文鮮明師(真のお父様)より
日本語版原理講論の編集に責任を持つように
指示を受けた小山田先生。
わずか数ヵ月で発刊するまで
相当のご苦労があったと思うのですが──
☆
第二章 真の父母様の御来日と『原理講論』
「真のお父様との出会い方にもいろいろあると思う。
能力や霊力、総合的能力など。
しかし、 お父様を見詰めるための焦点が合わないと、
お父様は見ても見えない。
君は、原理のみ言を 焦点にして、お父様を見なさい」
その後、お父様は、「劉孝元と小山田が
連絡の核となり、『原理講論』の構成や翻訳などに
関わるように」とおっしゃいました。
そして私は、『原理講論』の言葉の翻訳や名称の記述を整えるために、
ずっと劉孝元先生と共に携わってきたのです。
その工程の中で感じたことを紹介したいと思います。
☆
日本語への翻訳の難しさ
まず、同(1967)年六月十二日に真の父母様が来日された際、
韓国で発刊された『原理講論』を日本語に直訳した
分厚い資料を持ってこられました。
日本留学の経験があるなど、日本語が達者な
韓国の先生方が翻訳を担当されたものでした。
その内容について、劉孝元先生を中心として
一つ一つチェックしていきました。
韓国語から日本語への直訳だと繰り返しが多く、長くなります。
それを日本語に訳していくと、今度は
韓国語の元々の意味が失われることがあります。
すると、「それは日本語では通じません」ということになり、
侃々諤々(かんかんがくがく)の話し合いが続きました。
私は、「翻訳とは、こんなにも難しいものか」と感じました。
「原著者がいても、これほどかかるのだから、
普通の翻訳なら数割しか正確に伝わらない」
ということを強く感じたのです。
☆
例を挙げると、「創造原理」の「神の二性性相」の中の
「神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の
相対的関係をもって現象化する」との言葉は、元々ありませんでした。
この文を入れることを劉孝元先生が、お父様に進言し、
「それでよい」と許可を頂いたのです。
また、「キリスト論」には、「重生論」とありますが、
日本には「重生」という言葉がありません。
そのため、「最初の段階では『新生』としてよろしい。
しかし、版を重ねる際には『重生』にしなさい」となったわけです。
もう一つ重要な部分として、「再臨論」では、
メシヤが来られる国、韓国について、いろいろと条件が記されていますが、
初版は簡潔にまとめられていました。
これについても、お父様から「再版のときは
詳しく載せるように」とのご指示を頂きました。
天来のみ言ですから、聖書のごとく
「一言一句加えてはならない、削ってもならない」というのが
原則ですが、お父様はこのみ言を受け入れやすいよう、
それぞれの国の事情を考慮してくださったのです。
日本語版の「原理講論』は、一九六七年十月二日に発刊されました。
☆
重生論は、私が導かれたころの原理講論には、
「新生論」と書かれていたことを覚えています。
それ以外にも多くの部分で、
韓国語の原文とは違っていたのですね。
そういう意味でも、み言を韓国語で受けることは、
どれほど重要なことかしれません。
言葉の背後には、心情があります。
正しい心情を受けるには、
正しい言語を理解する必要があると思います。
ですから、翻訳に携われた劉孝元先生、小山田先生はじめ、
多くのスタッフの方々がどれほどのご苦労をされたのか、
そのことを感じるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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