2021年11月27日

(証し)私が、信仰の親から学んだこと 伝道勝利の背後に 《篠崎先生》



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篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」より、
今回は、『真の愛の投入/霊の親から学んだ信仰姿勢』です。

真の愛の投入

家庭においても、親は子供に真の愛をもって
一対一で犠牲と奉仕の精誠を尽くすのです。

親が子供に真の愛をもって、
それぞれ一対一で犠牲と奉仕を貫いたとき、
子供は孝の心情を成長させることができるのです。

多田聰夫(としお)・家庭教育局家庭教育部長(当時)も
「家庭力アップ講座」において、子供たちに絶対に必要なものは、
個人的な関心であると語っています。

子供にあなただけの時間を持ってあげる
ということが大切なのです。

それぞれの子供一人ひとりと月に一度は、
食事会などをして子供と一対一の時間を持ち、
共感する時間をつくるのがよいというのです。

生活圏において時間・空間を共にしながら
一対一で深く付き合い、揺るぎない信頼関係を築くのです。


伝道も同じです。
霊の親子(*註)の一対一の関係が、すべての関係の基本です。
【編集部注】「霊の子(霊の親)」は
「信仰の子女(信仰の親)」のこと
お父様も草創期は食口たち一人ひとりに精誠を捧げながら、
この教会の基盤を築いてこられたのです。

霊の子に対する霊の親の
一対一の犠牲と奉仕で育まれた心情をもって
新しい人が新しい人を伝道していくのです。

霊の親から学んだ信仰姿勢

私が伝道されたとき、霊の親は信仰歴が二年で、
私が最初の霊の子でした。

入教して間もない頃、教会の姉妹(女性信徒)が私の霊の親について、
「彼は、伝道しても伝道しても、対象者が離れてしまっていたのよ。
でも、雨の日も雪の日も、毎日黙々と聖地で祈祷を重ねていたわ。

そして3年目にあなたとあなたの霊の弟
(信仰の親が伝道した人、後で伝道された人が弟妹)
いっぺんに伝道されてきたの。
彼は本当に喜んでいたわ。
彼は人知れずコツコツと蕩減条件を立てる兄弟なのよ」
と教えてくれました。


私と霊の弟が共に入教した信仰の初期は、
毎日反省会の後、その日に「原理」や聖書を
学んで感じた疑問や質問を霊の親にぶつけ、
3人でああでもない、こうでもないと議論していました。
気が付くと、夜が明け始めていることもありました。

「原理」を研究し、み言を尊ぶ姿勢は、
その時に霊の親から学んだのです。


またある時、私の隣に敷いた、
霊の親が寝るはずの布団が使われていないことに気付きました。

霊の親は伝道勝利のために、40日間、
背中を床に着けずに寝る条件を立てていたのです。

ちょうど、真のお父様がダンベリーで
背中を着けて寝ることができず、
エビのように丸くなって祈祷をされていた頃です。

私は何度か、霊の親が総務室の椅子に座り、
机にうつ伏せになって寝ている姿を見ていましたが、
条件を立てていることは気付きませんでした。

 
皆さんは、これまで霊の親から何を学び、
霊の子に何を教えてあげたでしょうか?

霊の親が霊の子に精誠を尽くすという伝統を
霊の子が相続したとき、
新しい人が新しい人を伝道するようになるのです。

伝道していると、私が伝道された背景に、
霊の親の精誠の基台があったことを感じるようになります。
そこに伝道の妙味があります。

霊の子に対する霊の親の一対一の犠牲と奉仕の
投入こそが真のお父様の伝道の伝統であり、
教会の発展の力になるのです。

 
神氏族メシヤ活動は、私たちの住んでいる家を中心に
地域の人々を伝道することが願われています。

生活圏伝道は「私」を直接見せる伝道です。
自分の家庭が魅力的になることを通して
周囲の人々を引き付けるのです。

自らの生活圏内でために生き、周囲の人々を
愛と犠牲で自然屈伏させ、信頼関係をつくるのです。

自分の生活圏にいるすべての人を伝道対象者と考えて、
意識と関心を持って尽くすのです。

生活しているすべての時間が伝道の時間です。
言わば「生活圏伝道」です。
いつでもどこでも誰とでも、信頼関係をつくるのです。

それが、次の段階の一対一原理訓読や家庭教会へつながるのです。
全食口が360度開放された生活圏伝道に
向かっていくならば、爆発的伝道が起こるでしょう。

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第四章 伝道のポイント
五、一対一伝道
『真の愛の投入/霊の親から学んだ信仰姿勢』

(blessed life)
2016年2月9日 発行
一部()書きで編集を加えています
文責:ten1ko2


篠崎先生の信仰の親(霊の親)が立てられた精誠、
本当に素晴らしいですね。

お父様のみ言、み旨の道『伝道』の項目には、
「伝道の効果は、霊的40%、
み言30%、実践30%として表れる」とあります。
まさに精誠の重要性を感じます。

地区でスタッフをしておられる石川部長(前・教区長)が、
先日、神氏族メシヤ研修会で
天寶修行の話をしておられました。

毎日4時半に起床して、水行・敬拝・訓読・祈祷、
そのような精誠を2時間されているそうです。

また、祈祷される時も、ただ時間を過ごせばいいのではなく、
別の考えが入ったり、眠ったりするとか、
訓読する時も、ただ訓読して何も感じなかったりとか、
そういうときは、最初からやり直されて、
内的な精誠も立てていかれる、とのことでした。

