2021年09月27日

妻を伝道、そのために立てた凄まじい精誠とは 《北谷先生・死んだらわかるけど、それでは遅い》



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北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
今回は、『百日の精誠で妻を伝道』です。


こうして一九八三年、私は家庭連合の信仰を持つことを決めました。
ところが、妻は乗り気ではありませんでした。

結婚から一年が過ぎ、妻はようやく私の家の神道の信仰や
儀式に慣れてきたばかりで、「この神道の宗教のままで
いいんじゃないの?」という反応だったのです。

家庭連合の人から
「あなたは結婚しているんでしょ。
この道は一人ではなくて、夫婦で、 家庭で歩む道です。
奥さんも子供も一緒でないといけません」と言われ、
私もそのとおりだと思ったので、妻を伝道することを決意しました。

そして私自身の一生のことなので、
確信を持つためにも百日間の精誠条件を立てることにしました。
条件は、一日の十分の一を神様に捧げるという意味で、
毎日二時間二十四分、祈祷することにしました。

当時、私は片道一時間半かけて仕事に通っていました。
通勤だけで一日三時間です。
そういう中で、一日のうちの十分の一、二時間二十四分を、
妻を伝道するための条件に当てたのです。

ところが、そう決めるや否や、仕事帰りに上司や友人から
「一杯、行こう」と酒席に誘われるようになりました。
不思議なことに、それが毎日のように続くのです。

「あ、これはサタンがいるな」とすぐに感じました。
それで私は、「すべて受けて、とことん付き合おう」
と腹をくくりました。もちろん、酒は飲まずに、です。

そうなると、帰宅は早くて夜の十時、十一時になります。
遅いときは午前三時を回ったこともありました。

すると、「日付が変わると、条件は失敗ではないか」とか、
「今から祈祷したら、二時間しか寝られない。明日の仕事に差し支える」
など、様々な思いが湧いてくるのでした。

それでも私は、とにかく「いったん座ってお祈りをする」
ということを、 やり続けたのです。

祈るといっても、当時の私には簡単ではありませんでした。
神道で祈りに当たるものといえば祝詞ですが、
祝詞は同じ言葉を十回、百回、千回と、繰り返すもので、
自分の言葉で自由に祈ることはありません。

自分の言葉で祈るというのは、とても大変なことだったのです。
それで、この期間は、最初に「神様、今からお祈りします」
と宣言し、祈りの言葉が出 てこないときには聖歌の録音テープを流したりしました。

そのようにしながら二時間二十四分を過ごした後、
「これで終わります」と言って立ち上がる――。
それが精一杯でした。

結果的に、この百日は、人間に条件を立てさせまいとする
サタンの業をものすごく実感する期間となりました。

それでも屈することなく、幼い頃から教えられた
「神様、との約束は守る」という一点で、形だけは全うすることができたのです。


そうして百日を終えたその朝方、夢を見ました。
旧約聖書のアブラハムのイサク献祭の場面でした。

ユダヤ教やキリスト教で「信仰の父」と尊敬されている
アブラハムは、神様からその子イサクを
燔祭(はんさい)として捧げなさいと命じられます。

燔祭というのは、供え物の動物を刃物で 裂いて、火で焼くというものです。
アブラハムが大事な一人息子のイサクを燔祭として捧げようとします。
アブラハムがイサクに手をかけようとしたその時、
神様が天使を遣わしてとめさせるのです。

そして、「あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」(創世記9章2節)
とおっしゃる、あの場面が出てきたのです。

そして続いて、「これからあなたの人生には様々なことが起こるだろう。
だが、必ず最後は私が導く」という声が聞こえたのです。
これが神様との初めての出会いでした。


するとその朝、驚いたことに、妻の気持ちが百八十度変わっていたのです。
妻は百日間の私の姿を見ながら、
「この人は一度決めたら変わらない。
しゃあない、私もやるしかないと思った」と言っていました。

こうして、夫婦で新しい信仰の道を出発したのです。
ほどなくして私は、会社を退職しました。
そして妻に「一年間だけ、私に時間をくれないか」と相談しました。

「一年間、『統一原理』の勉強をしたい。
勉強して原理講義をできるようになりたいのだ。
神様が私を必要としてくださるのなら、私を用いてくださるだろう。
もし神様が私を必要としていないということだったら、
そのときはもう一度、勤めながら信仰するようにする」

そのようにして信仰を出発したのです。

光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より


100日間、凄まじい精誠条件をされたんですね。。。
1983年当時のことですから、今から考えれば
とても激しい条件を立てる時代でしたが、
それでも、2時間24分の祈祷を捧げるということは、
半端ないですね。

睡眠時間を削って精誠を立てていくことは、
命を削ることになりますから、
命懸けの精誠ともなり、
それを100日間やり続けることを通して
サタン分立されたのだ、と思います。

愛する伴侶を伝道する、というのは、
簡単なことではありませんが、
だから激しい条件が必要なんだ、というよりは、
その背後の心情、動機を天が取られたと思います。

小さい頃からの霊界の訓練のたまものでもありますね。
そのような必死な心情と決意、
あきらめずに続けてやり遂げていくことが
重要なんだ、と思わされました。





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posted by ten1ko2 at 09:46 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする