北谷先生の「死んだらわかるけど、それでは遅い」
今回は、『既存の供養には限界がある』です。
☆
人間は亡くなった後、霊界に行きます。
ところが、すぐに霊界に行けない場合もあるのです。
例えば、交通事故などで突然命を奪われた人は、
浮遊霊としてその事故現場に残ることがあるのです。
また、強烈な恨みを持ったまま亡くなった場合、
その恨みの原因をつくった地上人の体の中に入るケースもあるのです。
☆
私の一家が信仰していた神道では、恨みを抱えたまま、
霊界に行くことすらできないでいる霊人たちに対して、
六カ月間、謝り続けることで供養していました。
その人が生前好きだった食べ物などをお供えしながら、
毎日ひたすら先祖のしたことを「すみません」と謝るのです。
子供のときには、「先祖がやったのだから、
子孫ではなく先祖のところに行けばいいのに」
などと、よく思ったものです。
そのようにして六カ月供養すると、
母に入った“神様”が、その霊人から
恨みがすべて取れているかどうかを調べます。
そうして恨みが取れていることが分かったら、
そのことを紙に書き記して、海に流すのです。
私が信仰していた神道では、こうすることで因縁が切れて、
供養ができ、その霊は霊界に行けるというのです。
このようなことは神道だけでなく、仏教などでもしています。
☆
ところで、神道や仏教でこのように供養をして因縁を切ったとして、
その供養された霊は、果たして霊界のどこに行くのでしょうか?
天国に行けるのでしょうか?
そうではありません。
その人が地上で生きていたのと同じような霊界に行くのです。
つまり、その人の心霊基準にふさわしい霊界に行くのです。
光言社刊 北谷真雄 / 著
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
「死んだらわかるけど、それでは遅い」より
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北谷家の神道でのお祓い、
これほど大変なんですね。
あらためて、清平を通して受けてきた恩恵が
どれだけ素晴らしいものか知りました。
HJ天宙天寶修練苑で行われる霊分立役事は、
怨みをもった霊を役事を通して、
私たちの体から分立するだけでなく、
絶対善霊に生み変えてしまう、という
奇跡の役事です。
6ヵ月祈り続ける、そのように苦労されたとしても
一般的な御祓いは、悪霊を一時的に取り除くことはできたとしても、
その悪霊自体は、そのままの状態で浮遊するか、
別の人の体に入ってしまうのです。
ほとぼりが冷めれば、また戻って来る場合もあるといいます。
そういった意味では、家庭連合の霊分立役事は、
霊界の人たちを救い、地上の人たちを解放する、
どれだけ貴いものであるでしょうか。
本当に感謝しなければならない、と思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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