チェコスロバキア(当時)で殉教した
マリア・ジブナさんと共に投獄された兄弟の証し
『東欧の涙の歴史に光を当ててくださった』
を紹介します。
(久しぶりに、マリア・ジブナさんの
真の父母様への手紙もあわせて掲載します。)
☆
ユライ・ライダ(六○○○双)
私はスロバキアの首都、ブラチスラバで育ちました。
一九七一年に入教した、東欧の初期のメンバーの一人です。
妻もスロバキア出身です。
私が伝道された当時、ブラチスラバは
チェコスロバキアの中心都市の一つでした。
そこに最初の宣教師であるドイツの女性食口、
エミリエ・シュテベルが来たのは
一九六八年八月三十日のことでした。
オーストリアの首都ウィーンから国境を越えてやってきたのです。
同年に起こったチェコスロバキアの民主化運動
「プラハの春」には大きな希望がありました。
共産主義には希望がありませんでした。
しかし、その年の八月二十日、ソ連、東ドイツなど
五カ国の軍隊が侵攻し、
プラハが占領されてしまったのです。
人々は深い絶望に陥りました。
そのような深刻な状況にもかかわらず、
エミリエは勇気を持ってやってきたのです。
真の父母様のメッセージを携えてー。
☆
東欧の共産圏での地下宣教「ミッション・バタフライ」が始まる
一九八〇年以前、一九七三年から七八年にかけて、
チェコスロバキアで二十人近くの食口が投獄されました。
獄死したマリア・ジブナ(享年24)、そして私もその中にいました。
誰もがマリアのように殉教する可能性があったのです。
私も死んでいたかもしれません。
後に、アメリカにおられた真の父母様が、
刑務所に送られた私たちのために、
朝早くから聖地で涙しながら
祈ってくださっていたことを知りました。
父母様が私たちを救ってくださったのです。
☆
私たち初期のメンバーの
伝道への情熱にはものすごいものがありました。
共産主義者ですら、私たちに比べれば弱い者にすぎませんでした。
警察は私たちに伝道させないようにしましたが、
私たちを止めることはできませんでした。
私たちは聖霊に満たされてエネルギーに満ちあふれ、
彼らを圧倒したのです。
それは再臨主と共にあったからです。
☆
真のお母様は二〇一五年の基元節二周年に、
このチェコスロバキアの初期のメンバー、
そして東欧への最初の宣教師を表彰してくださいました。
また、欧州宣教五十周年を迎えた同年五月には欧州に来てくださり、
復興をもたらしてくださったのです。
さらに二〇一六年二月、真の父母様御聖誕日と
基元節三周年の記念行事のときには、
「ミッション・バタフライ」をテーマにしたミュージカル
「天一国の蝶の夢」を上演してくださったのです。
私は統一運動であるチェコ天宙平和連合(UPF)の事務総長として、
その記念行事に参加させていただきました。
お母様が直接指導されて完成したこのミュージカルは、
聴衆に深い感銘を与えました。
もちろん、私も泣きました。
それは、私が四十五年もの間、心の奥底にしまっていた涙の歴史に、
お母様が光を当ててくださったからです。
共産主義国を愛し、み言を伝え、解放をもたらしてくださった
真の父母様に改めて感謝を申し上げます。
光言社刊「真のお母様、感謝します」より
☆
マリア・ジブナさんのお父様への手紙
お父様、私は一度もあなたに
お会いしたことがありません。
しかし、あなたのみ言を聞いて、
『これが私の人生の行くべき道だ』
そのように確信しました。
そして、この道を出発してまいりました。
しかし、この国は神様を認めない
共産主義の国です。
だから、私は明日、
この地上にいることはできないかも知れません。
でも私は自分が来た道を決してうらんだりしません。
あなたに対して何一つのわだかまりもありません。
だから私に対して心配しないでください。
でもお父様、
一つだけ願いがあるとすれば、
生きているときに
あなたとお会いしてみたかった。「平和を愛する世界人として」
文鮮明自叙伝より
☆
マリア・ジブナさんの手紙。
皆様もご記憶にあるかと思いますが、
本当に胸を打たれますね。。。
その手紙がお父様の前で読まれた時、
その場に居合わせた食口たちは、
みんな泣きました。
お父様は、しばらく下をうつむいていましたが、
顔を上げられた時、こうつぶやかれたといいます。
「先生は悪い男よね」
お父様は、ジブナさんを殺した
共産主義者たちを怨むのではなく、
自分が悪い、と責められるのです。
お父様の真の親の姿を感じます。。。
マリア・ジブナさんをはじめ、
今回、証ししてくださった方など
迫害に直面された方々は
文字通り、命懸けの道を行かれました。
今の時代は、そのような命にかかわるような
迫害は一切ありません。
そういった方たちのご苦労があったことを思い、
み旨に更にまい進していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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