2021年11月24日

夢を描いて結婚、こんなはずじゃなかった現実・・・その原因は「なんてこった!」 《自己牧会プログラム》



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HJ天宙天寶修錬苑 秋の風景


自己牧会プログラム
今回は、「何てこった!」です。

家庭連合の祝福結婚を受けて
海外で家庭をもたれた日本人の体験談です。

(海外在住 日本人女性 50代)

国際祝福を受け、夫の国に嫁ぎました。

私の夫は人を喜ばせることを知りません。
家族の催し物はほとんど私が考え、実行してきました。

夫から「僕も手伝うよ」とか、
「今回はどうする?」などと言われたことは、
28年間の結婚生活で一度もありません。

何から何まで私を頼り、私が企画したものを、
子供と一緒に喜んでいます。

また、仕事から帰ってきても、「ただいま」だけ。
「今日はこんなことがあったよ」などと
共有してくれることは一切ありません。

気付いてほしい、夫からも声を掛けてほしい、
夫婦一緒に子供のための楽しみを創造したい。
そういう叫びを上げても、そのたびに
夫の返事は「分からない」でした。

こんなはずじゃない、どうして気付いてくれないの?
普通気付くでしょう?
あなたはおかしい。
私を幸せにしてあげたい、
喜ばせたいと思わないのかしら?

もう、こちらから「こうしよう、こうして」
と言うことに疲れました。
嫌になりました。
言いたくもありません。
気付いてほしいのです。
夫から「こうしようか」と言ってほしいのです。

そんな葛藤が28年間、
いつも私の心の中にありました。

 
夫は家庭を顧みず、仕事が命の人です。
田舎の貧しい家に育ち、夫が小学生の時に
父親が病気で7年間入院して、生活は大変だったそうです。

その影響かどうかは分かりませんが、
私には「心情の乏しい人」に感じられました。

一方私は、両親の仲が良くなかったため、
幼い頃から結婚に対して理想を思い描いていました。
それが私にとって希望でしたし、永遠の夢でもあったのです。

還暦になろうとしている私たちですが、
天国生活から程遠い家庭のまま、
子供も社会人や大学生になり、家を出ました。

私の理想家庭実現の夢は、
もうタイムリミットを過ぎてしまいました。

 
そんな時、「このままでいいのか?!」
という思いが湧いてきました。

よくよく考えたら、私は夫と霊界も一緒!
私はこの人と愛で心から一つにならなければならない!
このままでは永遠に後悔する人生になる!
と自覚させられたのです。

「全てを許します! 天の父母様、
今まで悲しませてごめんなさい!」

「これから必ず夫と幸せになる!
今までの全てが感謝!」
こう自分に言い聞かせて、
その日を過ごしました。


その夜、思いがけないことが起こりました。
久しぶりに夫が食事に誘ってくれたのです。
そこは、いつも行くところより値が張る
シーフードレストランでした。

そこで夫は、ただ蒸しただけのキャベツや野菜を見て、
「父さんがよくこれを食べていた」と
懐かしそうに話しました。
そして、それだけをおいしそうに一皿食べたのです。

何でもない蒸し野菜を懐かしそうに、
そして穏やかな表情で食べる夫。
父親を思い出して幸せそうにしている夫──。

そんな夫を見ながら、ふいに、
夫の今取り組んでいるみ旨を実現させてあげたい、
夫にたくさんの幸せな思い出をつくってあげたい
という思いがあふれ出てきたのです。

これは本当に思いがけないことでした。


私の本心はとうの昔に、「分かってほしい」
という願いが無駄だと気付いていたのです。

でも若い頃から抱いていた結婚への夢、
理想を手放すことができなかったのです。
また、手放すものでもないと思っていたのです。

そんな夢や理想も手放さなければ、
夫と心から幸せを共有することはできないのか。

理想や夢までも手放すなんて「なんてこった!」ですが、
希望、夢、結婚生活の理想すらも
私が幸せになる足かせになっていたことに気付いたのです。

夫を自分の理想でがんじがらめに
縛っていたのだと、ようやく気付いたのです。

もし「自己牧会プログラム」に出合っていなかったなら、
気付くこともできないまま、祝福を受けたことすら、
(ハン)になっていたかもしれません。

私の心を囚(とら)われから解き放ってくれた
「自己牧会プログラム」に心から感謝いたします。

私の心の中にいる神様 95
何てこった!
(blessed lifeより)


