自己牧会プログラムの体験談。
今回は、「それでも出発は親の愛」です。
☆
(女性 50代)
先日、スクールバスに子供を無理やり乗せようとする
母親と、泣き叫びながら抵抗する子供の格闘の場に出くわし、
胸が痛くなりました。
というのも、私もこれまで、息子の気持ちを考えないで、
無理やり教会の数々のことを押し付けてきたからです。
ある時、嫌がる息子を強引に教会行事に誘ったことで、
絶縁を宣言されました。
一時的かと思いきや、家を出てからすでに数年たちます。
息子の居場所はかろうじて分かるのですが、
いまだに会うことも話すこともできません。
この期間、過去の子育ての不足を後悔する日々を送ってきました。
☆
そんな時、「自己牧会ブログラム」に出合いました。
毎日「私心をなくす」ワークに取り組み、
「過去の言動を思い起こして悩み続けるのは、
本当の私とは何の関係もありません」と唱える中で、
少しずつですが囚(とら)われから解放されるようになりました。
それでも、すぐに、過去の子育ての失敗の場面が
浮かんできて、自分を許せなくなるのです。
そんな混沌状態の中で良心に尋ねてみたところ、
小さな声で、
「表現方法の不足はたくさんあっても、
それでも出発は親の愛からだったよ」と返ってきました。
とても慰められました。
☆
今は毎日、息子に光を送っています。
そして、息子と良心でつながり、
息子の喜びや悲しみを我がことのように
感じることができるよう努力しています。
どれだけ時間がかかったとしても、
「神様の願いなのだから、必ず成る」
と信じて歩んでいきたいと思います。
私の心の中にいる神様
「それでも出発は親の愛」
(blessed lifeより)
「それでも出発は親の愛」
(blessed lifeより)
☆
とても短い証しですが、
本当に重要な内容を教えてくださっています。
「表現方法の不足はたくさんあっても、
それでも出発は親の愛からだったよ」
親としては、ありがたい言葉です。
不足のない親などいるでしょうか。
考え始めたら後悔ばかりになってしまいます。
もちろん、不足だったのですが、
ただ、精一杯、子供を愛するがゆえに行ったことですので、
過去を悔いることで前に進むことができないことのほうが、
問題なのだな、と思います。
それが、私たちの良心の答えなのだ、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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