2021年10月05日

54年前、日本語版原理講論ができるまで 《小山田先生》



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文鮮明師(真のお父様)より
日本語版原理講論の編集に責任を持つように
指示を受けた小山田先生。

わずか数ヵ月で発刊するまで
相当のご苦労があったと思うのですが──

第二章 真の父母様の御来日と『原理講論』

「真のお父様との出会い方にもいろいろあると思う。
能力や霊力、総合的能力など。
しかし、 お父様を見詰めるための焦点が合わないと、
お父様は見ても見えない。
君は、原理のみ言を 焦点にして、お父様を見なさい」

その後、お父様は、「劉孝元と小山田が
連絡の核となり、『原理講論』の構成や翻訳などに
関わるように」とおっしゃいました。

そして私は、『原理講論』の言葉の翻訳や名称の記述を整えるために、
ずっと劉孝元先生と共に携わってきたのです。
その工程の中で感じたことを紹介したいと思います。


日本語への翻訳の難しさ

まず、同(1967)年六月十二日に真の父母様が来日された際、
韓国で発刊された『原理講論』を日本語に直訳した
分厚い資料を持ってこられました。

日本留学の経験があるなど、日本語が達者な
韓国の先生方が翻訳を担当されたものでした。

その内容について、劉孝元先生を中心として
一つ一つチェックしていきました。
韓国語から日本語への直訳だと繰り返しが多く、長くなります。
それを日本語に訳していくと、今度は
韓国語の元々の意味が失われることがあります。

すると、「それは日本語では通じません」ということになり、
侃々諤々(かんかんがくがく)の話し合いが続きました。
私は、「翻訳とは、こんなにも難しいものか」と感じました。

「原著者がいても、これほどかかるのだから、
普通の翻訳なら数割しか正確に伝わらない」
ということを強く感じたのです。


例を挙げると、「創造原理」の「神の二性性相」の中の
「神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の
相対的関係をもって現象化する」との言葉は、元々ありませんでした。

この文を入れることを劉孝元先生が、お父様に進言し、
「それでよい」と許可を頂いたのです。

また、「キリスト論」には、「重生論」とありますが、
日本には「重生」という言葉がありません。

そのため、「最初の段階では『新生』としてよろしい。
しかし、版を重ねる際には『重生』にしなさい」となったわけです。

もう一つ重要な部分として、「再臨論」では、
メシヤが来られる国、韓国について、いろいろと条件が記されていますが、
初版は簡潔にまとめられていました。

これについても、お父様から「再版のときは
詳しく載せるように」とのご指示を頂きました。

天来のみ言ですから、聖書のごとく
「一言一句加えてはならない、削ってもならない」というのが
原則ですが、お父様はこのみ言を受け入れやすいよう、
それぞれの国の事情を考慮してくださったのです。

日本語版の「原理講論』は、一九六七年十月二日に発刊されました。



重生論は、私が導かれたころの原理講論には、
「新生論」と書かれていたことを覚えています。

それ以外にも多くの部分で、
韓国語の原文とは違っていたのですね。

そういう意味でも、み言を韓国語で受けることは、
どれほど重要なことかしれません。

言葉の背後には、心情があります。
正しい心情を受けるには、
正しい言語を理解する必要があると思います。

ですから、翻訳に携われた劉孝元先生、小山田先生はじめ、
多くのスタッフの方々がどれほどのご苦労をされたのか、
そのことを感じるのです。




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