2021年10月11日

原理との出会い、そして、突然霊眼が開けました 《神明先生手記 後》



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神明先生の手記のクライマックス、
大学時代、教会に出会った頃の証しとなります。


そのような中で、「原理」に触れたのが
東大在学中の一九六六年七月でした。

夏休みが始まる前の最後の授業が終わり、
門を出ようとしたときに、「幸福とは何か」
と書かれた原理研究会の看板を目にしたのです。

その看板を見て、
「まあ、どうせ、俺だって求めたんだから……。
いろいろな人が求めてきたけど、人生の意味も目的も分からないんだ。
それが分かって達成すれば幸福になるだろうけど、
目的が分からない限り誰も幸福にはなれない。
だから、こんなの求めても無駄さ」と思いながら通り過ぎました。

しかし、二、三十メートル過ぎてから、
「だが待てよ。ひょっとしたら、何かがあるかもしれない。
一応参考のために聴いてみよう」と看板の所に戻ったのです。

そして看板の指示どおりに、「原理」の展示説明会の
会場になっている教室に足を運びました。


そのとき私に声をかけてくれたのが、
当時青山学院大の学生だった福井智也子さん(七七七家庭)でした。

私は簡単な説明を聞いて、すぐに
一週間のセミナーに参加することにしました。
「原理」という言葉に引かれたからです。

霊の親の福井さんに感謝すべきことがあります。
私は、セミナーに参加することを約束はしたものの、
自宅に帰った後、夏休みのアルバイトなどを
すぐに始めなければならない現実に気がつきました。

それで、福井さんが一日か二日後に確認の電話を
下さったときに、今回は参加できない旨を伝えたのですが、
こういうときに何を優先すべきかを彼女から聴かされ、
やはりセミナーに参加することを再度決めたのです。
この後押しがなかったら、どうなっていたことでしょうか。


いよいよセミナーに参加しました。
でも、大学のサークルの合宿だと思って参加したのですが、
とても宗教色が強かったのです。

初日から、私を除いた百人余りの全ての参加者が、
「お父様!」と叫んで祈祷しているのです。
彼らは、それぞれの地区で二日間か三日間の
修練会を通過してきた人たちばかりだったのです。

それで、私は途中で帰ることにしました。
すると、女性の班長さんたち数人が私を取り囲んで、
「講義を最後まで聴いてください」と懇願するのです。

しかたなく復帰原理まで聴きました。
ところが、そこで奇跡が起きたのです。

つらく悲しい神様がいらっしゃったことを知り、
「悲しみ、苦しんでこられたのは、自分じゃなくて神様だったんだ」
と思い、涙が止まらなくなってしまいました。

それからは修練会が終わるまで、講義を聴くと、
ハンカチもノートも涙でぐしゃぐしゃになるほど泣きました。

そのときに、「そのように悲しみ、苦しんでこられた神様を
幸福な神様にしてさしあげるためなら、
この私は不幸になってもいいというほど働きますから」
と祈りました。

そして、一か月後に行われる十四日間の
第三十四期特別修練会に参加して
献身的に歩むことになったのです。


この原研の七日セミナーが終わって下宿に戻ると、
父から、「原理研究会なるものに行ったんだって?
おまえは何をやってるんだ!」と叱られました。

当時、中国では文化大革命が起こり、紅衛兵が激しく活動していました。
それで父は、「原理研究会の青年たちは紅衛兵と同じだ。
そんなところに入るんじゃない」と言っていました。

私が東大合格を果たしたときに一筋の涙を流して喜んでくれた
父にとっては、私が変なところに行くことなく
無事に大学を卒業することが願いであったに違いありません。

そのとき私は、父にこのように言いました。
「お父さん、この僕の歩みを知っているでしょう。
創価学会にも行きました。
それは創価学会のメンバーになるためではなく、
何か真理があるかもしれないと思ったからです。

民青(日本民主青年同盟)の共産主義の大会や
サークルに行ったのも、共産党員になるためではなく、
そこに何か役に立つものがあるかもしれないと思って行ったんです。

(統一原理を学ぶ)原理研究会も同じです。
そこのメンバーになろうと思って行ったのではなく、
人生の目的を知ろうと思つて行ったのです。
分かるでしょう?」

すると父は、「何を。こいつ、生意気言うな」と言って、
私の頭をゴツンと殴りました。
ものすごく痛かったです。


そして、その痛みが、どのように振動したかというと、
なんと私の霊眼が開けたのです。

自分の目の前に霊的に現れてきたのは、
旧約時代の預言者たちが石を投げられ、村から追い出される場面でした。
「出ていけ!」と言われる預言者の姿がぼうっと実際に見えるのです。
私はものすごく悲しくなり、泣きました。