素晴らしい証しをありがとうございました。

真のお父様の『最悪を最善に変える』
という精神を思い出しました。

現実的に大変な状況であっても、
それをどう乗り越えるのか、
真のお父様のように乗り越えるためには、
自己牧会プログラムが欠かせない、と感じます。

見返りを求めない、真の愛の投入により、
ご主人の心も開かれていったのでしょう。。。

海外に嫁がれ、環境も言葉も習慣も違う中、
何より、男性と女性の違いも
大きかったのではないでしょうか。
そういう中で、大きな気づきを得られたのですね。

祝福によって素晴らしい家庭を与えて頂いたはずの
私たちですが、幸せになってほしいという
神様の心情から遠いところで、葛藤や
苦労を重ねてきてしまっていることが
あるような気がします。

とてもいい教訓を与えていただきました。



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2021年11月23日

天国には、交通事故はない?! 私の見た霊界の姿 《李相軒先生*霊界からのメッセージ》



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李相軒先生が、霊界から送ってくださったメッセージ。

「霊界の実相と地上生活」より、
今回は、『霊界の姿と生活』です。


私は李相軒(イ・サンホン)です。
私を李相軒でないのではないかと疑う瞬間に、
とても自尊心が傷つきます。

神様が認められるなら、
信じて聞いてくださるとありがたいです。

霊界の姿

霊界は目に見える現象世界とそっくりのようですが、
霊界のその膨大な規模は、地上とは比較になりません。

例えば、現象世界の自動車の姿は、限定されていますが、
霊界の自動車は、一台がいろいろな姿に変わります。

前に行ってから後ろに行き、後ろに行ってから
再び回ったりもします。
回ったと思うと……。

車が瞬間的に山を貫いたりもし、
車を運転する運転手の思いどおりに車が動きます。

まるで子供たちが見る空想映画や、
神秘の宇宙世界の姿のような動きです。

「交通事故が起きないでしょうか」と李相軒院長に聞くと、
「無秩序なようだが、徹底して法度を守る
世界であるために交通事故はない」と語られました。

霊界の生活

地上で暮らす人たちが、朝に起きて夜に寝るように、
霊界生活においても、起きたり寝たりします。

しかし、朝に起きて、夜に寝るというのではなく、
朝も夜も考えによって変わるようになります。

霊界に、地獄、天国、楽園という名を
誰がつけたのか分かりませんが、
本当に地獄、天国、楽園の生活の差はとてつもないものです。


例えば、地獄にはこの世では見物することができない光景があります。

女が下半身も隠さないまま裸で立っていると
一人の男がその女の下半身に触ります。

すると別の女が、その男の下半身を触って、
自分のものだと言いながらけんかするのです(雑多な者の集まり)。

それでも恥ずかしい様子がなく、
悠然と悪に染まっている姿です。

 
下駄(げた)を履いた日本の女が走っていて転ぶと、
ほかの女がその下駄を自分のものにしようとして隠します。

下駄をなくした女が捜していると、
下駄を隠した女は、「知らない」と叫びます。

すると周囲の人たちは「あの女が泥棒だ」
と指さしながら、皆が走り寄って、ぶんなぐるのが常です。


指をけがした老人が、手が不自由で食べ物をつかめないでいると、
周囲の若者が、器ごと奪っていって、
自分の口に放り込むような生活が行われる所です。

髪を剃(そ)られた若い女が、髪の毛がないのを恥じて
手拭いで頭を隠していると、人が通り過ぎるたびに、
その手拭いをはぎ取って、手を拭いたり顔を拭いたりします。

女が手拭いを奪われてから、取り返してまたかぶると、
今度ははさみで切って半分は持っていき、
半分だけ頭に投げ掛けてやるのです。

そうすると、その女は、恥ずかしい姿を
隠すことができず、絶えず暗い所を探していくのです。

(1997年5月23日)

(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第二章 霊界で見た暮らしと地上生活
一 霊界の姿と生活

霊界の実相と地上生活(4)
(Blessed Lifeより)


