HJ天宙天寶修錬苑日本分苑の徳野英治分苑長が
千葉中央修練所で修練生たちに講話をされています。
題目は、「純潔、純血、純白、純金の生涯を貫こう」です。
☆
きょうは、祝福の相対関係についてお話しします。
一般的に離婚原因の第一は「性格の不一致」とされ、
それに続いて「精神的な虐待」や「異性関係(不倫)」になります。
私たちが幸福な結婚生活を送れるかどうかは、
私と性格が異なる配偶者をいかに受け入れるかにかかっています。
それは祝福結婚でも一般結婚でも、本質的には通ずるものは同じです。
祝福家庭の中には「この世でふたりが出会っても、
結婚するとは到底思えないほどの極と極のカップル」が
多いのではないでしょうか。
☆
私たち夫婦もその一組です。
祝福を受けた直後のことです。
妻から「どのような生活が好きですか?」と尋ねられ、
私は意気揚々と「燃えるような人生を歩みたいので、
刺激の多い生活が好きです」と答えました。
びっくりしたようすの妻に同じ質問をすると、
「平凡な生活が、いちばん良いです」と返ってきました。
☆
私たち夫婦は一九九八年に南米ブラジルでの
ジャルジン四十日修練会に参加しました。
日本のカープ会長として真のお父様にお目にかかったことがあった私は、
妻に「和動会でお父様から歌うように言われるかもしれないから、
ふたりで歌える歌を準備しておこう」と提案しました。
すると妻は、「あなたは本当に自意識過剰で傲慢ね。
天地が引っ繰り返っても当たらないわよ」と言うのです。
和動会で、私はなんと二人目に指名されました。
韓国語の歌を披露してほっとした瞬間、
真のお父様が「隣にいるのは誰なの?」とお尋ねになったのです。
妻が「徳野の妻です」とお答えすると、なんと、
妻に対してまでも、突然に歌うようにおっしゃいました。
妻はとっさに、「忘れな草をあなたに」という歌を歌ったのですが、
「別れても、別れても」という歌詞を気にされたお父様が、
妻が歌い終わるやいなや、
「あんた、そんなに徳野と別れたいの?」と聞かれたのです。
今でも、顔を真っ赤にした妻の姿が懐かしく思い出されます。
このように極と極のふたりですが、お互いの神様と真の父母様への信仰ゆえに、
今までなんとか仲良く、喜怒哀楽を共にしながら歩んでこられました。
そして、このように控えめな性格の妻に支えられて、現在の私があるのです。
☆
「原理」が分からなければ、純潔、 貞操を守ることは簡単ではない
「家庭を出発して一緒に暮らし、交流中には気づかなかった
相対者の癖や考え方の違いが見えてくると、
葛藤が生じるようになります。
そのようなときには常に、相対者とは、
私の愛の訓練のために神様が下さった贈り物だ。と考えてください。
神様は、「あなたなら私の息子 (娘)をりっぱに育ててくれるに違いない」と、
私を信頼して、そのような相対者を与えてくださったのです。
夫婦関係で大切なことは、相手に自分の理想像を押しつけず、
お互いに許し合い、補い合い、支え合う努力をしていくことです。
世の中には男女の愛の誘惑があふれ、
「原理」が分からなければ、純潔、貞操を守ることは簡単ではありません。
☆
私の知り合いに、長い間、国会議員の秘書を務めた人がいます。
ある日、彼は議員から、ナイトクラブでの酒席に同行するように言われました。
彼がコーラを注文し、酒席が早く終わるように願いながら過ごしていると、
突然、ホステスが彼の手を握ってきたそうです。
一般の男性なら、どうするでしょうか。
彼はピクリとも、手を動かさなかったそうです。
彼は自宅に帰って祈祷室に向かい、貞操を汚すことなく、
無事に戻れたことに感謝の祈りを捧げました。
そして、妻に何と説明しようかと思いあぐねながら寝室に入ると、
妻は口を大きく開き、いびきをかいて寝ていたのです。
夫が神とサタンの一線上にあったとも知らずに爆睡する妻を見て、
最初は頭にきたそうです が、そこまで安心しきって、
自分のことを信じて疑わないのだと思うと、
むしろ慕わしさと感謝の思いが湧いてきたといいます。
☆
私たちは生殖器を持っていますが、結婚前は神様が私の生殖器の主人で、
結婚後は相対者が私の生殖器の主人になります。
ですから、自分のものだといって、かってに使ってはいけません。
同棲やVできちゃった婚Vが当たり前の、この世の風潮の中でも、
祝福家庭として純潔、純血、純白、純金の生涯を貫き、
天から授かる永遠のパートナーと共に
幸福な人生を歩んでいってください。
第7回孝情天寶21日修練会での講話7/13 世界家庭9月号
☆
本当に「極と極」のお二人ですね。
お父様とのやり取りも微笑ましいですね。
議員秘書の証しにもありますように、
純潔であり、貞操を守る、ということは、
どれほど誇りあることでしょうか。。。
お互いを信頼しあえるということは、
私たちから見ると当たり前のことですが、
本当に素晴らしいことだと思います。
神様から与えられた相対であり、
愛することを通して、「私の愛の結実」になる、
それが夫であり、妻である・・・
そのことを天地に誇れる私でありたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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