたのですが、
神様が重要な立場に用いられたのでした。。。
劉孝元先生とのやり取りなど、
その後の証しが楽しみです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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