李相軒先生が送ってくださる、天国と地獄の様相。
地獄の様子はリアルであり、悲惨ですね。

地獄に関して、いろんな人たちが、絵とか文章で表現していますが、
だいたい同じようなものになっているのは、
本当にそういう世界だ、ということなのだと思います。
欲望がむき出しになっているのですね。。。

地上でどんな人生を送ったのか、
その心持ちが霊界を決定することを思うと、
改めて、正しい心根をもっていくこと、
良心に根ざした生活を送ることの重要性を感じます。


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2021年11月22日

7日間眠らされずに共産党の取り調べ、再臨主は魔術を使ったのか?! 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生の証し。

1948年2月、文鮮明(ムン ソンミョン)師と
元弼先生は、連行されました。
今回は、「内務省での取り調べ」です。


その当時、先生は、
“私はもう牢屋に入るんだ”ということが
分かっておられたと思いますか、
分かっていなかったと思いますか。

イエス様が来られたときに、
十字架につけられると思っていたのでしょうか、
それともつけられないと思っていたのでしょうか。

まず第一に、十字架につけられるとは考えませんでした。
しかし人間がみ旨について行かないとするならば、
そういうことも起こりうるというお考えはあったでしょう。


内務省に連行された先生を、
刑事たちも魔術師のごとく考えていたので、
三、四人が先生を調査しはじめました。

先生が魔法を使うと思っているので、
調査の途中でも、先生がトイレに行かれれば、
魔法を使っていなくなるのではないかと思い、
常に二人の刑事がトイレまでついていったのです。

また万人にしておくといついなくなるかも知れないというので、
先生を七日間眠らせないで監視しました。

共産党の拷問の中でも、最も大変な拷問には、
食べさせない、寝かせないというものがありました。
そうしますと、言うとおりに答えるようになるのです。

官憲は、先生を寝かせないために、自分たちだけは交替して眠り、
先生が眠りそうな時間になると眠らないようにしたのです。
どんどん話しかけるのでした。


私が二日間入って取り調べられた内容と、
先生に対してどういう罪をかけようとしていたのか
ということの一端をお話しします。

私は二つのことについて中心的に聞かれました。

一つは、「お前はこの人をどういう人だと
信じているのか」ということでした。

その次に、「お前は教会に
献金をしたことがあるかどうか」と聞くのです。

この人たちはキリスト教の教理とかは頭にはありません。
それは何でも構わないのです。
なぜならば、彼らはキリスト教自体を否定していたからです。

彼らは、教会の人々からお金を搾取して、
これを私たちが自分のために使ったのではないか、
というところをねらっているのです。

また、先生がどういう人であるか聞いたのは、
メシヤといって、それを利用して
たくさんのお金を取ろうとしたという条件を奪おうとしたのです。

私のことをもっと詳しく調べるために、
私は小学生を教えていた時ですので、
私が学校で担当していた子供たち全員を一人一人呼んで、
「金先生はお前たちに何を教えたのか」と全部調べました。


先生には七日間寝かせない取り調べでした。

そういう中で、先生が拷問を乗り越えられたのは、
目を開けながら十分間でも熟睡することを心得ておられたからです。
目を開けているので、官憲は眠っていないと思うのです。

I 平壌開拓から興南解放
第三章 興南監獄での伝道
「内務省での取り調べ」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題


北韓での拷問は、どれだけ酷(むご)いものだったでしょうか。。。
「眠らせなかった」とは聞いていましたが、
「七日間」とは、空恐ろしいです。

お父様(文鮮明先生)は目を開けて眠られた、と
以前、講義で聞いていましたが、
元弼先生が証しをされていますので、
本当にそうだったのだ、と思いました。

拷問といえば、クリスチャンたちに対して、
江戸幕府があまりにも残酷な拷問をしたことがありますが、
同じ人でありながら、良心が痛まなかったのだろうかと、
本当に恐ろしいなと感じます。

そういう時代、そのような凄惨なところを
通過しながら、生きて
世界の人たちのため、平和のために
大きな業績を立ててくださいました。

お父様も、金元弼先生も
すでに霊界に旅立たれていますが、
このように元弼先生のお話を通して、
当時の様子を知ることができることは、
実に貴いことだと思います。






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