2021年09月24日

(証し)生涯で一度だけ、霊的にビンビンに冴えた体験 6000双マッチング



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6000双祝福のマッチングにまつわる証し、
「霊的に鈍い私が人生で初めて敏感になった日」を紹介します。
(光言社編集ブログより)


10月14日は6000双の祝福記念日です。
今年で39周年となります。

私が韓国・水澤里(当時)のマッチング会場に到着したのは
1982年10月7日の夕刻。
日本の各地から祝福候補者が続々と集まっているときでした。

部屋に荷物を置いて一息ついていると、
「お父様が来られました」というアナウンスが聞こえてきました。

あわてて中庭に走っていくと、アボジロード(真のお父様がお通りになる道)を
挟んで両側に敷かれたシートに、
男性と女性に分かれた祝福候補者がすでにびっしり座っていました。

遅れを取った私は、アボジロードを
遠くに見ながら後方に座りました。

すると、「いつマッチングが始まるか分かりません。
恐らく夜中まで続くと思います。
冷えますから、何か羽織る物があったほうが
いいですよ」というスタッフの声。

女性たちの多くが一斉に部屋に戻っていく中、
私は動きませんでした。
なぜか「寒くなる前に決まる」と思ったのです。
もちろん何の根拠もないのですが、
不思議なくらいにそう確信したのです。

私の前がスッカスカになったので、前方に詰めていったら、
いつの間にかアボジロードの近く、
3〜4列目あたりに移動していました。


やがてお父様が会場に来られました。
私にとっては初めてのお父様との出会いでした。

お父様は終始、上機嫌で、
日本語でみ言を語ってくださいました。

お父様「日本人はアリみたいに腰が曲がるまで
    働くんだね。だから、アリが?」

私たち「とう!」

お父様「十匹!」

うろ覚えですが、こんなしょうもない(ごめんなさい)
ダジャレが炸裂し、そのつど会場は爆笑に包まれました。

 
いよいよマッチングが始まる段になると、
首にスカーフを巻いた数十人の男女がぞろぞろと入場してきました。
そして男女に分かれて最前列に座ったのです。

事情があって、マッチングが決まったら
すぐに日本に取って返し、14日の祝福式までに戻ってくるという、
何とも慌ただしい人たちでした。

お父様がその中の一人の男性のスカーフを引っ張って、
「何だ、この風呂敷は」とおっしゃると、会場がどっと沸きました。

マッチングは、この“風呂敷群団”優先で始まりました。
お父様は男性を先に立たせて、その相手の女性を選んでいかれました。

 
50分ほどたった頃でしょうか、まだ“風呂敷群団”の
男性のマッチングが続いていたとき、
お父様がちらっと私のいるほうに視線を走らせました。

私と言うより、私の少し後ろの上あたりだったのですが、
キターッと思いました。
分かっちゃったんです、次は私だと──。

それで私は、まだ指されてもいないのに、
図々しくも、すぐに立てるように
靴とバッグを抱え、腰を浮かせて待ちました。

すぐに一人の男性が立たされ、
続けて指されたのは、やはり私でした。

アボジロードに出ていくとき、何か夢の中のような、
ふわふわした足取りだったことを覚えています。

お父様は、並んだ私たちを確認するように
ごらんになると、次のマッチングに向かわれました。
あっという間のことでした。

こうして、予想どおり、夜が更けて
冷え込む前に相手が決まったのです。

恐らく神様は、私と“風呂敷群団”の一人を
マッチングするために、私をあらかじめ
前のほうに座らせてくださったのだと思います。


さて、自慢ではありませんが、私は霊的に鈍感です。

その例としてふさわしいかどうかは分かりませんが、
清平で善霊や天使を見たことはありませんし、
それどころか、恥ずかしながら、
そばにいるなと感じたこともないんです。
悪霊も同様です。

日頃の生活でも、夢はめったに見ないし、
虫の知らせとか予感などとも無縁です。トホホ……。

以前に大母様の、
「霊的に敏感になりたければ、ために生きなさい」
といった意味のメッセージを聞いたことがあり、
そのときは「そうか、ために生きていないから
鈍いのか」とちょっと落ち込みました。