次に、真理を語られるイエス様が十字架にはりつけにされる場面が見えました。
悲しみながら殺されていくのです。
私はそれを見て、激しく泣きました。

預言者やイエス様という義人たちが迫害される切ない姿は、
あまりにも悲しいものでした。


私があまりにも泣くので、父は、
「おまえは、やっぱり精神異常者になった。
早く寝ろ。明日、必ず精神病院に連れていく。
手錠をはめるぞ」と言ったのです。

私は、しかたなく寝たのですが、横になっても涙が止まりません。
さっき見た光景が目に浮かんで、悲しくなるのです。
その背後にいらっしゃる神様があまりにもかわいそうで、
涙を止めようと思っても止まらず、枕はぐしょぐしょにぬれました。

しかし、朝まで下宿にいたら、精神病院に連れていかれるので、
午前二時半頃、静かにかばんに下着や衣類、歯ブラシなどを入れて、
父に気づかれないように部屋から出て、アパートの階段を下りて、
南平台(東京・渋谷)の原研本部に逃げ込んだのです。

父と私が住んでいたアパートは(京王井の頭線)駒場東大前駅(東京・目黒)から
五分くらいの場所だったのですが、そこから夜道を一目散に駆けていきました。

すると翌日の午前九時頃、父はかんかんに怒って、
すごい形相で原研本部に私を連れ戻しに来たのです。
すぐさま、論戦が始まりました。

原研側は、リーダーだった星野一夫さん(七七七家庭)が立ちました。
その他にも二人くらいいましたが、二時間ほどやり合って、平行線でした。
父も、東北大の大学院まで出た学のある人だったので、簡単には負けません。

私は座って両者を見詰めていました。
そして最後に父は、「らちが明かない。しかたがない。
とんでもない」と言って、私に向かって、
「おまえも、青ざめた、やつれた顔をしている。
前の健康な顔は全然ないよ。
こんなところにいやがって。このばかやろうが!」
という感じで、私を放っておいて帰ったのです。


私はこの後、あまりに悲しくなって、
「天のお父様。天の神様。
自分の父親も説得できないこのような悲しい状況です。
どうしたらいいんでしょうか?」と、
南平台の聖地でこうべを垂れ、独り祈りました。

すると、もう考えることもできない、
とてつもなく不思議な聖霊現象が起きました。
上から直径一メートルもありそうな黄金の火の玉が、
垂直に下りてきて私の体の中に入ってきたのです。

私の体は震え、涙がとめどなく流れました。
自分の父親を説得できなかった申し訳なさで顔を上げられない私に対して、
「おまえ、よくやった。よく頑張った」
と慰められているような感じでした。

そして、私は悔い改め、「これから、もっと頑張ります」
というような新しい決意をさせられる不思議な響きでした。

上から火の玉が下りてきて、このような足りない者を
引き上げてくださる天の愛を感じ、深く感動しました。
私は、この出会いがあったので、
一度もこの道から外れずに歩んでくることができました。


1994年にUTSの総長に就任してから二年後、
私は初めて、入教したときのこの証しを、
真の父母様の前で長々とさせていただきました。

そのとき、真のお父様はじっくりと聞いてくださり、
「霊界が導いた。霊界が本当に働いたんだね」と語って喜んでくださいました。

その後、事あるごとに、真のお父様は、
皆の前で私の入教時の証しをするようにと命じられました。

多分、その理由の一つとして、私が自分の父親を捨ててまでも
真の父を選んだということが、とてもうれしかったからではないかと思います。

お父様はあるとき、こうおっしゃいました。
「神明のお父さんは今頃、霊界ではびっくりしているね。
先生の前でこのような証しをしているんだから」と。

この南平台の聖地での出来事と同じような現象は、
これまでの五十年を超える信仰生活の中で何度かありました。
大変なときに祈ると、ばあっと来るのです。
今でも来ます。

特に、危機にひんして、本当に張り詰めた思いになって
天に祈ると、ばあっと下りてきます。

また、別の形で、温かい波動が下りてきたり、
温かい雰囲気に包まれたりして、
困っている私たち人間を癒やしてくださるときもあります。

このようなことを通して、神様が弱い自分をいつも助けてくださるのです。

そして、幻で真の父母様を見たり、
真のお父様を慕っていると目の前に現れたりします。

真の父母様が語られた内容を人が報告していても、
もはやその人が語っているのではなく、
お父様が語っておられるように見えて、
愛の波動を受けてぶるぶると震えることもありました。

そのような、ここには書ききれない
多くの導きの中でここまで歩ませていただきました。
天の父母様(神様)と真の父母様の
一方的な導きに心から感謝申し上げます。

信仰手記 霊界に導かれて
(「世界家庭」2017.7/P.86〜93)
 米国・ベルベディア教会 神明忠昭(七七七家庭)


お父さんに殴られて霊眼が開けたなんて、
何とも凄いことですね。。。

お父さんに反対されても教会を辞めなかった、
そのことによって、真のお父様の前で
証しする機会を与えられた、という風にも言えますね。

私がマイナス的な環境にあっても
感謝、甘受することにより、
天の祝福が与えられるし、
与えた人にも条件が立つ、
ということになるんだと思います。

神明先生の証しはこれで最後になります。
珠玉のエッセイも含めて、
心に残るみ言をありがとうございました。




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