今日は、秋夕(チュソク)。
霊界におられる真のお父様を偲つつ──
金元弼(キム ウォンピル)先生のみ言より、
「み言で心霊を育てる」を紹介します。
☆
霊界が働きかけて悪いものをつまみ出すのは、
僕(しもべ)に対する教育であって、
子供、子女を教育する仕方ではないと
(文鮮明)先生は教えてくださいました。
ですから、妻に対して良くない点を指摘して
教えるというのは、僕に対する教育の仕方です。
それに対して、真理を与えて、自らが悪いことや
誤っていたことを直して正していくようにさせるのが、
子女に対する教育法ということです。
霊的な方法で悪いものをつまみ出して
正していくようなことはしないのです。
先生の教育法は、私たちが間違っていると
分かっておられるけれども、つまみ出さないで
原理を教え、真理を教えることによって、
自ら正していくように導くという方法です。
☆
もし、そういう霊能者が一緒にいて私たちの過ちを
人の前で、「あなたはこういう間違いをしたでしょう。
そういう間違った考えをしているのですね」
というようにつまみ出したとするならば、
私たちはどのような気持ちになるでしょうか。
ありがたいというよりも怖いという心になります。
だから、おばあさんの霊能者で年取った人であっても、
非常に怖く感じたことがありました。
もちろん私が正しければ、どういうことが起こっても
全く怖くはありませんでしたが。
人は間違いをすることが往々にしてあります。
霊能者からそういうことをされますと、
怖い感じがするというのです。
☆
ですから今もなお先生は私たちのことが分からないのではなく、
分かっていながらもみ言を通して、
私たち自らが直し、正していくのを願っておられる
ということを理解しなければいけません。
そうしますと「私がこんなことを考えても
分からないんじゃないか」と思って
行動するような生活になってはいけないのだと思います。
先生は普通、あなたはこれが悪い、あれが悪いと、
そんなことは私たちに一切話されません。
その当時、先生は何もそういうことを話されないけれども、
霊能者には人のすべてが事細かに分かるという人がいたのです。
この霊能者たちの中には、病気を治したり、
人に何が起こるかせんさくしたり、
あるいは人の心霊をせんさくする人がいました。
心霊が分かるのです。
ところがこういう人たちでも、先生の前では
子供のようになっていました。
それほどの霊能者でも先生のみ言だったら
皆従っていくのです。
先生は私たちの前で、「私は人の病気を治しますよ。
皆様の将来も分かりますよ。何もかも分かりますよ」
とはおっしゃらないのです。
霊能者たちが先生に子供のように従うのを見て、
間接的に先生の霊的な位置を推し量ることができました。
私が「先生も啓示を受けるのだろうか」
と考えたくらいに、先生は何も私たちに
そういうことを見せてはいませんでした。
私がこのようにお話ししているのは、最初のころは
そういうことがあって、今は無いというのではなく、
今なおそういうことが本当に起こっていることを
知ってほしいからです。
そして、一人一人は神とサタンが我々を中心として
闘っているということを、いつも心に思い続けて
生活しなければいけないと思うからです。
ですから、外の世界の霊能者ではなくて、
自分の中の霊能者の声によく従っていく
私たちにならなければいけないと思います。
I 平壌開拓から興南解放
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「み言で心霊を育てる」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「み言で心霊を育てる」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
※一部()書きで加え
誤植を直しました 文責:ten1ko2
誤植を直しました 文責:ten1ko2
「自分の中の霊能者の声」とは、
神様の声、私の良心の声でしょうか。
私たちは往々にして、
「外の世界の霊能者」の声、
聞こえてくるもっともらしい話に耳を傾け、
意識を向けてしまいがちなのではないでしょうか。
また、私に対する評価、反応を
気にしてしまうことがあったりします。
お父様はすべてをご存じであります。
しかし、霊界からメッセージを与えたら、
地上は混乱してしまうかもしれません。
だからこそ、「自分の中の霊能者の声によく従っていく」
やはり、私の良心を高めていく生活をし、
良心の声に基づいて歩むことが重要なのだ、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)