そんな私が、このマッチング会場では、
なんとビンビンに感じてしまったのです。

考えてみると、マッチングの場には、
「私」というものがあっては臨めません。
そこでは、先祖が固唾を呑んで見守っているでしょう。

もしそこで私が自分の好みとか希望を先だてて、
「やっぱ、やーめた」となれば、
先祖の救いは遠のくわけです。

その意味では、マッチングの場とは、
意識するとしないとにかかわらず、
最高に「ために生きる」場なのかもしれません。

だからこそ、日頃、全く霊的に鈍感な私が、
まるで霊界の中にすっぽり包まれているかのような時間を
過ごすことができたのだと思います。


以来、39年間、夫とは同じB型同士、仲良くやってきたと思います。

ありがたいことに、夫は私より
はるかに霊的に鋭いところがあるので、
迷ったときは夫の言葉を天の声と思ってきました。

天寶入籍時代に入り、道はまだまだ遠いですが、
祝福40周年に向けて、さらに夫婦の絆を深めていきたいと思っています。



昨日は、秋分の日なのに、
とても暑かったこともあり、
夕食の時に「3万双のときは暑かった」
と子供たちに話していたのでした。

そんな中、祝福の証しを見つけ、
とてもほのぼのとした証しでもあったので、
思わず皆様にも、紹介したくなりました。

ありがとう(十匹)のエピソード
面白いですね。
この時だけでなく、水澤里修錬会でも
聞いたような気がします。。。

編集部員さんが感じられた
「マッチングはために生きる場」
という言葉に納得しました。

私だけのものでもないし、
相対者のためのものでもない、
先祖たち、後孫たちの幸せのためでもある、
そのような貴い祝福であると
改めて感じさせていただきました。

最近は、「子供たちは親の愛の結実である」
と思うことがよくあるのですが、
「妻(夫)は私の愛の結実なのだ」
そう思ったら、本当に貴い存在なのだ、
と感じさせていただいています。



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2021年09月23日

苦労してもいじめられても、元手を取る生き方 神のポジション 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生
「神の立場から誠意を尽くす」です。

 
蕩減復帰は、今は苦労しても、マイナスになっても、
いつかは利益が戻ってくるんだという自信をもって、
苦労するとか、迫害を受けるとか、損するとか、いじめられるとかするのです。

何かもうけがあるという原則的な立場に立ってしなくては、
結局、結果的には人に笑われたり、人に対して恥ずかしくなってしまうのです。
そういう面を、信仰人物たちから学ばなくてはならないのです。

 
洗礼ヨハネは、相当蕩減生活をして
民族的な立場の人物になっていたのですが、
イエス様と付き合った時には、人間的に付き合ったのです。

どうして心情的に付き合わないで、人間的に比較したのでしょうか。
イエス様の立場、イエス様の家庭、イエス様のものを、
結果的に見て、付き合ったのです。

歴史的なこの人間の過去を知らないのです。
神から見た未来に、どういう使い道のある人か知らないのです。

表れた瞬間の者を、結果的に見て、付き合ったものだから、
洗礼ヨハネの立場からは、授受ができなかったのです。
自分の考えで、イエス様を見たのです。

イエス様を見た時の内的態度が間違っていたのです。
人間的批判をしたのです。

私たちも、そういう洗礼ヨハネの考え方、洗礼ヨハネの見方があって、
それを行うと、結局霊的に乏しくなってしまうのです。

 
大先生(文鮮明師)も、何をやっても、それをやるんだという、
その結果を目標に誠意を尽くすのです。

家を造る時も、私たちに相当説教されたのです。

「家を建てるというので、私はただこの仕事をやるんだ」と、
「二十八日間でやった」とこう思うけれど、
大先生はこれをやるときには、歴史的に何か因縁があるし、
この期間内に完成しなくてはならない歴史的な内容に、
誠意を尽くされるのです。

この建物はみすぼらしいけれども、
先生が必要と思うこの期間に誠意を尽くすのですが、
それは何のためにやるかというと、歴史的な因縁があって、
そしてまた、これによる民族的な目的があって誠意を尽くすのです。

これは一つの祭物です。

それのために愛するのではなく、この物に対しての愛ではなく、
この物を通じて、その先の目的のために誠意を尽くすのです。
先生のやり方はいつもそうなのです。

私たちは今、「こういうふうにしないで、ああしましょう、
こうしましょう」と、いろいろな意見があって、先生と合わないのです。

先生はそうする目的が今にあるのではなく、未来にあるのです。
だから今は私たちに合わないけれど、誠意を尽くす内容が違うのだから、
これはもう燃えてしまってもいいというのです。

これに誠意を尽くすのではなく、これを祭物として、
目的をまだ見ているのです。そういうやり方を、いつもやっているのです。

 
人を愛する時も、この人間を愛するのではないのです。

三十六家庭を見て、「君のために祝福したのではない」と言われるのです。
「君たちが今やめても、離れても、どうでも、
私は君たちに尽くす責任は済んだ」と言われるのです。

「今君たちが離れても、神に対しての私のやる責任には
誠意を尽くしたのだから、君たち以上の人を引っ張ってくるようになっている。
君たちのために、祝福したのではない。
祝福は、君たちの、その結果のものではない」と。

血統的な背後もあるし、それから神は、こういう人間を
神の前に祭物として使うのです。
先生自身の情の内容が、永遠にどういうものであったかという、
そこにあるのです。

 
私たちはただ、「あの人間はああだ」と、現れたそのものだけを見て、
それに比較して誠意を尽くそうとするのです。
だから私たちは、その人によって打撃も受けるのです。

環境によって打撃を受けるのは、その環境だけに
自分が関心をもったからです。
そういう見方は、復帰摂理から見て、蕩減精神が違うのです。

それで私たちが、マイナスになるのは、ただそのもの、
現在というそのものに、主管されやすい考え方でやっているからです。
そこに相当な損があるのです。

原理的に解釈すれば、ここにいる一人は、その一人だけではないのです。
歴史的な内容を連続しているし、未来的な願いをもっている者だから、
神から見た時のこの存在物は、私たちの見たものと全然違うのです。

神の立場で私たちが、この「循環」というものを取り扱わないものだから、
結局、霊的には乏しくなってしまうのです。
それはピントが合わないからです。

 
そういう面で、私たちは一生涯の生活を、過ぎ去ったのちには、
悔い改めなくてはならないことが多くなってくるのです。

だから、神の立場からの思いでいつも誠意を尽くせば、
霊的に相当敏感になります。

そのもの自体に主管されないで、現在というものに主管されないで、
現在というものを歴史的に、あるいは永遠的に、
観察の仕方をよく知ったなら、霊的に敏感になるのです。

なぜかというと、霊的に実体的相対関係が結ばれるから、
自分という立場が神の立場になってしまうので、自分も主管されるのです。
考え方によって、そうなるのです。

そういう面が信仰生活で、一番貴重なのです。
それを連続していけば、とても成長します。

1.牧会
「神の立場から誠意を尽くす」

信仰生活シリーズ 5
心霊を育てる生活原則「心情開拓」李耀翰
(「信仰と生活 第一集 原理の生活化」増補、改編)


目に見える結果的現象世界だけを見つめるのではなく、
結果が現れる過程が重要であり、
そういう観点から、物事を見つめていく必要がある
ということなのではないか、と思います。

苦労のない人生はないでしょうし、
とりわけ信仰生活は、自分の思いでそれを見つめていたら
心が枯れてきてしまいます。

今見える現実はその通りなのですが、
その過程とか、歴史的なものとか、
立体的に物事をとらえることが大切だとは思っても、
なかなかその深い意味はわからないものです。

それでも、何ごとにつけても、神の観点に立ち、
父母なる神の立場で見るならば、
人に対しても愛をもって対せるし、
感謝で乗り越えられるのではないでしょうか。

蕩減復帰というのは、
天のみ意にかなったものならば
必ず元手を取れるとのこと。

神様に対しての精誠、
意識して、歩んでいきたいです。




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2021年09月22日

神道から改宗したのは、やはり霊界から・・・ 《北谷先生・死んだらわかるけど、それでは遅い》



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天正宮で秋夕のお月見をされる真のお母様(昨日)☆


初めて原理講義を聞いた北谷先生、
そして霊人のメッセージが──

「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
「神様のため、世界のために」 です。


講義の休憩に入ったとき、突然、母に
須佐之男大神(すさのおのおおがみ)が入りました。

公的な行事では一年に何回かは出てこられるのですが、
それ以外でこの大神さんが出てきたのは、その時が初めてでした。


大神さんは私たち家族を前に、こう言いました。

「おまえたちは、この娘たち(家庭連合の会員たち)が
何をしているのか、知っているか。
食べる物も食べず、寝る時間も削り、神様のために、
世界のために、日本のために歩んでいるのだ。
私はそれを七年間、見てきた」

その頃はまだ家庭連合は、「耳パン」を食べながら
歩んでいるような貧しい時期でした。
そういう苦労する姿をつぶさに見てきたというのです。

大神さんは、「子供に苦労させたい親がどこにいるか」
と、涙を流しながら言ってきたのです。

さらに大神さんは、「この教会の信者を見てみろ。
どこに、本当の信者がいるのか。
全部、 自分の欲のためじゃないか。
商売のこと、病気のこと自分のこと、
自分の家庭のことだけを願いに来るじゃないか」
と嘆くのです。

そして、「病気や仕事のことは、
ある程度助けてやることができる。
でも、人の心を変えることはできない。
だから、この娘(姉)をそこ(家庭連合)に送った。

あなた(私のこと) にも来なさいと言ったのに
来なかったから、この娘はとても苦労したのだ」
と言うのでした。


世の中には多くの宗教があり、
「病気が治った」とか「商売がうまくいった」など、
恵みを受けた証しがたくさんあります。
しかし、それが限界なのです。

すべての宗教の本来の目的は、
神様が創造された本来の世界をつくることです。

そのためには、メシア(救世主、キリスト)を迎えることが必要なので、
人々がメシヤを迎えて 一つになることができるように、
彼らの心を変える、ことが宗教の役割だというのです。


私はその須佐之男大神の訴えを聞いて、すべて納得しました。
そして、家庭連合に入ることを決めたのです。

後に「統一原理」を学んで、本来は、神様が
人間の心の中に入る予定だったのに、
人間始祖アダムとエバの堕落によって人間の心の中に
サタンが入り込み、それ以降ずっと
人間の心霊を支配し続けてきたということを知りました。

宗教は今まで、人間の矛盾性を整理、克服しようとしてきました。
ある段階までは行くけれども、完全にはできませんでした。
限界があったのです。

須佐之男大神さんは、
「私にはどうしようもないのだ。
だから、この娘をそこに送ったのだ」 と言われました。

そこで、私は「分かりました。
須佐之男大神さんがそのように言われるのなら、
私もそこに行きます」と、その時に決めたのです。

サタンの正体を明らかにし、真の愛で自然屈伏させた
文鮮明先生(世界平和統一家庭連合の創始者)の教えであるからこそ、
人の心を変えることができるのだと、今は確信しています。

光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より


私も教会に導かれる前は、親孝行したいと思っていましたが、
教会に入ってからは、初めて親に反発して、
献身する道を選びました。

しかし、それは本当の親孝行の道である、と
その時に思ったし、今も間違っていなかったと思います。

神道にはいろんな「神様」がいますけれど、
高い次元の神様(いわゆる高級霊)は、
家庭連合(旧:統一教会)の青年たちが、
神様のために、どんな思いをもって歩んできたか、
はっきりわかっていたのだ、と思います。

また、お姉さんに反発していた北谷先生でしたが、
「須佐之男大神」の一言で、教会に入信されたことは、
本当に素晴らしいと思いました。




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