正しい献金の捧げ方 お釣りをもらってはいけないワケ
金元弼先生のみ言。
今回は、「必要なものは霊界が援助する」です。
☆
最初のころ、今日の教会とは違って、
献金という制度がありませんでした。
日曜日に献金するということで献金箱を渡すことはありませんでした。
もともと神にささげるお金というものは、
人に言われてではなく自分の心から進んで
献金するというのが、神の喜ばれる献金です。
私がある集会に出てみたら、
献金箱を回している光景を見ました。
そしたら、献金を準備していなかったらしい人がいて、
一ポンド札を出して献金箱から
いくらか分からないけれども、
おつりを取ってポケットの中に入れるのを見ました。
献金する時には、神にささげる気持ちでするのですから、
お金はお札でも(上下表裏)逆にするのではなく、
五枚だったら五枚とも正しくたたんで出すのです。
そして同じお金の中でも自分が全然使ってない
新しいものをささげたいと思いますか、
それとも使ったものをささげたいと思いますか。
物というのは自分の心の表れといえます。
つまり心をささげるというのです。
☆
私たちが神の前に出るのに、体を清くし、
あるいは着物を新しくするのも全部理由があるのです。
ですから礼拝に立つ時には、必ず礼拝に立つための
着物を区別しなければいけないのです。
ミサをあげる時には、ミサに必要な着物を着ます。
では着物がない時にはどうしたらいいでしょうか。
それ一着しかなくてそのままで神の前に出る時には、
それを新しいものとしてお祈りしたらいいのです。
結局神の前に出る時の、私の心がどういうものでなければ
ならないかという心情の世界が問題になるわけです。
形状は性相の表れですから、
そういう心情をもつとするならば、
体も外的なものもそのように表れるのです。
☆
当時、貧しい中にあっても、先生は人が集まってきますと、
いろいろなものを与えたり、
あるいは食べ物を用意してもてなしてあげました。
けれど、先生がたくさんの物を
多くの人にあげようとしてもあげるものがありません。
そういう時にあって霊界は、お金のある人に
“お前のお金を先生のところに持っていってあげなさい”
と教えるのです。
そういうことが起こります。
☆
イギリスのある女の人は300ポンドくらい持っていました。
それが彼女の持っているお金の全部でした。
次の日に先生のところへ行く時、その300ポンド
全部を持っていきますと、彼女には何もなくなるので、
50ポンドだけを残して250ポンドを持っていきました。
ところが、礼拝が終わってそれを差し上げようとしたところ、
一緒にいた霊能者が、何も言わないのに、
啓示を受けたその人に対して、
「あなた、300ポンド持っているんでしょう」と言いました。
それで彼女は深く悔い改めて、神が啓示したとおりにしました。
☆
そういう雰囲気がありましたので、
常に自分を分別する生活をしなければなりませんでした。
ある時には、一人のおばあさんがずっとお金をためていて、
自分だけが分かっているお金を、
誰も知らないタンスの中に深く入れておきました。
神はその人に、これを全部教会に献金するように啓示されました。
ところがその人は、なかなか決心ができないで
三日ほどたつうちに、家に泥棒が入って全部盗まれてしまいました。
☆
こういうお話は、先生が本当に物が必要であり
お金が必要なのにないという時には、
必ず天が助けて、先生がメンバーにお話ししなくても、
必要な物を霊界が援助してきたということをいっているのです。
統一教会の経済は、そのように支えられていました。
ある人は何とかしなくてはいけないなあ
という心が強くなって、自分から献金する人も出てきました。
ですから皆さんも、あるセンターのリーダーの立場で、
何かあげたいけれどもないという時は、
いろいろな霊界の助けによって道が開かれる
ということを確信してほしいと思います。
本当にあげたいという心が先に立たない限りは、
そういうことは起こらないでしょう。
自分の食べ物までも人にあげようとする心が
あるとするならば、霊界が助けるのです。
ですからお金がなくても、先生のそういった
心情の基台の下に、天の助けによって
統一教会の経済の問題は支えられてきたということです。
☆
献金に対しての基本的な姿勢を語ってくださいました。
神様に真の父母様に感謝する心情があるとするならば、
内外ともに聖なる捧げものにしなければならないと思います。
「十一条」も本来は自発的なものであるのです。
また真の父母様の証しにもあるように、
霊界が捧げるように指示してくださる、
そのような高い霊的歩みを捧げることが重要だと思います。
今日は天寶大祝祭の貴い一日です。
日本においては、2000家庭以上の方たち、
当教会も6家庭が天寶家庭になりました。
本当におめでとうございます!
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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