天一国時代を迎え、今まで以上に、
内的世界の精誠の重要性を感じます。




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2021年11月26日

文氏から王が現れる?! 先祖は私生児から始まった・・・! 《史吉子先生》

イエス、モーセ聖誕時の再現、再臨主の家門がたどった茨の道



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平安北道定州郡 文鮮明師生家☆


史吉子(サ キルジャ)先生
「原理によるみ言の証」より
『再臨主の家門(文氏)の
共通した性稟と蕩減の役事』後半です。


ところで、文氏の間でどんな噂があったかと言うと、
「将来、文氏の中から文王が現れる。」
と言う噂があったそうです。

李氏王朝が王権を握っているのに、
突然、文氏の中から文王が現れたらどうなりますか?
それで、文氏の子供たちを皆捕まえて殺したそうです。

イエス様の時も、同年代の男の子たちを皆殺し、
モーセの時も男の子たちを探し出しては、
片っ端から殺しました。

私たちの民族の間では、
文氏一族が蕩減を多く受けたのです。

文氏一族の僕の中で、金氏の姓を持つ僕が一人いたのですが、
その人は自分の息子を文氏だと偽って、
殺すようにと差し出し、主人である文氏の息子を
自分の息子として取り替えて育てたそうです。

その子供が後になって、自分の本来の姓である
文氏として現れたそうです。
このように、文氏が茨の蕩減の道を歩んだのです。


お父様がお生まれになった所は平安北道定州郡で、
文氏が集落を形成していました。

そこでお生まれになった文昇龍長老(お父様の又従兄弟にあたる方)
証を聞いてみると、文氏一族の人は赤ちゃんができると、
みんながその子供が生まれて来る時まで安心できなかったそう
度々、障害児が生まれたそうです。

口唇裂や指が6本あるといった、
正常でない子供たちが生まれたと言うのです。
それで「ああ、また障害児が生まれた!」
と嘆きながら、心が安らかでなかったそうです。

ひっきりなしに氏族的に蕩減が起こったのです。
なぜかと言えば、サタン世界に神様の聖別された基盤を
作らなければならなかったためです。

神様の摂理はタダでは成せません。
それで、サタンに払わなければならない
蕩減の役事が多かったと言うのです。


お父様は、「皆さんが文氏と共に選民になると言うことは、
大きな栄光であるので、皆さんの親戚の中に、
あるいは先祖の中に文氏がいるはずです。」と語られました。

そうでなければ、韓民族が選民になり得ない
とおっしゃいました。

それで私も心配になって、実家の母に聞いてみました。
そうしたら、母の祖母が文氏だったそうです。
そして、 その祖母がとても優しくて良い方だったそうです。
それで、「私にも文氏の血が流れているんだ!」と安心しました。


お父様は、「人がこの世で生きていく上で、
決して人を利用しようとしてはいけない。
むしろ、人に利用される方がましだ。
そして、自分に仕えさせようとはせずに、人に仕えなさい。
他人に良いことをたくさんしなさい。

それがすぐには割に合わず、損をするように思えても、
その徳が子孫たちに大きな福として残されるから、
良い子孫が生まれる。」とおっしゃいました。


韓民族は、そんな文氏を迎えた特別な民族です。

皆さん、文氏が南平文氏だと言うことはご存知でしょう?
ところで、文氏の先祖が全羅南道羅州郡南平面の
小さな村で、私生児として生まれたと言うのです。

なぜ、文氏の先祖が私生児として生まれたのか?
お父様は、「私生児は、特別な神様のみ旨によって生まれた。」
とおっしゃいました。

サタン世界で正式に結婚した夫婦の間に生まれる子供は
サタンの血統の子女であるため、
そこからは神様の血統を見つけ出すことができないそうです。

それでイエス様も、私生児としてお生まれになったのです。
主はこのように復帰摂理の曲折を経て誕生されなければならず、
サタンの血統でない特別な血統として
お生まれにならなければならないのです。

史吉子/ 著「原理によるみ言の証」
第1章総序論
再臨主の家門(文氏)の共通した性稟と蕩減の役事



文家の背景の話、
やはり、再臨主が誕生するには、
韓国も国家的な蕩減を受けなければならないし、
それだけでなく、文家という氏族においても、
蕩減を受ける必要があったわけですね。

さらには、イエス様の家系においては、
イエス様ご自身が私生児として生まれましたが、
お父様ご自身は、そういう立場ではありません。

しかし、先祖の出発が私生児であった・・・
そういう点から見て、蕩減復帰に当てはまるわけです。

いずれにしても、お父様の背景、血統において、
再臨主誕生の条件を立てていたことになります。


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2021年11月25日

医者に安静にしなさいと言われた6ヵ月を、神に捧げ、最初の開拓伝道へ 《松本ママ奮戦記》



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路傍伝道に出掛ける(1961年)


松本ママの自叙伝「信仰は火と燃えて」より、
『伝道に生きる生活の始まり』の後編です。


「牧師は西川(崔奉春)先生のことをサタンだと言うけれど、
神様を信ずる人をたくさんつくったから
地獄に行けと言われて行けば、そこが天国なんだ。

西川先生のあとに従って私も伝道しよう」
その一言で、私の心はピシッと決まりました。

そして、「神様に誓います。
医者は六カ月安静にしなさいと言いましたが、
私はその六カ月間を神様にささげて伝道します。
堕落性を脱ぎます。

もし私が途中で伝道をやめ、手を鋤(すき)にかけて
後ろを振り向くようなら、
私を地獄の十二丁目まで行かせてください」
と、大変な祈りをして新しい出発をしたのでした。

 
それから小さな黒板を準備しましたが、西川先生が
最初に連れていってくれた場所は、明治神宮外苑でした。

1960年8月16日、夏休みだったので庭園には
学生や若い男女があふれていました。
西川先生は、恋をささやき合う
アベック(カップル)を見て言いました。

「ここはエデンの園を象徴しています。
あちこちで二枚舌でもって
ささやき合っている男女に、神様の証をしなさい。
40日間、あなたはやれますか」

「はい、やります。
どうしてもやらなければなりません。
先生、お祈りしてください」

西川先生は、私の手を握って祈ってくださいました。
私は、死んでも行こうと固い固い決意をして、
初めての40日の開拓伝道に出発したのでした。


黒板を掛け、「神様、どうか私を助けてください」
と必死で祈りながら、アベックのそばに行きました。

そして、女性には「お嬢さん、この人はあなたを愛していませんよ。
あなたには将来もっとハンサムで金持ちの男性が現れますよ。
私は占師です」と言って興味を引き、

男性には「あなたは、一年か二年後、
白雪姫のような女性が恋人になるでしょう。
なぜ分かるか知りたければ黒板の下までいらっしゃい」
と言って集めるのです。

そして、神と人間と万物の
本来あるべき姿を語って伝道しました。

その時そこに集まった男女たちは、
まるで幼稚園の子供のように見えました。
それは、いと小さい者の口から流れる神のみ言(ことば)が、
あまりにも高く貴い真理だったからそう思ったのでしょう。

その後30日目ぐらいになると、
「ここには日本の神がいる。
こんな所でヤソの話をするな」と
迫害する人が出てきました。

けれども私は、殉教するつもりで決意していましたから、
誰が来ても何を言われても一歩も譲らず、
40日の開拓伝道をやり遂げました。

 
そして40日目、夢の中でメシヤが私のところへ来られました。

非常に驚いた私は、何かお食事の準備をと思い、
急いで自転車に乗って八百屋に買物に行こうとした時、
メシヤは親しげなお声で、「娘よ、
ここに残っているほうれん草で十分です」
と私を止められました。

私は「はい」と頭を下げながら、
緊張と感激で固くなっている自分を感じました。

目が覚めてからも心はとても満たされ、
この不思議な夢はいったいどんな意味だろうかと、
一日中感動の波が私を包みました。


結局、40日間、私は意気地のない古い自分から脱け出し、
神様との約東を守るために必死でやったのですが、
神様から見れば、私がどれだけ根気強く最後までやるかという
訓練の期間であったと思います。

また、西川先生の必死なる祈りに支えられて
歩んだ期間でもありました。

こうして日本での初穂として立たされ、
西川先生と共に伝道に生きる生活が始まったのです。

松本 道子・著
(光言社・刊『信仰は火と燃えて―松本ママ奮戦記―』より)
アプリで読む光言社書籍シリーズ
blessed life


西川先生(崔奉春宣教師)が最初に
日本に来られたのが、1958年夏、
最初の礼拝が1959年10月。

日本統一教会(現:家庭連合)で一番最初に
40日間の路傍伝道をしたのが、松本ママです。
その日が、1960年8月16日(〜9月25日)、
日本の初穂が見事に実った瞬間でした。

前回もお伝えしたと思いますが、
み言も完ぺきに聞いたわけでもないし、
おそらくお父様も証しされたわけでもない、
そんな中で路傍伝道をされたということが、
本当に素晴らしいことだと思いました。

伝道するように言われた西川先生、
そのみ言を全面的に受け入れ、
そのごとくに歩んだ松本ママでした。

40日間、本当に精誠を尽くされたので、
メシヤが夢に現れたのだと思います。
その「メシヤ」というのは、誰なのか、
どのような姿で現れたのかは、
まだ証されていませんが。。。

この歩みが、のちの伝道師松本ママの
基礎を築いたのですね。
やはり、精誠の重要性、
アベルから言われたことを守っていく、
この大切さを感じます。

無謀ではあったかもしれませんが、
まさに「信仰は火と燃えて」という
松本ママの篤い姿勢が表れた
素晴らしいエピソードだと思います。





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