2021年10月01日

証しをする私と一緒に、真のお父様が「おーい!」と叫んだ場面とは 《神明先生信仰手記 中》



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真のお父様は、神明先生の証しを好まれて、
何度も公的な場で話させました。

ある場面では、「おーい!」と共に叫んで
参加されたといいます。

今回は、上京した高校・大学時代の証しになります。


いよいよ東京に出て、高校時代は東京の下宿先で
毎日自炊しながら、父と二人で生活していたのですが、
それまで苦労してきた父は私の優秀な成績を示す
通信簿をいつも見ながら、にこにこしていました。

息子が良い成績を取って、良い大学に進んで、
良い仕事を見つけて、良い給料を得て、良い家に住んで、
良い奥さんをもらって、安楽な生活ができるように、
と父は考えながら私に大きな期待をかけました。

しかし私は、そのような父は利己主義的な人間にすぎないと思い、
父がとても嫌になってきたのです。
そして学校で勉強することにも疑問を抱き始めました。

私は高校二年くらいから問題意識を持ち始め、
勉強は何のためにするのか、人生の目的は何なのかを考えました。

全ての人間が結局は利己主義で動いているのではないかと思い、
しかも自分の行動を見ても、しかり、そのとおりではないかと思いました。
自分に邪心があるとすでに感じていたからです。

もしそうだとすれば、自分は人間として生きるのは嫌だとも思いました。
そして、万が一、利己主義のレベルを超えた、
何かある崇高な目的があるのならば、それをぜひ知りたいと
願ったのですが、それが分かるわけがないので悩みました。

しかし、悩んでばかりでは勉強に手がつかなくなるので、
とにかく自分を押し殺して勉強に集中し、
東京大学の理科一類に合格しました。


理系に入ったのですが、私は人生に関する小説や
人生論に関する書籍をたくさん読みました。

真理を求めて、カントの分厚い『純粋理性批判』なども買いました。
これはドイツ語から日本語に訳されたものでしたが、
読んでもチンプンカンプンなので、本の表紙をめくった次のページに
「不可解なり」と大きい字で書いて、
悔しい思いを持って本を床に強くたたきつけました。

(これは後のことですが、アメリカに来て神学を学ぶうちに、
カントと再び出会って勉強をして、カントの真意を理解したときは、
最終的に神様がこのような自分を導いてくださったのだと思い、感謝しました)

そのときから、教授をはじめいろいろな人に質問しました。

父親に、人生の目的についてしつこく質問すると、
「ばかやろう、そんな疑問は持つんじゃないよ」などと言われました。
兄に聞くと、「そんな疑問を持つなんて、生意気だ」と言われました。

大学の先生に聞いても、物理学などでは、
「いかに」この宇宙が動いているかということを探究するのであって、
「なぜか」はこの分野では問わないんだと言われました。


入教前のキリスト教との出合いは個人的なものでした。
工業高校一年のときから新約聖書を読み始めて、
イエス・キリストの偉大さを感じていました。

他人に見えるようにして断食する偽善者を叱責したり、
水上を最後まで歩く自信のない信仰の薄いペテロを叱責したり、
怨讐を愛することの必要性を説いたりするイエス様からは、
内的権威を強く感じて、私の師匠だと思うようになりました。

しかし、二千年のキリスト教歴史があるのに、この世の中は
少しも良くならず、どんどん悪くなっているように思えました。
宗教戦争もあり、クリスチャン同士でも争っているのです。
私はそれを見ながら、キリスト教会という組織に行こうとは思いませんでした。

でも、キリスト教思想にはますます引かれていきました。
大学一年のときに取ったドイツ語のクラスで使われた教本が
シュバイツアー博士の書いたもので、それを読みながら、
彼がキリスト教的な博愛主義からアフリカで医療活動をしたことを知り、
感動のあまり、そのことについて連日のように真剣に考えました。

それから、トルストイの小説『復活』の主人公ネフリュードフが、
腐敗した社会を変革するために、イエス様の教えを基にして
立ち上がろうと決意するという、その小説の最後の場面にも
熱烈に感動して、自分もそうしようかと考えたりもしました。

小説の最後の部分には、新約聖書のマ夕イ伝からの
山上の垂訓が引用されていますが、それには特別なものを感じました。


もう一つ悩んだのが男女の愛の問題でした。
男女は愛し合うというけれども、その愛は相手の良いところに引かれて、
それを自分のものとして独占しようとするので、
結局は醜い利己主義ではないかと思ったのです。

私も大学生として若者ですから、ある女性Aに心が向いたことがありました。
しかし、あるとき、別の女性Bが現れて強烈に私に思いを寄せてきました。
私はBの私に対する思いを良くは思わず、
それは利己主義ではないかと感じました。

でも、それが利己主義ならば、結局は、
私のAに対する思いも同じように利己主義であるに違いない
と気がつき、ショックを受けました。

そのような利己主義的な愛はシュバイツアーの博愛主義の愛と
どういう関係があるのだろうかと真剣に悩みました。

そして、結論として、愛の本当の意味を知るまでは、
決して女性を愛すまいと決意しました。

それゆえ、道を歩いているときなど、美人が向こうから歩いてくると、
私は、「バカらしい」という言葉を吐き捨てながら、
目を避けて通るほどでした。


その頃から私は、いろいろな疑問の答えを宙に向かって、
「おーい、教えてくれえ。人生の目的って何なのか?
愛って何なのか?」と叫び求めていました。

夏休みなどで田舎に帰ったときも、空や山に向かって、
「おーい。教えてくれえ」と叫んでいました。

真のお父様の前で、証しをしているとき、
この場面になると、お父様も声を上げて、
「おーい」とおっしゃいました。(笑い)


大学生のあるとき、冬の夜、父はまだ仕事から戻らず、
私は独りで、こたつに当たっていました。

あまりにも悲しくて、天井に向かって、
「おーい。人生の目的は何か教えてくれ。
本当の真理とは何か、そういうものがあるのなら、
どうか目の前に現れてくれ。
それを知ることができれば、本当にうれしい。
それ以外には関心がない」と叫びました。

でも、どこからも返事があるわけではありません。
それで失望落胆して、悲しみのあまり、
こたつにうつぶせになって慟哭しました。

この日、あまりに求めすぎると、霊現象が起こるということも知りました。
しばらくして慟哭が収まり、静かにしていると、
直径五十センチくらいの火の玉が天井から下りてきて、
私の一メートルくらい上で、ぱっと止まったのです。

それが、私にはゆらゆらと見えるのです。
「おーい。どうした。何で止まるんだ。俺のところに来い」
と言うのですが、そこにピ夕ッと止まったままでした。

もし、はたで誰かが見ていたら、完全に
気がおかしい人に見えたことでしょう。
そのようなことがあったのです。

そのような中で、「原理」に触れたのが
東大在学中の一九六六年七月でした。

信仰手記 霊界に導かれて
(「世界家庭」2017.7/P.86〜93)
 米国・ベルベディア教会 神明忠昭(七七七家庭)
一部割愛しています
文責:ten1ko2


お父様とともに「おーい!」と叫ぶ場面、
これは、その場では、ちょっとした笑いに
包まれるような雰囲気だったのかもしれません。

しかし、お父様が面白がってやられたのではなく、
神明先生がどれだけ切実だったか、
神様に真剣に尋ね求めていかれたか、
その思いを感じ取られたので、ともに叫ばれた、
そんな気がしてなりません。。。

何度も引き伸ばしますが、次回がいよいよ
教会に出会う証しとなります。
お楽しみに。




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