小山田先生の自叙伝、
今回は、「天に祝福された日」と
「 想定外のマッチング 」です。
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第三章 永遠の相対者と出会う
天に祝福された日
天に祝福された日
1969年4月18日、真の父母様が、この年二度目の来日をされました。
そして5月1日、東京・渋谷の松濤本部で、43双のうち、
日本における22双の祝福式が挙行され ました。
世界10ヵ国から成る43双は、
1968年の韓国における430双の相対圏に立つ立場 です。
同年2月28日、初めに米国で13双が祝福され、
3月28日にヨーロッパ(ドイツ)で8双が祝福されたあと、
日本で12双の祝福と10双の既成家庭、
合わせて22双が祝福されたのです。
来日された真のお父様はしばしば旅行に行かれるのですが、
そのときは、東京・調布市の深大寺の近くにある
蕎麦屋に私たちを連れて行ってくださいました。
お父様と一緒に蕎麦を食べたことが強く印象に残っています。
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その数日前から12双の祝福対象者が決められていました。
真の父母様によって、初めに12人の女性候補者が決められたのです。
そして、松濤本部二階の通称「グリーンベルト」で、
その女性候補者たちに証しをさせられたのです。
私は他の姉妹たちの証しは覚えていませんが、
のちに私の相対者になる岸本儀子(のりこ)さんの話だけは、
はっきりと覚えていました。
「私が責任をもたなければならない」と感じたのです。
「そのときの男性候補者については当初、
久保木修己初代会長から、
「今回は男性は30歳以上が対象に入る。
それ以外の者は次だ」と聞いていました。
そのとき、私は27歳でしたので、
その候補に入っていませんでした。
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カープ会長と学生部長を兼務していた私は、その日、
富士五湖(山梨県)の山中湖にある大学のセミナーハウスで、
セミナーの開講式で講義をすることになっていたので、
久保木会長の許可を得て出かけました。
新宿から富士五湖まで高速バスで約三時間かかりますが、
そのときの印象がとても良かったのです。
好感のもてるバスガイドに加えて、車窓の景色を見ながら、
「こんなにも自然は美しいのか」と思いました。
透き通るような快晴の空の下、山頂に雪を戴く
富士山は正に霊峰と呼ぶにふさわしい姿でした。
その日は、霊界の協助を受け、恵まれた日だと実感したのです。
セミナーハウスまでの富士五湖を回っていくと、
広大な樹海に、少し赤く、うつむき加減に咲く
オトメザクラが目に留まりました。
私は、「きょうの日を天が祝福しているなあ」
と強く実感しました。
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想定外のマッチング
そこでの講義を終えて、私が新宿に戻ったのは
午後4時過ぎでした。
そのとき、「ちょっと時間があるな。
映画でも観て帰ろうか」と思ってそのように
行動していたならば、私は、
43双の祝福を受けられなかったと思います。
私は「祝福のために、先輩たちが深刻になっているだろう。
後学のために帰ろう」と思い、 松濤本部に戻りました。
そして二階の礼拝堂に行くと、先輩の男性たち
二、三十人が深刻な顔で待機していました。
驚いたことに、30歳以下の櫻井設雄さん、
井上忠之さんがマッチングを受けていたのです。
「あれ?」と思いながら礼拝堂に行ってみると、中は人でいっぱいでした。
そこで、近くにある別の館で「夕食でも頂こうかな」と思っていると、
突然、松本道子ママが訪ねてきて、
「小山田さんは、いるか?」と私を呼ぶのです。
そのときは、まさか天が私を祝福の対象者にされるとは
思いもしませんでした。
私には、かねてより「海外宣教に出たい」という夢があり、
以前、そのことを久保木会長にお願いしていたので、
私は一瞬、「その回答かな」と思ったのです。
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そして会長室を訪ねてみると、そこには真のお父様をはじめ、
劉孝元先生、崔元福先生、 久保木会長が座っておられました。
お父様は、「今回(祝福を)受けなければ、
次に受けてもいいんだよ」とおっしゃいました。
私がお父様に、「み意のままに」と申し上げると、
お父様は「み意が聞いているんだ」とおっしゃったのです。
そのときは、祝福の相手として希望する
候補者の名前を5人挙げよということでした。
それで私は、思いつくまま、年齢順に対象者となる
5人の女性の名前を書いたのです。
するとお父様は、「おまえ、やる気がないんだろう」
とおっしゃったのです。
その当時、クリスチャン出身の私にとって、
「いかに原罪を脱ぐか」ということが最も深刻な課題でした。
私は、「地上では目をつぶり、霊界で天国に最後に入る道に
行くことができればよい」というようなキリスト教的な観点で
祝福を考えていたので、祝福の相手については、
「誰でもよい。たとえ、どんなおばあさんでも構わない」
と思っていたのです。
それで、ただ年齢順に5人の女性候補者の名前を書き出したのです。
その中に「岸本儀子」の名前がありました。
☆
お父様は消去法的にご覧になったうえで、
「おまえ、なんでこの女性を選んだ?」と尋ねられました。
理由は特にありません。私は思いつくまま、
「(彼女は)私のもっていないものを全部もっています」と申し上げました。
するとお父様は、「それはそうだ。
本人が『イエス』と言うかどうかが問題だ」とおっしゃったのです。
そして、「ちょっと待っとれ」と言われたので、
私は部屋の外に出て待ちました。
そのとき私が思ったことは、「果たして彼女が
『イエス』と言うかどうか。断られたら癪に障るなあ」
と、正直その程度でした。
ところが、彼女が「オーケー」したことでマッチングが成立したのです。
私は「意外なことが起こるなあ」と思いました。
☆
お父様はにこにこして、わざわざ玄関まで
私たちを見送りに来てくださいました。
あとで聞いた話ですが、お父様が
「時間がかかったけれど、決まって良かったね」とおっしゃったそうです。
真の父母様は、一組一組のカップリングをされるのに、
本当にご苦労されたようです。
特に私たちの場合はそうでした。
のちに真のお父様に呼ばれた際、お父様は
「いちばん男らしい女と、女らしい男とを合わせた。
だから三年間は喧嘩をするだろう」と、はっきりおっしゃいました。
その予言は的中することになります。
☆
「み意が聞いているんだ」という件(くだり)は、
なんとも微笑ましいエピソードですね。。。
「どんなおばあさんでも構わない」
と完全に委ねておられたので、
お父様も小山田先生が決めるように、
指示をされたのだと思います。
「男らしい女と、女らしい男」のカップル、
お父様も思ったことをズバリと表現されますが、
その後のお話は、次回のお楽しみに。。。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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