2021年09月02日

主に贈り物をしたのに、それをほかの人が使っていたら… 《金元弼先生》



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金元弼先生のみ言。
「誰のための贈り物か」です。


いろいろな人たちが先生を訪ねてきて、
彼らは自分の過去の話、今まであったことを
全部先生にお話ししました。

その話は長くなりました。
生まれた家のことから、神に会って
恵みのある生活をするようになったことなど
長く話しても、先生はよく聞かれました。

また、幼い食口でも年取ったメンバーでも、
先生は丁重に迎えてくださいました。

皆さんの教会には、新しく教会員となった人で
孤独な人がたびたび教会長を訪ねることがあると思います。

先生を訪ねた人の中にも、
そういう人がいたことを考えてみてください。

その人自体を見れば、みすぼらしい人で
あるかもしれないけれども、その人が教会へ来て、
神のために尽くしたこと、神のために尽くした全部の功績を、
先生はそのまま受け取ってくださったのです。

先生は外的なことよりも、内的な、
神に対してどのくらい善の功績をなしたかという
その功績を見て迎えたのです。


反対される中にあっても、神から
「開拓伝道に出るように」と啓示を受けた
という人が先生の所に来ました。

「神はこのように啓示なさいますけれど、
私はどうしたらいいのでしょうか」と聞いてくるのです。

先生は「神のために、善の道のために
家庭を振り返りもしないで尽くしていくならば、
絶対にその家庭は滅びないでしょう。
かえって神が助けるでしょう」と教えられました。


私たちが開拓に出ても、家のことに思いが残り、
手紙を書いたり、心配事があれば帰ったり、
心配して祈ってあげるというふうに、
振り返ってみるとしましょう。

すると神がその家庭を見てあげようとしても、
その本人が全部見ているので、
神が見る必要はないということになります。

神のために家庭を顧みないとしても、
神は「おお、この者が私のことで
このように家庭を顧みていないならば、
私が代わって見ていないといけないなあ」と言って、
神が守り、導いてくださるということになるのです。

私が守るときには限界を感ずるけれども、
神が守ってくだされば、絶対安全だということになるのです。

 
食口たちは、先生のことがより深く分かってくると、
自分の大事なものを全部先生に差し上げたい思いになりました。

着物を買って贈る人もいれば、
食べ物を心を尽くして作り、丁重に持参する人もいました。

しかし、先生は献品された万物を
教会に訪ねてくる貧しい人や
夜目に分けて与えられました。

皆さんもよく知っていることでしょうけれども、
本当に心を尽くして先生のために作ったものを
贈ったときに、先生はそれを他の人に与えられます。

先生が持っておられると思っていたのに、
他の食口が持っているのを見るのです。
それで心に寂しさを感じるのです。
それは気持ちのいいことですか、悪いことですか。


これと同様に、その食口も寂しく感じました。
だからといって、寂しい感情を
先生の前では見せないのですが、
先生はよく知っていてその人にお話ししました。

「あなたが私にこれを持ってきてくれたので、
私は受け取ったのです。
私が受け取ったからには、私のものとなったのです。

だから、私のものを私が自由に人に与えるのに、
どうして干渉するのですか」と言われました。

また、「あなたが寂しいと思うのは、
あなたはまだ自分のものと考えているからです。
私にくれたのなら、私が人にあげたとしても、
私の代わりに彼が着ても着なかったとしても、
私が着ているものとして対処しなさい」
と教えてくださいました。

このようにして一年八か月が過ぎていきました。

I 平壌開拓から興南解放
第二章 いつも弟子に関心をもたれる先生
「誰のための贈り物か」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


贈り物の話、なるほどな、と思いました。
お父様に贈られた、その物自体も貴重なものかもしれませんが、
お父様は、それ以上に心情を貴く思われたのです。

私たちも心情を中心とした生活を
しなければならない、と感じます。

また、神様のために家を出て、
開拓伝道をすることにより、
神様がその家を守る、という話ですが、
先日、紹介した北谷先生のお姉さんをはじめ、
多くの先輩たちがその道を行きました。

人間的に考えたら、理解できないかもしれません。
しかし、先輩たちの苦労の歩みにより、
今、多くの実が結びつつあります。

今は、家庭を愛することができるように
なりましたし、逆に、
家庭を愛さないといけない時代となりました。

神様のために尽くした功績は、
神様は必ず覚えて、祝福を与えてくださるのだ、
そのことを胸に刻んでいきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 08:49 | Comment(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする