2021年10月03日

極と極のカップル、私たち夫婦もそうでした *お父様とのエピソードも 《徳野会長》



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HJ天宙天寶修錬苑日本分苑の徳野英治分苑長が
千葉中央修練所で修練生たちに講話をされています。
題目は、「純潔、純血、純白、純金の生涯を貫こう」です。


きょうは、祝福の相対関係についてお話しします。

一般的に離婚原因の第一は「性格の不一致」とされ、
それに続いて「精神的な虐待」や「異性関係(不倫)」になります。

私たちが幸福な結婚生活を送れるかどうかは、
私と性格が異なる配偶者をいかに受け入れるかにかかっています。
それは祝福結婚でも一般結婚でも、本質的には通ずるものは同じです。

祝福家庭の中には「この世でふたりが出会っても、
結婚するとは到底思えないほどの極と極のカップル」が
多いのではないでしょうか。


私たち夫婦もその一組です。

祝福を受けた直後のことです。
妻から「どのような生活が好きですか?」と尋ねられ、
私は意気揚々と「燃えるような人生を歩みたいので、
刺激の多い生活が好きです」と答えました。

びっくりしたようすの妻に同じ質問をすると、
「平凡な生活が、いちばん良いです」と返ってきました。


私たち夫婦は一九九八年に南米ブラジルでの
ジャルジン四十日修練会に参加しました。

日本のカープ会長として真のお父様にお目にかかったことがあった私は、
妻に「和動会でお父様から歌うように言われるかもしれないから、
ふたりで歌える歌を準備しておこう」と提案しました。

すると妻は、「あなたは本当に自意識過剰で傲慢ね。
天地が引っ繰り返っても当たらないわよ」と言うのです。
和動会で、私はなんと二人目に指名されました。

韓国語の歌を披露してほっとした瞬間、
真のお父様が「隣にいるのは誰なの?」とお尋ねになったのです。
妻が「徳野の妻です」とお答えすると、なんと、
妻に対してまでも、突然に歌うようにおっしゃいました。

妻はとっさに、「忘れな草をあなたに」という歌を歌ったのですが、
「別れても、別れても」という歌詞を気にされたお父様が、
妻が歌い終わるやいなや、
「あんた、そんなに徳野と別れたいの?」と聞かれたのです。
今でも、顔を真っ赤にした妻の姿が懐かしく思い出されます。

このように極と極のふたりですが、お互いの神様と真の父母様への信仰ゆえに、
今までなんとか仲良く、喜怒哀楽を共にしながら歩んでこられました。
そして、このように控えめな性格の妻に支えられて、現在の私があるのです。


「原理」が分からなければ、純潔、 貞操を守ることは簡単ではない

「家庭を出発して一緒に暮らし、交流中には気づかなかった
相対者の癖や考え方の違いが見えてくると、
葛藤が生じるようになります。

そのようなときには常に、相対者とは、
私の愛の訓練のために神様が下さった贈り物だ。と考えてください。
神様は、「あなたなら私の息子 (娘)をりっぱに育ててくれるに違いない」と、
私を信頼して、そのような相対者を与えてくださったのです。

夫婦関係で大切なことは、相手に自分の理想像を押しつけず、
お互いに許し合い、補い合い、支え合う努力をしていくことです。

世の中には男女の愛の誘惑があふれ、
「原理」が分からなければ、純潔、貞操を守ることは簡単ではありません。


私の知り合いに、長い間、国会議員の秘書を務めた人がいます。

ある日、彼は議員から、ナイトクラブでの酒席に同行するように言われました。
彼がコーラを注文し、酒席が早く終わるように願いながら過ごしていると、
突然、ホステスが彼の手を握ってきたそうです。

一般の男性なら、どうするでしょうか。
彼はピクリとも、手を動かさなかったそうです。

彼は自宅に帰って祈祷室に向かい、貞操を汚すことなく、
無事に戻れたことに感謝の祈りを捧げました。

そして、妻に何と説明しようかと思いあぐねながら寝室に入ると、
妻は口を大きく開き、いびきをかいて寝ていたのです。

夫が神とサタンの一線上にあったとも知らずに爆睡する妻を見て、
最初は頭にきたそうです が、そこまで安心しきって、
自分のことを信じて疑わないのだと思うと、
むしろ慕わしさと感謝の思いが湧いてきたといいます。


私たちは生殖器を持っていますが、結婚前は神様が私の生殖器の主人で、
結婚後は相対者が私の生殖器の主人になります。
ですから、自分のものだといって、かってに使ってはいけません。

同棲やVできちゃった婚Vが当たり前の、この世の風潮の中でも、
祝福家庭として純潔、純血、純白、純金の生涯を貫き、
天から授かる永遠のパートナーと共に
幸福な人生を歩んでいってください。

第7回孝情天寶21日修練会での講話7/13 世界家庭9月号


本当に「極と極」のお二人ですね。
お父様とのやり取りも微笑ましいですね。

議員秘書の証しにもありますように、
純潔であり、貞操を守る、ということは、
どれほど誇りあることでしょうか。。。

お互いを信頼しあえるということは、
私たちから見ると当たり前のことですが、
本当に素晴らしいことだと思います。

神様から与えられた相対であり、
愛することを通して、「私の愛の結実」になる、
それが夫であり、妻である・・・
そのことを天地に誇れる私でありたいと思うのです。


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posted by ten1ko2 at 06:42 | Comment(0) | 祝福の価値 祝福の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする